2014年06月24日

●「クリントン大統領は何をやったか」(EJ第3818号)

 クリントン政権にとっての急務は、それまで軍事予算と軍事バ
ブルで国内経済を成長させてきた米国をどのようにして方向転換
させるかということにあったです。
 ちょうど時代は、製造業中心の経済からITと金融業が中心の
経済に移りつつあったのです。そこでクリントン大統領は、これ
まで軍事費に投入していた予算の多くを道路交通網整備や地域開
発、職業教育、学校教育施設の拡充などの国内の公共投資に使い
内需を拡大しようとしたのです。この政策は、ブッシュ(父)政
権の経済政策の失敗で、デフレ気味になっていた米国経済を立て
直す景気回復策になったのです。
 それと同時に株式市場では、当時立ち上がりつつあったIT企
業に対し、可能な限り政府支援を行うとともに、軍需バブルなら
ぬ「ITバブル」を演出して、そこへの民間投資を喚起しようと
したのです。
 これを見るとわかるように、クリントン政権は、レーガン時代
のサプライサイド経済学とは決別し、明らかにケインズ学派の需
要喚起政策をとっています。そのため、クリントンはネオコンか
ら「社会主義者」と罵られたのです。
 菊池英博氏は、このときクリントンの実施した政策は、デフレ
基調の経済を成長路線に戻すよいサンプルになるとして、次のよ
うに述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 クリントン政策の特徴は、「デフレ傾向の経済を回復させるに
 は、政府が率先して投資をし、有効需要を喚起することが必要
 である」という基本認識を持ち、政府投資の増加に見合うよう
 に金融を緩和していったことであった。クリントンの財政支出
 の内容を見ると、政府支出を政府投資と公共投資に集中させて
 おり、デフレ経済を成長路線に戻す格好の実例である。
     ──菊池英博著/『そして、日本の富は略奪される/
   アメリカが仕掛けた新自由主義の正体』/ダイヤモンド社
―――――――――――――――――――――――――――――
 添付ファイルを見てください。これは過去20年間の米国の財
政支出の推移をあらわしており、クリントン政権、ブッシュ政権
のそれぞれ1〜2期目、オバマ政権の1期目の財政支出の推移が
よくわかります。菊池英博氏の著書からの引用です。
 クリントンは、その1期目においては、債務国でありながら、
あえて財政赤字を増加させ、公共投資を実施して景気回復に重点
を置いています。つまり、景気対策を重視し、それによって税収
の増加を図る政策をとったのです。つまり、クリントン政権は、
次の経済政策の基本に基づいて政策を実施しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済がデフレ下にあるとき ・・・ 財政赤字を増やすこと
 経済がインフレであるとき ・・・ 財政黒字を増やすこと
―――――――――――――――――――――――――――――
 これによって税収は徐々に増加し、5年後の1998年には遂
に財政収支が黒字になったのです。クリントンは黒字化に成功し
ても財政支出をその後も年3%増加させ、その増加分を政府投資
に支出しています。日本では、景気が少しでも回復すると、緊縮
財政を行い、景気回復を何回も潰してきた過去があります。
 かくしてクリントン政権8年目には、財政黒字は2362億ド
ルになり、8年間で5265億ドルの財政収支の改善に成功して
いるのです。
 このクリントンの経済政策の成功は、米国を再び福祉型資本主
義に戻そうとする意図が感じられます。いうまでもなくこれは新
自由主義とは真逆の考え方です。それでは、クリントン政権は、
レーガン政権の打ち出した新自由主義とは決別することを決めた
のでしょうか。
 そうではないのです。クリントン大統領は、対外的──とくに
日本を含む東アジア諸国に対して、厳しい新自由主義政策をとっ
たのです。なかでも日本に対しては、毎年のように「年次改革要
望書」なるものを突き付けて構造改革を迫り、米国に有利になる
ように日本を変えることを迫ったのです。
 このためのプランを作成したのが、ロバート・ルービンとロー
レンス・サマーズのコンビです。つまり、クリントンは国内では
福祉型資本主義で国を富ませる一方で、基軸通貨国である地位を
利用して、対外的には新自由主義を積極的に推進し、世界の富を
収奪しようと企む二面性のある政治家なのです。
 クリントン政権の初代の財務長官はロイド・ベンツェンです。
しかし、経済政策を実際に立案し、推進したのは、ルービンとサ
マーズの2人なのです
 ロバート・ルービンは、1960年にハーバード大学経済学部
を最優等成績で卒業し、その後他の大学でも学び、1966年に
ゴールドマン・サックスに入社しています。ゴールドマン・サッ
クスではたちまち実績を上げて出世し、1990年に同社の共同
代表に就任しているのです。
 ローレンス・サマーズは、16歳でマサチューセッツ工科大学
に入学して経済学部を卒業し、ハーバード大学で博士号を取得し
ています。そして1983年には、28歳の若さでハーバード大
学教授に就任しています。最年少教授の誕生です。
 サマーズは、1982年から2年間、レーガン政権の大統領経
済諮問委員会のスタッフを務め、レーガノミックスを推進したの
です。クリントン政権では財務次官に就任し、1995年にルー
ビンが財務長官に就任すると、財務副長官に移り、1999年7
月にルービンが辞任すると、財務長官に就任したのです。
 ここで留意しておくべきことは、ルービンは米国を代表する投
資銀行であるゴールドマン・サックスの代表者であり、サマーズ
は新自由主義の経済学者であるとともにクリントン政権の財務長
官であることです。それにFRB議長のグリーンスパンを加えた
3人が、その後の世界経済を動かしていくことになるのです。
               ──[新自由主義の正体/32]

