2014年07月02日

●戦時経済体制で作られた新生日本(EJ第3824号)

 日本は第2次世界大戦の敗戦によって生まれ変わったと多くの
人は思っています。新憲法が制定され、公職追放が行われ、財閥
解体、農地改革、労働立法などの戦後改革によって、日本は奇跡
の戦後復興を遂げたと多くの人が思っています。そのなかにはも
ちろん経済の改革も含まれています。
 そういう意味で、日本人の多くは、「新生日本の誕生日は終戦
時であり、その親は戦後改革である」と考えていると思います。
しかし、それは違うようです。戦後改革に関しては戦時中の体制
の継続であると思われるからです。
 これに関して『1940年体制』の著者の野口悠紀雄氏は、同
書で次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、もし、われわれの出生が別の時であり、われわれの親
 が、別人であるとすればどうであろう?われわれは、「戦時期
 は忌まわしい「暗い谷間の時代」であり、民族の記憶から一掃
 すべきものである」と教えられてきた。満州事変の直前まで日
 本は近代化への道を歩んできたが、それ以降の軍部ファシズム
 の台頭によって、日本の歴史は正常なコースから逸脱したと。
 しかし、もし、その時期が現在の日本にとって本質的意味があ
 るものだとすれば、どうであろう?もし、戦時期の制度こそが
 われわれの本当の親であるとすれば?
             ──野口悠紀雄著/東洋経済新報社
        「『新版』1940年体制/さらば戦時体制」
―――――――――――――――――――――――――――――
 それは、戦時経済体制と戦後に占領軍主導でとられた体制を調
べてみるとわかるのです。そこには、ある意図によって、戦後体
制を1920年代のような自由市場資本主義にはあえて戻さず、
むしろ戦時中にとられていた体制を民主主義の旗の下に、巧妙に
維持する政策がとられていたといえるからです。
 どうしてそんなことができたかというと、戦時経済体制を作り
上げたエリート官僚たちが、戦後も引き続き指導的な地位に留ま
り、後には首相にまで就任するなど日本をコントロールしたから
です。日銀もその中で重要な役割を果たしているのです。このこ
とは後で詳しく説明します。
 1938年4月、国家総動員法案が議会に提出され、多くの反
対を押し切って成立します。この法律は国中のあらゆる物資の動
員を許すというものであり、具体的な内容は政令で定めるという
事実上白紙委任状に等しいものだったのです。
 この時期国を動かしていたのは軍部ですが、軍人は経済に疎い
ので、経済・財政新体制の運営はエリート官僚たちの手に委ねら
れたのです。国家総動員法によって彼らは、何でもできる権限を
手に入れたことになります。
 1940年にこれら日本の官僚は、次の3つの柱から成る新経
済体制を宣言したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.新金融体制
           2.新財政政策
           3.新労働体制
―――――――――――――――――――――――――――――
 これら3つ全体の調整機能は、1937年に設立された企画院
が握ることになったのですが、この企画院はいわば軍事経済の参
謀本部の役割を果たしたのです。
 この新経済体制の狙いは、簡単にいうと、個人が貯蓄し、企業
は利益を再投資する経済機構を作ることにあったのです。そして
そのためのインセンティブを与えることもその狙いなのです。
 株主の目標は利潤を多く得ることです。株主が一番関心を持つ
のが高い配当であるとすると、企業が再投資する資金はなくなり
経済成長は遅れることになります。この論理から、株主は成長に
とっていちばん邪魔な存在であるということになります。
 一方、経営者は企業内部で出世すると威信が高まり、企業の資
源に対して大きな権限をふるうことができます。株主と労働者の
目的は経済成長には結びつかないものの、経営者の目標は経済成
長を促進する国家の目的と一致するのです。
 要するに、株主と労働者の力を奪い、経営者の力を強めてやれ
ば経済成長を促進できる――1930年代の為政者はそのように
考えたわけです。しかし、労働者の力を収奪しすぎると、その不
満が共産主義に結びつく恐れがあり、むしろ労働者に企業内部の
事柄に対する発言力を強めるようにし、会社家族主義のイデオロ
ギーを植え付けるべきであるというように考えたのです。
 結局、成長に一番の障害になるのは株主ということになり、大
企業が優勢に立つ経済では、資本家なしの資本主義が一番ベスト
であるという結論に達したのです。
 戦前の為政者たちは、これをひとつずつ実行に移します。経営
者の地位は引き上げられ、株主の権限は縮小されます。企業は株
主の所有物ではなく、そこで働く者の共同体であるということに
なり、配当の伸びに制約が加えられるようになったのです。
 このようにして、1920年代の経済体制から、現在の日本に
近い体制──「日本型経済システム」が作り上げられていったの
です。問題はそれが終戦後も変更されることなく継続され、日本
の戦後復興に貢献したことです。これらの諸改革について、野口
悠紀雄氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 戦時経済体制については1940年前後に集中してなされた。
 この時期は日本が太平洋戦争に突入する直前であり、総力戦を
 戦うためにさまざまな準備が必要だったのである。そこで、こ
 の時期に形成された経済体制を「1940年体制」と呼ぶこと
 が出来よう。それらが、現在に至るまで日本経済の基本的な仕
 組みを形成している。    ──野口悠紀雄著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
               ──[新自由主義の正体/38]

≪画像および関連情報≫
 ●野口悠紀雄著『1940年体制』の書評/その2
  ―――――――――――――――――――――――――――
  『これは歴史認識を持つために重要な書物であり、読まねば
  ならぬ』とずっと思っていたが、やっと時間を作って熟読し
  た。内容は重いが、歴史の面白さをこれほど強く感じたこと
  はない。今の日本を作ったのは、戦中に総力戦遂行のために
  強権発動で整備されたシステムであり、その意味で日本は戦
  時体制が終わっていない、というのが本書の主張であり、非
  常に説得力があり同感できるものだった。一般的に、終戦に
  よって大きな断絶があり、占領軍による戦後改革こそが今日
  の日本を形作る原型となった、との考えが一般的だが、本質
  的な断絶は、戦前と戦中の間にあったというのだ。なかでも
  重要なのは1940年の税制改正で、戦費調達のために導入
  された給与所得の源泉徴収制度、そして地方への補助金・交
  付税による支配体制だった。GHQは金融改革、官僚改革を
  やらなかったのである。有権者意識を奪う巧妙な手段として
  普段なにげなく徴集方法に不満を持っていた源泉徴集制度の
  起源が戦中にあったとは全く知らなかった。戦争に勝つため
  のシステムは、経済に勝つためのシステムにもなり得た。こ
  の歴史の皮肉が何とも興味深い。また、経済成長を終えた今
  の日本が抱えている様々な弊害も、この勝つためのシステム
  (=供給者優位のシステム)に根を持ったものであり、それ
  が受益者にとって様々な不都合を生んでいるのだということ
  を、どれだけの人が認識しているだろうか。
                   http://bit.ly/1x82wDP
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野口悠紀雄氏.jpg
野口 悠紀雄氏
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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