2014年07月09日

●「日銀独立性をめぐる大蔵との暗闘」(EJ第3829号)

 戦後の時点で経済金融関係において主導権を握ったのは、大蔵
省ではなく、日銀であったことは昨日のEJで述べた通りです。
ここで、どうして大蔵省が主導権を取れなかったのかについて述
べておきます。
 大蔵省は戦時中はその権限を大きく規制されていたのです。軍
部と企画院に報告義務を負い、それに加えて内務省によって権限
を大きく制約されていたからです。
 ところが戦後になると、軍部と内務省は解体され、企画院は経
済企画庁という下位官庁になり、そこに大きな権力の空洞がポッ
カリと空いたのです。
 このような事態を大蔵省が見逃すはずがないのです。素早くそ
れに割り込み、徴税、関税、国際金融、金融機関の監督、財務政
策、金融政策を取り込んだのです。そうしているうちに、日銀は
GHQの協力を得て大蔵省に先行したのです。
 このとき日銀は何とかして大蔵省のコントロール下から脱した
いと考えていたのです。日銀が求めていたのは、金利のコントロ
ールと市場資金量の調節機能については何とか日銀独自の判断で
行いたいと考えていたのです。これについて、当時の一万田日銀
総裁は、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 中央銀行にゆだねるべきことは、何といっても公定歩合の問題
 である。これは日本銀行にまかせ、政治的な介入があってはな
 らないと思う。また、準備預金制度についての、これは市場資
 金量の調節機能であり、技術的なことが多いので、日本銀行に
 まかせるのがよいと思われる。     ──一万田日銀総裁
         ──リチャード・ヴェルナー著/吉田利子訳
  『円の支配者/誰が日本経済を崩壊させたのか』/草思社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 新木栄吉日銀総裁と一万田尚登蔵相による日銀クーデターの失
敗によって、大蔵省は日銀にある提案を突き付けたのです。それ
は、総裁と副総裁を大蔵省と日銀が交互に行うたすきがけ人事の
実施です。要するに日銀総裁を日銀と大蔵省の交互でやろうとい
う提案です。
 これは、よく考えると日銀にとってメリットのある提案でもあ
り、日銀は受け入れたのです。それでは、日銀にとってどういう
メリットがあるのでしょうか。
 1つのメリットは、日銀総裁が意中の人物を総裁として選べる
ようになったことです。もっとも日銀総裁は議会承認が必要です
が、政権が安定していれば、その意中の人物を総裁にすることは
十分可能になったといえます。今までは、日銀が候補者を出して
も大蔵省の承認が必要だったのです。
 もう1つのメリットは、たとえ大蔵省出身の日銀総裁でも事務
方は日銀が握っているので、総裁の意思決定をある程度コントロ
ールできるという思惑です。現在の各省庁の「大臣と事務次官」
の関係と同じです。
 ところで、日銀総裁になるのはどういう人なのでしょうか。
 はっきりしていることは、日銀総裁は副総裁から選ばれること
になっていることです。したがって、日銀総裁になるのは副総裁
になる必要があります。
 その副総裁になるには、日銀からなる場合は日銀理事になる必
要があります。しかし、日銀理事は6人と決まっています。大学
を卒業して日銀に入る人は約60人であり、そこから理事が選ば
れるのです。したがって、理事になり、副総裁になるには相当の
競争を勝ち抜かなければならないことになります。
 しかし、大蔵省とのたすきがけ人事が行われるようになって、
総裁になるにはさらに難しくなったのです。なぜなら、日銀出身
の総裁から認められることが不可欠になったからです。いわゆる
総裁によってプリンスと指名される必要があるからです。そのた
めには、総裁に対して忠実であることが求められます。このよう
に、必ずしも能力で選ばれるわけではないのです。
 佐々木直が選ばれたのは、新木、一万田両日銀総裁に忠誠を尽
くしたからです。その佐々木に関するある逸話が、リチャード・
ヴェルナーによる『円の支配者』で紹介されています。
 佐々木が人事部長をしていたときのことです。一人の目立った
学生と面接したのです。それが三重野康だったのです。彼は野心
家で上方志向があり、第一志望は大蔵省で、日銀は第二志望だっ
たのです。
 佐々木は本能的にこの男を大蔵省にやってはならないと考えて
三重野を説得し、日銀に入社させます。そしてほどなく、自分の
はじめてのプリンスにすることを決意し、計画的に重要なポスト
を歴任させていったのです。
 1958年から60年まで三重野はニューヨーク日銀駐在事務
所の勤務を命じられます。そのときのニューヨーク事務所長が前
川春雄だったのです。一万田が蔵相をしていた時代のことです。
佐々木、前川、三重野はこうように繋がっており、そのバックに
は一万田蔵相がいたのです。このようにして、三重野はプリンス
とされ、やがて日銀総裁になるのです。
 このような人事をやっていると、日銀マンはどうしても組織防
衛に腐心するようになるのです。戦後の日銀出身の総裁の悲願は
日銀の独立性を勝ち取ることにあり、長年にわたって周到な計画
によってそれを達成したのです。1998年4月のことです。
 佐々木直の時代から計画され、6人目の日銀総裁である速水優
のときに日銀法は改正されたのです。その6人の総裁は次の通り
です。大蔵省出身は「O」、日銀出身は「N」です。
―――――――――――――――――――――――――――――
  23代:森永貞一郎/O   24代:前川 春雄/N
  25代:澄田  智/O   26代:三重野 康/N
  27代:松下 康雄/O   28代:速水  優/N
―――――――――――――――――――――――――――――
               ──[新自由主義の正体/43]

≪画像および関連情報≫
 ●改正日銀法に書かれていない「独立性」の意味
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日銀法の第三条には、「日本銀行の通貨及び金融の調節にお
  ける自主性は、尊重されなければならない」とある。第四条
  には、「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政
  策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済
  政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡
  を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。」とあ
  る。これについて、日銀による解説がありそれを確認してみ
  たい。平成10年4月の日銀法改正の最大の眼目は、中央銀
  行としての「独立性」を法制度としても明確にすることでし
  たとある。「過去の各国の歴史を見ても、中央銀行の金融政
  策にはインフレ的な経済運営を求める圧力がかかりやすいこ
  とが示されています。物価の安定が確保されなければ、経済
  全体が機能不全に陥ることにも繋がりかねません。こうした
  事態を避けるためには、金融政策運営を、政府から独立した
  中央銀行という組織の中立的・専門的な判断に任せることが
  適当であるとの考えが、グローバルにみても支配的になって
  きています。新日銀法において、独立性確保がはかられてい
  るのは、こうした考えによるものです。」日銀法にはどこに
  も「独立性」という言葉は見当たらない。第三条にある自主
  性は、つまり独立性を意味していると言うことになろう。E
  CBなどでは「ECB及び各国中央銀行は、本条約及びES
  CB・ECB法により授与された権限の行使、任務の遂行に
  あたり、EU諸機関及び各国政府その他いかなる機関からも
  指示を仰いだり、指示を受けたりしてはならない」とある。
                   http://bit.ly/1j5Oakv
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佐々木直元日銀総裁.jpg
佐々木 直元日銀総裁
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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