たアジア通貨の急激な通貨下落現象のことです。これによりタイ
インドネシア、韓国は、経済に大きなダメージを受け、IMFの
管理下に入ったのです。
1997年7月2日のことです。タイの通貨バーツがたった一
晩で、25%急落したのです。原因は、それまでタイに大量に流
入していたヘッジファンドをはじめとする投機資本が一斉に流出
したことです。
ヘッジファンドたちは、タイで一体何をやったのかについてご
紹介することにします。それが彼らの仕事であるといえばそれま
でですが、それは実に情け容赦ないものだったのです。
まず、タイの銀行で「240億バーツ」の融資を受けます。そ
のときの相場は「1ドル=24バーツ」だったのです。それをド
ルに換えて10億ドルの現金を手に入れます。
続いてヘッジファンドは相場を操作して、「1ドル=40バー
ツ」まで「ドル高/バーツ安」を仕掛けます。時期を見て一斉に
バーツを売り浴びせれば、タイ政府は買い支えられず、バーツは
確実に安くなるからです。
そして「1ドル=40バーツ」になると、6億ドルをバーツに
換えて240億バーツをつくり、銀行に返済するのです。これで
ヘッジファンドの手元には4億ドルの現金が残ります。自己資本
ゼロで、たったの一週間で4億ドルですから、大儲けです。
こういうことをさんざん繰り返して、タイミングを見て一斉に
投機資本を流出させるのです。タイではこの年GDPの7.9 %
に相当する額が流入から流出に逆転したのです。これは明らかに
周到に計画的に行われたもので、バックに時のクリントン政権の
財務省とFRBとIMFの影があるのです。
この影響は、マレーシア、韓国、フィリピン、インドネシアへ
と拡大したのです。失業率はタイで3倍、韓国で4倍、インドネ
シアでは10倍に跳ね上がったのです。
それらの国ではGDPは多く落ち込んだのです。1998年に
は、タイで10.8 %、韓国で6.7 %、インドネシアでは実に
13.1 %下落したのです。これによって貧困層は拡大し、韓国
の都市部では3倍、インドネシアでは2倍になったのです。
本来こういう危機のためにIMFが存在するのです。しかし、
彼らのやったことは、危機を終息させるどころか拡大させている
のです。それも意図的にやっています。まさに「ハゲ鷹」です。
IMFは、先進各国からの援助金も含めて1000億ドル──
12兆円を用意したのです。そしてこれを救済資金として提供し
危機に瀕した国々の為替相場を維持させようとしたのですが、こ
れに失敗したのです。
それに援助資金の多くは、強制的に欧米の銀行への返済に回さ
れたので、その国への支援になどならなかったのです。しかも、
IMFは融資に際して例のワシントンコンセンサスを前提に、さ
まざまな細かな条件を付けたのです。
IMFは、物価上昇率、成長率、失業率など100項目以上の
条件を設定し、しかもそれぞれに達成期限を設けているのです。
そのなかには、金融危機に何ら関係ないものも含まれていたので
す。例えばインドネシアについては、政府が社会保障として実施
している食糧と貧困層が調理に使うパラフィン油への補助金の廃
止を要求しています。まさに血も涙もないえげつない要求をIM
Fは平然と融資の条件にしているのです。
このとき、ノーベル経済学賞受賞のコロンビア大学のジョセフ
・E・スティグリッツ教授は、世界銀行のチーフ・エコノミスト
をしていたのですが、それがどういう結果を生むか十分わかって
いながら、IMFが金利を上げるよう条件を付けたことを問題視
しています。
確かに外国資本の流入のためには金利の引き上げは、政策とし
ては間違っていないのですが、それも程度問題です。IMFの要
求はなんと25%以上引き上げよといったのです。
アジア諸国の企業の多くは、自己資本の充実よりも銀行融資に
大きく依存しており、金利、それも25%以上というベラボーな
金利になれば商売にならず、倒産するしかなかったのです。
こんな無茶苦茶な要求に対してもアジア諸国は融資を受けるた
めにはIMFの要求を受け入れざるを得なかったのです。その結
果、インドネシアでは、75%の企業が経営難に陥り、タイにお
いては、銀行融資の50%が焦げ付いたのです。もはや、いくら
高金利でも、貸付先がいつ倒産するかわからない状態では、海外
資本が流入するはずはないのです。
また、IMFは、アジア諸国の金融機関の脆弱な体質を問題視
し、自己資本比率の基準を直ちに満たすよう要求し、それができ
ない銀行の閉鎖を求めたのです。銀行としては、これを達成する
には、次の3つの方法しかなかったのです。
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1.株主から新しい資本を集める
2.融資条件を厳しくし貸さない
3.貸付先企業に返済を要求する
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このようなことが金融危機に陥った国の銀行にすぐにできるこ
とではないのです。とくにインドネシアではこれによって16の
銀行が閉鎖され、預金者たちはパニックに陥り、一斉に国営銀行
に預金を移したので、民間銀行は次々に潰れたのです。
インドネシアの場合は、これで終わらなかったのです。数万人
の国民が暴徒化し、多数の商店、銀行が襲撃され、放火され、大
火災になったのです。スティグリッツ教授は、IMFにそんなこ
とをすれば「どんな悲劇が起こるかわからない」と警告した通り
のことがインドネシアで起きてしまったのです。これに関しても
IMFは反省するどころか、平然としていたといいます。これが
クリントン政権の「世界を救う三銃士」が国外でやった新自由主
義化の悲惨な一例なのです。 ──[新自由主義の正体/34]
≪画像および関連情報≫
●ショック・ドクトリン/アジア通貨危機の場合
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ショック・ドクトリン(ナオミ・クライン著)の下巻に19
97〜98にかけて起きたアジア通貨危機のケースが詳述さ
れています。そのなかから、韓国の場合を中心として要点的
に述べてみます。1997年のアジア通貨危機は、アジアか
ら投機的短期資金がどっと逃げ出したことからはじまった。
ウォール街の有力投資アナリストたちはこの危機を、アジア
市場を保護している古い規制をすべて取り払うチャンスだと
捉えたのである。その急先鋒モルガン・スタンレーのストラ
ジスト、ペロスキーは、「危機がこのまま悪化すれば外資は
すべて流出し、アジア企業は廃業に追い込まれるか、欧米の
企業に身売りするしかないだろう」と述べている。モルガン
・スタンレーにしてみれば、どっちに転んでもうまい話であ
る。FRBのグリーンスパン議長も公然と同じような見解を
口にした。アジア経済危機を「わが国のような市場システム
にたいする合意に向けた画期的な出来事」だと表現し、「今
回の危機はアジア諸国に、いまだ多く残る政府主導型経済シ
ステムの撤廃を促進するだろう」と述べた。IMFのカムド
シュ理事も、似たような見解を示した。「今回の危機はアジ
アにいまだ残る古い殻を脱ぎ捨てて新たに生まれ変わるチャ
ンス」だと語った。IMFは危機発生の原因に一切目を向け
ることなく、弱みに付け込んで、危機に陥った国が援助を請
うよう仕掛けたのである。 http://bit.ly/1p9nwda
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ワシントンコンセンサスの設計者