れは、軍事費の増加により、財政赤字が増大したので、FRBは
それをファイナンスするため、金融緩和をしたからです。
大手企業は、余剰資金を使って株安の企業を買収し、株式ブー
ムを巻き起こし、株式市場は「軍需バブル」の様相を呈してきた
のです。とにかく市場で株高を演じること──実体経済の低迷を
隠すために株式ブームを引き起こす必要があったのです。
ちょうどその時期、1987年8月にレーガンは、経済アナリ
ストで、コンサルタント会社を経営していたアラン・グリーンス
パンをFRB議長に指名したのです。グリーンスパンは以来20
06年1月に退任するまでの19年間、FRB議長を務めること
になるのです。
1987年10月19日、「ブラックマンデー」と呼ばれる株
価大暴落があったのです。グリーンスパンがFRB議長に就任し
た2ヶ月後のことです。まるでグリーンスパンFRB議長の手腕
を試すかのような出来事です。
ところで、この株価暴落が、なぜ「ブラックマンデー」と呼ば
れるのでしょうか。1929年のときは「ブラックサースデー」
と呼ばれたのですが、そのときよりも株式の下落率が大きかった
からです。つまり、過去最大の下げであったのです。
ダウ30種平均の終値は前週末よりも508ドル下がり、その
下落率は「22.6 %」と、1929年の「12.6 %」を10
ポイントも上回ったのです。
原因は、米国の貿易収支の赤字幅が予想以上に膨らんでいたこ
とと、1985年のプラザ合意以後のドル安打開のために金利が
引き上げられるとの観測が広がっていたからです。
このとき、グリースパンは次のような短い声明を発し、即時に
積極的な金融政策をとって信用不安を防ぎ、その後の景気後退に
さいして金融緩和策で対応したのです。
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FRBは流動性を提供する準備ができている
──アラン・グリーンスパン
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ブラックマンデーから5週間後にウォール・ストリート・ジャ
ーナル紙は、「新しい議長は試験に合格した」という記事を載せ
ましたが、プリンストン大学教授のアラン・ブラインダー元FR
B副議長は、グリーンスパン議長のことを「マネタリー・ケイン
ジアン」と揶揄したのです。これに関連して、グリーンスパン議
長について、菊池英博氏は次のように述べています。
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本来、グリーンスパンはマネタリストであるから、「市場には
介入すべきではない」という判断をするのではないかと懸念さ
れていた。しかし、実際には市場に介入して市場の崩壊を救っ
たことで評価を高めたのである。これこそ「政府・中央銀行は
市場に介入すべきではない」「投機などありえない。放置すれ
ば、均衡点に達する」というフリードマンの主張から見れば、
まったく反対の市場介入を実施したのである。ここに、彼らの
まやかしがある。 ──菊池英博著
『そして、日本の富は略奪される/
アメリカが仕掛けた新自由主義の正体』/ダイヤモンド社
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ミルトン・フリードマンの思想をベースにして、米国が後にス
ティグリッツ教授のいう「世界の99%を貧困にする経済」をつ
くり出すには、何代かの米国政権が必要であったのです。
レーガン政権にはじまって、ブッシュ(父)政権、クリントン
政権、ブッシュ(子)政権の4つの政権を経てそういう経済が出
来上がってきているのです。
そういう経済をつくるさい、米大統領の下で、中心になって働
いた人物の一人がアラン・グリーンスパンであり、後の財務長官
であるロバート・ルービンとローレンス・サマーズなのです。こ
の3人は当時「世界を救う三銃士」といわれていたのです。
レーガンの後を受けて大統領に就任したブッシュ(父)政権は
レーガノミックスによってできた双子の赤字の債務国としての負
担を軽減させようとして、選挙では公約していなかったのに、増
税と歳出削減を中心とする緊縮財政をとったのです。これによっ
て、5000億ドルの増収を見込んだのです。
しかし、何らの景気振興策をとらずに実施したため、景気が減
速し、経済はデフレ傾向になり、増収どころか、減収になってし
まったのです。本当のデフレにならなかったのは、巨額の軍事費
支出によって経済が軍事バブルの状態になっていたからです。
こういうとき、国の為政者のやることは、外交面で成果を見出
すことです。その成果が1989年12月のソ連との冷戦の終結
宣言です。ブッシュ(父)大統領は、地中海のマルタ島で、ソ連
のミハイル・ゴルバチョフ共産党書記長と会談し、冷戦の終結を
宣言したのです。
このブッシュ(父)を大統領選で破ったのは、ビル・クリント
ンなのです。クリントン陣営は、ブッシュ(父)政権が財政再建
に失敗して経済を停滞させた失敗を追及し、経済の立て直しを宣
言して、対イラク湾岸戦争の勝者ブッシュ(父)政権を破ったの
です。そして、1993年1月にビル・クリントンは大統領に就
任したのです。12年ぶりの民主党政権です。
クリントン大統領は、「アメリカ変革のビジョン」として次の
2つを上げ、経済の立て直しに取り組んだのです。
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1.官民ともに支出を消費から投資に向け雇用を増大する
2.政府本体の消費項目を削減し、公平な税制を導入する
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このとき、クリントン大統領が経済の立て直しに何をしたかは
とても重要です。これを支えたのは、例の「世界を救う三銃士」
だったのです。 ──[新自由主義の正体/31]
≪画像および関連情報≫
●全力で事態を悪化させるグリーンスパン──クルーグマン
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『ワシントンポスト』のコラムニスト、スティーブン・パー
ルスタインがアラン・グリーンスパンの新著を読んでこんな
ことを発見してる。この前FRB議長は、彼の在任中におき
たひどい事態のあらゆることになんら責任がないと思ってい
る――しかも、金融危機への解決策に彼がもちだしてるのが
案の定、政府を小さくすることだ。パールスタイン氏が言及
していないけれど、ぼくが重要だと考えていることがある。
それは、グリーンスパン氏が議長を退いてから残している見
事な実績だ――あらゆることについて間違い、しかもそこか
らなんにも学んでいないという実績だ。とりわけ、「アメリ
カは今日にでもギリシャみたいになるぞ」とグリーンスパン
氏が警告し、インフレと金利急騰がまだ起きていないのは、
「残念なこと」だと発言してから、かれこれ3年以上にもな
る。要点はこれだ――グリーンスパン氏はたんにダメ経済学
者なばかりか、ダメな人でもあって、自分の在職中と退任後
におかした過ちの責任を受け入れるのを拒絶している。それ
にも関わらず、彼はまだ引っ込まずに、最善を尽くして世界
をいっそうダメにしようと励んでいる。
http://bit.ly/1pnVNRK
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アラン・グリーンスパン元FRB議長
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