2014年07月01日

●「戦時経済体制が支えた日本の復興」(EJ第3823号)

 「戦時総力戦経済体制」という言葉は、一橋大学経済学部教授
の野口悠紀雄氏が、当時大蔵省を離れて学者をしていた榊原英資
氏と共著で書いた次の論文のなかで、使われています。
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              野口悠紀雄/榊原英資共著
  「大蔵省・日銀王朝の分析―総力戦経済体制の終焉」
         『中央公論』/1997年8月号所載
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 榊原・野口両氏は、この共著論文で、日本の経済体制の核心部
分として「大蔵省・日銀王朝の支配」を指摘し、この「王朝の支
配」に反対を唱えたのです。この大蔵省・日銀主導の「日本的シ
ステム」の廃止を主張した若き野口氏らの発言は、一部の論者に
好意的に評価されたのです。
 官僚主導経済として、日本の「構造」問題を指摘する野口氏ら
の手法は、前川レポートなどの政策提言、開発主義的な主張を展
開した村上泰亮元東大教授の「反古典の政治経済学」(中央公論
社/1992年)などに代表される強力な「同伴者」を得て、今
日では政府や論壇の中で一大勢力をもつまでになっています。
 また野口氏は、同じ意味のことを「1940年体制」という表
現を使っており、同名の著書も上梓しています。
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           野口悠紀雄著/東洋経済新報社
    「『新版』1940年体制/さらば戦時体制」
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 「1940年体制」というのは、日本的な企業、経営、労使関
係、官民関係、金融制度など日本経済の特徴とされる様々な要素
が、1940年頃に戦時体制の一環として導入されたとする概念
であり、戦後も高度経済成長の原動力となるなど、きわめて有効
に機能したのです。戦後の日本の復興を支えたのは、この概念だ
というのです。
 唐突ですが、ここで問題です。次の国はどこの国でしょうか。
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  この国はまじりけのない資本主義が特徴。この国では企業が
 外部資金を調達する主たる場は株式市場なのです。株主は非常
 に強力で、高い配当を要求します。そのために経営者は短期的
 利益を求める傾向があります。
  経営役員の多くは社内から選ばれず、外部の者が任命される
 のが通例です。強烈な企業買収戦のために経営者はいつ企業買
 収の攻撃を受けるかわからないので不安です。もし、業績を上
 げなければ、即座に地位を追われる可能性があるのです。
  この国の労働市場では採用・解雇が頻繁に行われ、従業員の
 転職率も高いのです。所得と富の格差は巨大です。貯蓄率は低
 く、消費が80%と国内総生産の最大部分を占めています。政
 府の規制は少ないし、官僚が経済に直接的な影響力を行使する
 ことは少ないのです。政策課題については激しい論争があり、
 国民は政治に強い関心を持っているのです。
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 実は、このクイズは2001年7月19日付のEJ第662号
で、私が出したものであり、再現です。当時熱心な何人か読者か
ら回答をいただいたのですが、正解者はゼロだったのです。
 「米国」という答えが多かったのですが、正解は「1920年
代の日本」なのです。1920年は大正9年です。当時の日本は
実は自由放任の経済システムを有し、純粋な自由市場資本主義の
国だったのです。企業は必要に応じて中途採用を行い、必要がな
いと判断したときは容易に解雇したのです。従業員の方も、より
良い職場があれば躊躇なく辞め、条件の良い職場に移ったので、
転職率は1980年代の日本に比べて3倍以上になっています。
 それに1920年代には本物の資本家がいたのです。個人や一
族が企業の株式の相当部分を保有していたのです。どの株式でも
個人株主が大半を占めたのです。1990年代初期の個人株主の
比率は15%以下であり、対照的です。
 驚くべきことはまだあります。大企業の取締役の大多数は社外
重役であり、いずれも株主から送り込まれた人たちです。これに
対して、1990年代は大企業の取締役の90%以上が社内の企
業経営陣から選ばれていることはご承知の通りです。
 1920年代において株主の力が強かったのは、企業が資金の
半分以上を株式市場で調達していたからです。この時代の株主は
高い配当を要求し、企業は利潤のできるだけ多くを配当として支
払わなければならなかったのです。
 どうでしょうか。信じられるでしょうか。当時の日本と現在の
日本は、なぜかくも変貌してしまったのでしょうか。
 その理由ははっきりしています。それは「戦争があったから」
なのです。戦争によって日本は戦時経済に移行することになり、
1920年代の経済体制とは大きく変わらざるを得なかったので
す。それに、1920年代が深刻なデフレ経済であったことも、
当時の経済体制を変えようという方向に強い力が働いたことも事
実なのです。
 そして1929年に米国で大恐慌が起こり、世界中の経済が混
乱し、失業者が街にあふれるという事態が発生。これによって、
資本主義体制に疑問が出てきたのも、ちょうどこの頃なのです。
政府があまり介入できない自由市場資本主義が、果たしてうまく
やっていけるのかという疑念が起こっていたのです。当時、ソ連
は大恐慌の影響をほとんど受けず、失業者も出ていなかったから
です。資本主義に対する疑問が起きていたということも経済体制
の変わる前兆だったといえます。
 野口氏のいう「1940年」という年は昭和15年。実は、東
京オリンピックが開催されることになっていたのです。ところが
日中戦争の影響などで日本はオリンピックを返上しています。そ
して、1941年には太平洋戦争が勃発するのです。まさに「戦
時総力戦経済体制」です。   ──[新自由主義の正体/37]

≪画像および関連情報≫
 ●「1940年体制/さらば戦時体制」/書評
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  とても面白かった。この本が指摘することは、通常、我々は
  戦後改革や民主化がその後の日本の繁栄を準備し、経済復興
  と高度経済成長の基となったと教えられているし、考えてい
  る。しかし、そうした面ももちろんあるものの、日本型経済
  システムの多くは、実は1940年前後につくられている。
  つまり1940年前後の戦時経済・国家総動員体制期につく
  られたシステムこそが、戦後から今に至る日本の本当の生み
  の親で我々にとって本質的な意味を持っているということで
  ある。日本型経営システムと呼ばれている、終身雇用・年功
  序列・従業員中心主義、さらに企業別労働組合。公団・公庫
  といった官僚の天下り先の機関。現在の源泉徴収制度や、所
  得税中心・直接税中心の税体系。地方交付税や補助金。それ
  らは皆この1940年前後につくられた。1930年頃まで
  はかなり自主財源を持ち強い権限のあった地方自治体は、完
  全に中央集権的な政府の統制のもとに組み込まれた。直接金
  融ではない、間接金融を中心としたシステムもこの時期の産
  物。食糧管理法、借地借家法も。敗戦によっても40年体制
  は、特に大蔵省などの経済官僚、および金融体制は、無傷で
  連続して存在した。以上のことが、この本の前半では明晰に
  説き明かされ、読んでいて目からウロコだった。戦後、40
  年体制において、人為的低金利政策と金融鎖国が行われ、そ
  の結果として重工業化が進められた。
                   http://bit.ly/1mplTQR
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野口悠紀雄著「1940年体制」.jpg
野口 悠紀雄著「1940年体制」
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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