2007年04月25日

アンドリーセンはWWWをどうみたか(EJ2068号)

 現在われわれが使っているインターネット――とくにWWWが
どのようにして作られたかについて追求しているのですが、いま
ひとつはっきりしないことがあります。
 それは、テッド・ネルソンのハイパー・テキストと、ティム・
バーナーズリーのWWW、マーク・アンドリーセンのネットスケ
ープ・ナビゲータの3つの関係がはっきりしないからです。この
なかで、ティム・バーナーズリーについてはテッド・ネルソンの
ことも多少からめて既に説明を終わっています。
 そこで、しばらくマーク・アンドリーセンの立場からWWWに
ついて迫ってみたいと思います。その話の中にテッド・ネルソン
の話を入れていきます。そうすることによって、現在のインター
ネットを明確に把握できると思います。
 マーク・アンドリーセンは、1971年7月にアイオワ州シー
ダーフォルーに生まれ、ウィスコンシン州の小さな田舎町ニュー
リスボンで育ったのです。父は種商のセールスパーソン、母は通
販会社ランズ・エンドの出荷係をしており、裕福な家庭とはいえ
なかったのです。
 アンドリーセンは8歳のとき、図書館でPCと解説書を借りて
BASICでプログラミングをやっているのです。PCは、コモ
ドールのPCだったといいます。しかし、1日が終わるとPCは
返還しなければならず、せっかく作ったプログラム残すことがで
きなかったのです。PCにはプリンタやフロッピーディスクが付
いていなかったからです。
 アンドリーセンは、父親にPCをせがんだのですが、家の収入
ではとうてい買えなかったのです。それでも父親は息子のために
300ドルを工面してタンディのTRS−80を買ってやったの
です。しかし、300ドルではフロッピーディスクなしの本体だ
けだったといいます。
 このように子供の頃からプログラミングに関心を示していたア
ンドリーセンは、卒業したらプログラミングで身を立てようと決
意するのです。アンドリーセンはイリノイ州アーバナ・シャンペ
インにあるイリノイ大学コンピュータ学科に入学します。この大
学には、NCSAという研究機関があることはEJ第2065号
で既に述べた通りです。
 このNCSAにおいて、アンドリーセンは、しばらくソフトウ
ェア・ビジュアライゼーション・グループに務め、三次元空間の
物体の形を作って動かすプログラミングをしていたのです。
 そのとき、アンドリーセンが使っていたワークステーションが
後に彼の事業パートナーになるジム・クラークの率いるシリコン
・グラフィックス社の製品だったのです。
 そういうある日、アンドリーセンは、はじめてWWWを見るの
です。もちろん、ティム・バーナーズリーのWWWをです。当時
インターネット自体は、幅広い分野におよぶかなり便利なツール
になっていたのですが、それを利用するのはかなり困難だったの
です。それはいくつものプロトコルが使われていたからです。
 ほとんどのプロトコルは、情報を取り出すために専用のソフト
が必要であり、さらに情報を送るためには別のソフトを必要とし
たのです。それらのソフトは、インターネットのどこかにあって
インターネットを使う場合はそのソフトのある場所を突き止め、
それをFTPというプロトコルで自分のPCに持ってくる必要が
あったのです。そういうわけで、とても素人の手に負える代物で
はなかったのです。
 さらに、インターネットソフトの大半はUNIXのシステムで
しか動かなかったのです。しかし、UNIXマシン――シリコン
・グラフィックス社のワークステーションもそうですが――きわ
めて高価なマシンであり、それを使うのは一部の専門家に限られ
ていたのです。
 しかし、それに比べるとWWWは操作も簡単であり、普及する
可能性を秘めているとアンドリーセンは思ったのです。使うに当
たっては、情報を取り出すための「ウェブ・ブラウザ」と情報送
信用の「ウェブ・サーバー」という専用ソフトが必要なだけだっ
たからです。
 しかし、アンドリーセンは、WWWには2つの問題点によって
「きわめて退屈」であると感じたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.すべてが文字で構成され、画像も音も色も出ないCUIで
   しかないこと。
 2.WWWに必要なソフトは、NEXTキューブでしか使えな
   いということ。
―――――――――――――――――――――――――――――
 CUIは、キャラクター・ユーザ・インタフェースという意味
であり、文字だけしか表示されないインターフェースのことをい
うのです。これに対してウインドウズはGUI――グラフィカル
・ユーザ・インタフェースになっています。
 当時のWWW用のソフトの多くがNEXTキューブでしか使え
なかったのは、WWWの開発者のティム・バーナーズリーが開発
に使ったコンピュータがNEXTキューブだったからです。しか
し、NEXTキューブは使っている人は少なく、使っている人は
研究者がほとんどだったのです。
 アンドリーセンは、WWWにグラフィックスを取り入れ、さま
ざまな媒体で外観を作ったら面白いと考えたのです。そのために
は、エリック・ビーナの協力を得る必要がある――アンドリーセ
ンは考えたのです。エリック・ビーナは、NCSAの正式の職員
で、非常に精密なプログラムを書く人物だったのです。
 しかし、ビーナはなかなかアンドリーセンの説得を受け入れな
かったのです。アンドリーセンは、自分の考え方をわかってもら
うためにプロトタイプまで作って説得したのです。ビーナはそう
いうアンドリーセンの真剣さを知って結局OKするのです。19
92年12月のことです。2人は直ちに新しい試みに挑戦をはじ
めたのです。  ―― [インターネットの歴史 Part2/34]


≪画像および関連情報≫
 ・ジム・クラークとSGIについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  スティーブン・スピルバーグ監督の1993年の映画「ジェ
  ラシック・パーク」を覚えているだろうか。樹液に閉じ込め
  られた蚊から、太古の恐竜の血を得て、遺伝子操作で南海の
  孤島に復活させたという恐竜をめぐる冒険譚だが、恐竜たち
  がまるで生きているように映画に出てくるのだ。もちろんぬ
  いぐるみではない。いわゆるCG、コンピュータ・グラフィ
  ックスが使われているのだ。このCGの製作にシリコン・グ
  ラフィックス社――SGI製の画像処理専用コンピュータが
  使われていた。今ではSGIのオニキス――ONYXという
  専用コンピュータが映画やアニメーション製作には不可欠に
  なっている。ハリウッドの映画産業はこのCG技術を活用す
  ることで映画の新しい時代を築くことができた。そのシリコ
  ン・グラフィックス社を興したのは、スタンフォード大学で
  コンピュータ科学を教えていたひとりの準教授だった。彼の
  名はジム・クラーク。今ではだれ一人として彼を知らぬもの
  はいない。少なくともコンピュータに何らかのかかわりがあ
  るかぎり。
  http://www.chienowa.co.jp/frame1/ijinden/Jim_Clark.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

2068.jpg
posted by 平野 浩 at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック