2007年04月26日

WWWに構造変化を与えたモザイク(EJ2069号)

 エリック・ビーナとマーク・アンドリーセン――この2人は優
秀なプログラマでしたが、それぞれタイプは異なっており、2人
が組むことによって、グラフィックスが表示できる新しいブラウ
ザ――2人で「モザイク」と命名――は一層現実味を帯びること
になったのです。
 後にエリック・ビーナは、アンドリーセンのことを次のように
いっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 プログラマは「一般に視野がせまくなりがち」であるのに対し
 アンドリーセンは「おどろくほど興味の範囲の広い」点で、ほ
 かの技術者とは違っていた。NCSAとネットスケープにとっ
 てかけがいのない存在となったのは、技術の知識があったから
 ではなく、いつも興味を持っていた技術以外の幅広い分野の物
 事を、技術の知識とむすびつけることができたからだ。
            ――ロバート・リード著/山崎洋一訳
 『インターネット激動の1000日/WWWの地平線を切り開
           くパイオニアたち』上巻 日経BP社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 アンドリーセンがアイデアを出すと、ビーナはわずかな時間で
プログラムを書き、デバッグしてプロトタイプを作る。そうする
と、アンドリーセンがそのプロトタイプの改良ポイントを出す。
そうすると、ビーナはそれを修正するというように、モザイクは
どんどん完成度を増していったのです。
 アンドリーセンはあくまで実用的観点に立って、モザイクの機
能についてアイデアを出し続けたのです。こういう存在の司令塔
がいなければ、どんなに優秀であってもプログラマ同士では、モ
ザイクを完成させることはできなかったと思われます。
 そして、1993年のはじめにモザイクは、そのウェブ・サー
バー・ソフトと共にNCSAのサーバーで公開されたのです。こ
のとき、モザイクはUNIXマシンで動いていたのです。しかし
NCSAのメンバーはそれだけで満足しなかったのです。「イン
ターネットを技術エリートだけのおもちゃにしてはならない」と
いう考え方からです。
 大学院生、ジョン・ミッテルハウザーがPC、ユーゴスラヴィ
ア人のアレックス・トーティックがMACへの移植を担当し、作
業を行っていたのです。
 モザイクのUNIXバージョンは、数週間のうちに数万人がダ
ウンロードしています。そして数ヵ月後にはそれが数十万人に拡
大したのです。実際には数十万人どころではなかったと思われる
のです。というのは、当時はダウンロードの状況を追跡するシス
テムがなかったので、本当のところは誰にもわからないというの
が真実なのです。
 モザイクの登場で人々はウェブサイト――ホームページを現実
のものとして認識するようになったといえます。やはり、文字だ
けよりも、グラフィックスが入ると外観の見栄えが圧倒的によく
なったからです。
 それに拍車をかけたのは、モザイクがPCやマックで使えるよ
うになったことです。1993年の秋のことです。これについて
上掲の書籍の著者であるロバート・リード氏は次のように述べて
います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 PC版とマック版のモザイクがインターネットで公開されたの
 は、1993年の秋のことだった。このデビューによって、そ
 れから起きるすべての大変動の舞台装置がととのった。ティム
 ・バーナーズリーが、インターネットに誰でも操作できるイン
 ターフェースを与えた。モザイクがそこへ、人々を引きつける
 外観を与えた。さらにPCとマックへの移植で、家庭やオフィ
 スで使われる大衆向けコンピュータでもインターネットを使え
 るようになった。このときはじめて、インターネットは、大衆
 を引きつけ、誰でもアクセスできるメディアへの一歩を踏みだ
 した。        ――ロバート・リード著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように、モザイクはUNIXバージョンだけでなく、PC
バージョンも1993年の秋には公開されていたのです。そのと
き、マイクロソフト社は「シカゴ」の暗号名でウインドウズ95
を制作中であったのです。しかし、モザイクの出現でWWWの進
化が一挙に進み、インターネットの様相が大きく変わりつつあっ
たことをビル・ゲイツがそれをきわめて重要な技術のトレンドと
して考えていなかったことは確かなようです。
 1993年においては、インターネット接続のためのインフラ
が十分成長していたのですが、あらゆるネットワークはその独自
技術のために切り離され、LANのような内部指向のネットワー
クも、オンライン・サービス(パソコン通信)のような外部指向
のそれも、ばらばらの状態だったのです。
 当時オンライン・サービスはコンピュサーブ、プロディジー、
AOLなどの商用のサービスが最盛期を迎えており、それらの延
べ利用者は、過去2年間で50%増加し、350万人を超えてい
たのです。しかし、それは、相互にコミュニケーションを取りた
いというユーザの意思のあらわれであり、オンライン・サービス
事業がその後発展・拡大することを意味していなかったのです。
 マイクロソフト社をはじめとする多くのIT企業が、ネット上
における相互コミュニケーションを苦もなく実現してしまうイン
ターネットに重要な評価を下していなかったのです。
 モザイクが勢いづくのに時間は必要としなかったのです。それ
はまさに怒涛の進撃だったのです。ひとたび動き出すと、その勢
いは止めようがなかったのです。そういう通信の大変化が、ウイ
ンドウズ95が発売される2年も前からはじまっていたのです。
そして、それはやがて全世界を巻き込む一大ブームとなっていく
のです。それは、NCSAの若いプログラマたちの起こした革命
だったのです。 ―― [インターネットの歴史 Part2/35]


≪画像および関連情報≫
 ・「モザイク」関連のサイトから
  ―――――――――――――――――――――――――――
  マーク・アンドリーセン氏がイリノイ大学の仲間たちととも
  に『モザイク』を世に送り出してから今年で10年になる。
  モザイクは、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)を閲覧する
  ために作られた世界初のブラウザーソフトだ。しかし、アン
  ドリーセン氏に言わせれば、インターネットが日常生活にど
  のように定着するか、最終的な形が決まるまでには時間が必
  要で、われわれはまだその過程の半分にも到達していないと
  いう。
  ―――――――――――――――――――――――――――
  http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20030224105.html

2069.jpg
posted by 平野 浩 at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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