マです。はっきりしていることは、中央銀行は多くの人がいだい
ているイメージとは、かなり異なる金融機関であるということで
す。中央銀行については、リチャード・ヴェルナーの『円の支配
者』(草思社)が有名であり、この本を中心に2001年にEJ
を書いたことがあります。
最近現在のテーマを書いているときに、日銀について書かれた
興味深い本を発見したのです。銀行、とくに中央銀行の設立にま
つわる人物などについては、次の本を参照にしています。
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吉田祐二著
『日銀/円の王権』/学習研究社
2009年9月15日初版
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著者の吉田祐二氏は、貨幣経済論および政治思想、近代企業経
営史などの研究者ですが、吉田氏はこの本において、日本の近代
史を「日本銀行」を軸にして読み解こうとしています。それに当
たって、著者は次の2つの仮説を立てています。
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1.経済は中央銀行によってコントロールされており、中央
銀行の支配者が本当の権力者である
2.日本は世界の覇権国の属国であり、世界の覇権国からの
さまざまな指示を受けて動いている
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荒唐無稽な陰謀論めいた仮説のように思えますが、本を通して
読んでみると、いちいち納得できることばかりです。以下、吉田
祐二氏の本を参照にしながら、話を進めます。
明治後期の日本の政界の最大の権力者といえば、初代の総理で
あり、紙幣にも印刷された伊藤博文が頭に浮かびますが、実は松
方正義の方がはるかに格は上なのです。それは日銀を創設したこ
とと無関係ではないのです。つまり、松方は「円の王権」を握っ
ていたからです。
それに松方は日銀を創設するや、53行あった国立銀行から貨
幣発行権を取り上げて日銀にその機能を集中させ、それまでの国
立銀行をすべて私立銀行に改編させているのです。大変な権力で
あるといえます。松方は日銀総裁はやっていませんが、創設者と
いうことで「円の王権」を握っていたのです。
松方正義の後継者は、高橋是清と井上準之助です。松方正義は
ロスチャイルド家との関係が深く、それを引き継いだのは高橋是
清です。高橋は日本におけるロスチャイルド家のカウンターパー
トになったといえます。
高橋は職を転々として農商務省に入庁したときに前田正名と出
会い、その縁で日銀に入行することになります。前田正名は松方
の腹心です。その後は、横浜正金銀行頭取から日銀副総裁、そし
て日銀総裁になっています。1911年のことです。
これだけのことであれば、高橋は単なる能吏のレベルを出るも
のではなかったのですが、彼は日露戦争の準備である外債募集の
仕事で成果を上げています。高橋が日銀副総裁をしていたときの
ことです。外債募集とは、戦費調達のために、日本国債を外国に
買ってもらうことです。
しかし、当時の日本は評判が悪く、日本自体の存在も知られて
いなかったので、簡単に買い手がつくはずがなかったのです。し
かも時の日本政府は、高橋に年内に1000万ポンドを募集する
よう要請していたのです。
高橋はロンドンに行き、銀行家と間で500万ポンドの公債を
発行する内約はできたものの、残りの500万ポンドが調達でき
ずにいたのです。しかし、高橋はある人の紹介で、ジェイコブ・
ヘンリー・シフなる人物に出会うのです。シフは、ニューヨーク
のクーン・ローブ商会の首席代表者で、残りの500万ポンドを
引き受けてくれたのです。クーン・ローブ商会は、ロスチャイル
ド家の米国の出店だったのです。このようにして高橋は国際的な
人脈を築いていったのです。
高橋是清自身はロスチャイルドを深く敬愛していたようで、そ
れは彼の『随想録』において、ロスチャイルドについて触れてい
るところが多くあるのでそれがわかります。高橋が敬愛していた
安田財閥の祖・安田善次郎の葬式においても、高橋は追悼の挨拶
で次のように述べています。少し長いがご紹介します。
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およそ新たに起こす仕事には相当危険の伴わざるものはないの
であります。私はかつて倫敦の「ロード、ロスチャイルド」か
ら聴かされた事がありまして、安田翁にもその話をした事があ
るのです。ロスチャイルド卿の言わるるに、自分は世間から金
持ちと見られ、かつ金を儲ける者と見られておる。しかして自
分でもまたその通りであると思っておる。さて金持ちとなると
なかなか人の知らない苦労もあり、また世の中のために尽くす
べき義務もある。いずれの国家でも大切なものは国民の生活で
ある。そして国民の生活に最も大切なものは産業である。しか
るに産業の事たるや、仕事の創設には、失敗という危険が伴う
ておるものである。そしてその危険は普通の人の負担し難きも
のである。しかるに金持ちはその収得する利益の中、多少消え
失せても差し支えない程の余裕がある。すなわちこの余裕の資
力をもって、まず新たな製造事業なり、鉱山の試掘なりをして
幸いに目的が達せられたなら、ここに始めて株式組織を作るな
りして、一般の人々に利益を分かつのである。もし目的がはず
れた時は、金持ちが損失するのみで、世間の人々に迷惑はかけ
ないのである。これが自分の如き金持ちが、世のため尽くす義
務と心得ておるということでありました。 ──吉田祐二著
『日銀/円の王権』/学習研究社刊
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──[新自由主義の正体/47]
≪画像および関連情報≫
●高橋是清翁顕彰シンポジウムでの岩田紀久男氏の挨拶
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日本銀行の岩田でございます。このような場でご挨拶をさせ
て頂く機会を頂き、まことにありがとうございます。また、
平素から山口県の皆さまには、下関支店をはじめ日本銀行の
業務全般に関し、大変お世話になっております。この場をお
借りして厚く御礼申し上げます。本日は、高橋是清翁の顕彰
シンポジウムということでお招きにあずかりました。わが国
の金融・財政政策は、長年続いたデフレからの脱却に向けて
大きな転換点を迎えております。こうしたタイミングで、時
代背景こそ大きく違うとはいえ、同じような政策課題に立ち
向かった偉大な先人を振り返るイベントが開催されることは
大変時宜にかなったことであると感じております。ご存じの
とおり、高橋是清という人は、大河ドラマの主人公にしても
良いのではないかと思えるほど、実に波乱万丈な生涯を送っ
た方です。とりわけ、少年時代に留学先の米国でだまされて
身売りされてしまったり、ペルーでの鉱山開発事業で詐欺に
あって無一文で帰国したりと、その前半生は、自由奔放なが
らかなり浮き沈みの激しいものであったと聞いております。
壮年期以降の高橋是清は、日本銀行総裁、大蔵大臣、内閣総
理大臣などを歴任し、偉大な功績を残されるわけですが、そ
うした銀行家・財政家としての道を歩み始めた場所が30代
の終わりに初代西部支店長として赴任した、この下関の地で
ありました。下関には、わが国の長い歴史を通じて数々の事
跡が残っていますが、高橋是清という傑物を育んだという点
でも、わが国の経済史を考えるうえで重要な場所であるとい
えると思います。 http://bit.ly/1qvztq3
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吉田祐二著「日銀/円の王権」