について述べることにします。
EJでは、10年以上前のことですが、2003年にレーガン
政権の正体について書いたことがあるのです。このときのEJは
ブログに掲載していないので、次のテーマでリライトして取り上
げようと考えています。
2003年6月17日付のEJ第1129号において私は、レ
ーガン政権について次のように書いています。
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元ハリウッド俳優でカルフォルニア州知事のロナルド・レーガ
ン(共和党)――彼は「強いアメリカ」の復活をかかげて登場
し、1980年の大統領選で現職のカーター大統領(民主党)
を破ってホワイトハウス入りを果たしています。しかし、なぜ
レーガンなのでしょうか。レーガン大統領は米国のフーバー研
究所のスタッフが作り出した大統領であるといわれます。彼は
タカ派で、右翼で、古き良き時代の保守派のイメージを持つ人
物像を演じる格好の役者として、メイクアップされた作られた
大統領なのです。このような好ましいイメージを作り出してお
いて、そのキャラクターの中に自らの意図を注入して中身をす
り替える――これを「寄生する」というのですが、これが、当
時の米国を牛耳る勢力――国際ビジネスマンの常套手段なので
す。当然傀儡の大統領には腕利きのスタッフが送り込まれるこ
とになります。 ──2003年6月17日付
EJ第1129号「レーガン政権はベクテル社の傀儡」
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ところで、ベクテル社とは何でしょうか。
レーガン政権の時点で、年間売上高は4兆円を軽く超えており
文字通り世界最大の巨大企業です。IBMとAT&Tを合わせた
よりも大きいのです。それなのに社名がほとんど知られていない
のは、株式を公開していないからです。
もっとわかりやすくいうならば、ベクテル社は、戦争で破壊さ
れたものを再建することで儲けている会社なのです。例えば、湾
岸戦争後のクゥエート復興を受注したのもベクテル社なのです。
政府に対して強い影響力を持っており、場合によってはある国に
戦争を仕掛けさせ、その復興事業を受注して儲けるという「死の
商人」のような仕事をしているブラック企業です。あの沖縄名護
基地の浮体工法を提案しているのもべクテル社なのです。
第1期レーガン政権の国務長官はアレクサンダー・ヘイグです
が、就任早々外交問題をめぐってレーガン大統領と意見が合わず
1982年6月に辞任しているのです。そのときヘイグに代わっ
て国務長官に就任したのは、ジョージ・プラッツ・シュルツとい
う人物です。
シュルツは、ニクソン政権下で労働長官、行政予算局長官、財
務長官を歴任しており、手堅い実務派の政治家であったので、レ
ーガンは、シュルツに最初から国務長官就任を要請していたので
すが、シュルツに断られていたのです。
もう一人レーガン政権の閣僚にキャスパー・ワインバーカーな
る人物がいます。彼は国防長官です。実は、この2人はベクテル
社の社長(シュルツ)と副社長(ワインバーカー)であり、レー
ガンの選挙戦を仕切った中心人物です。
さらに、ベクテル社の関係者でレーガン政権に参加した人物が
2人いるのです。エネルギー省副長官のケネス・デービス──ベ
クテル社の原子力施設建設担当副社長と大統領特使のフィリップ
・ハビブ──ベクテル社のコンサルタントです。したがって、レ
ーガン政権には閣僚クラスにベクテル社の人間が4人も入ってい
ることになります。明らかに異常なことであるといえます。
もうひとつ、レーガン第2期政権の前後に次の2つの大きな航
空機撃墜・墜落事件が起きているのですが、これとレーガン政権
が無関係ではないことです。
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大韓航空撃墜事件 ・・・・・ 1983年 9月 1日
日航機墜落事故事件 ・・・・・ 1985年 8月12日
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ネットを見ると、レーガン政権とこれら2つの航空機墜落事故
との関係を匂わせる記事が散見されます。この詳細については、
次のテーマで詳しく述べるつもりですが、あらかじめ概要を述べ
ておきます。
大韓航空撃墜事件は、レーガン政権の異常とも思えるソ連脅威
論が複雑に絡んだ事件です。単なる大韓航空機サイドのミスによ
る航路逸脱ではなく、ソ連の脅威と非情さを全世界に知らしめる
ための米国サイドの策略であるといえます。
それでは何のためにレーガン政権はそのようなことをやったの
でしょうか。
それは、「戦略防衛構想」(スターウォーズ計画/SDI)の
ための予算獲得にあったと思われるのです。この仕事をメインに
請け負ったのは、もちろんベクテル社です。もっともこの研究が
後のイージス艦の開発に結びつくことになります。
計画の内容は、衛星軌道上にミサイル衛星やレーザー衛星、早
期警戒衛星などを配備、それらと地上の迎撃システムが連携して
敵の大陸間弾道弾を各飛翔段階で迎撃・撃墜し、米国本土への被
害を最小限に留めることを目的にした軍事計画です。
それでは、日航機墜落事故事件はどうしてレーガン政権と関係
があるのでしょうか。
これについては、レーガン政権と日本の中曽根政権に深くかか
わっています。この墜落事故は、単なる事故ではないことについ
ては、EJでは2度にわたって取り上げており、大きな反響を呼
んだものです。しかし、ブログには掲載したことはありません。
したがって、次のテーマでさらに新しい情報を加えて、大韓航空
撃墜事件と一緒にもう一度検証してみようと考えています。
──[新自由主義の正体/30]
≪画像および関連情報≫
●大韓航空機撃墜から30年/戦闘機元操縦士語る
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1983年9月1日未明、ロシア極東サハリン沖上空で大韓
航空機が旧ソ連軍戦闘機に撃墜され乗客乗員269人全員が
死亡した事件から30年。撃墜した戦闘機の元操縦士が共同
通信の取材にこのほど応じ「軍人としての命令を果たしただ
けだ。ただ、別のやり方もあったのかもしれない」と事件の
重荷を背負ってきた人生を振り返った。元操縦士は、ロシア
南部アドイゲヤ共和国の首都マイコプに住むゲンナジー・オ
シポビッチ元中佐(69)。76年から、サハリンでスホイ
15戦闘機の操縦士として服務。予定航路を逸脱したニュー
ヨーク発ソウル行き大韓機ボーイング747がサハリン上空
を飛行した際、極東各地から緊急発進した戦闘機10機のう
ち1機を操縦していた。当時38歳。元中佐によると、防空
軍の上官から交信で受ける命令に基づいて行動した。計4回
の警告射撃後も大韓機は針路を変えず「撃墜せよ」の命令が
下った。大韓機の右側約5キロの地点から2発のミサイルを
発射。「尾翼付近に命中し、炎上するのを目撃した」。帰還
した基地で同僚に祝福された。「撃墜後は、怖い夢をよく見
た」。事件後に軍の面談調査を受けた後、異動となり、事件
10日後にはマイコプに着任した。元中佐は知らなかったが
領空侵犯機の撃墜を正当化するソ連政府と、民間機撃墜の非
人道性を批判する米国などの非難の応酬が始まっていた。
http://bit.ly/SVF8Ky
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大韓航空007便