≪画像および関連情報≫
 ●クリントン政権期のアメリカ経済/二村宮国氏
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  1990年代のアメリカ経済は、アメリカ史上最長の景気拡
  大、株価上昇を記録し、失業率もインフレ率も低下する“繁
  栄の90年代”を実現した。ジャーナリズムは、この繁栄の
  下のアメリカ経済を「ニューエコノミー」と名付けた。この
  言葉は、ベトナム戦争以降の長い経済・社会の停滞・低迷を
  脱し、自信を取り戻した人々の心に刻み込まれ、90年代ア
  メリカを象徴するキーワードとなった。その背景には、IT
  (情報技術)革命に代表される技術革新や金融・投資、貿易
  面でのグローバリゼーションなどの進展によりアメリカ経済
  の体質が変わり、「強いアメリカ経済」が復活したという認
  識がある。同時にそれはITに裏打ちされた国際経済におけ
  るアメリカの優位は21世紀になっても揺るがないという自
  信を示す言葉ともいえるだろう。多分に政治的思惑が含まれ
  ていると思われるが、クリントン政権、また、政権と緊密に
  協力して金融政策のカジ取りを進めた米連邦準備制度理事会
  (FRB)のアラン・グリーンスパン議長もこの言葉を認知
  した。だが、こうした議論にはアメリカ国内にも、また、海
  外諸国にも批判がある。2001年1月、米国ルイジアナ州
  ニューオーリンズで開催されたアメリカ経済学会では「ニュ
  ーエコノミー」論をめぐり擁護派と批判派が厳しい論争を繰
  り広げた。            http://bit.ly/1rlk2Bn
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過去20年間のアメリカの財政支出の推移.jpg
過去20年間のアメリカの財政支出の推移
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
中国企業が、J-10の試作段階で設計変更を行ったのは1998年のことで「そこで、DSIダイバーターレススーパーソニックインレットの理論が盗まれて成都航空に引き渡されてる。」
その時の大統領がクリントンでクリントン政権下の国務長官、防衛長官、法務執行官やアーカンソー州知事は全て疑ってかかるべし。妻のヒラリーも同じこと。ヒラリーはもっとひどい、ステルス技術を盗まれてるからだ。
分かりやすく言うと夫婦そろって中国ハッカーやスパイに協力したってこと。
Posted by 堀元根 at 2016年11月02日 16:15
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