のことから、レーガンは自分がやろうとしていることがあまりよ
くわかっていなかったのではないかと思われます。
どうしてレーガンは「減税政策」をとったのでしょうか。これ
については、次の事実がわかっています。
1974年12月のことです。ワシントンのあるレストランで
南カルフォルニア大学のアーサー・ラッファー教授とウォールス
トリートジャーナルの論説委員たちが会合を持っていたのです。
その席にジャック・ケンプ下院議員(共和党)もいたのです。
話のなかでラッファー教授は、レストランのナプキンに税率と
税収の関係を示す、後にラッファー曲線といわれるようになる曲
線を描いて説明したのです。
ラッファー曲線については、6月12日付、EJ第3810号
(http://bit.ly/1hPuG3q) で説明していますが、ラッファー教
授は次のように主張したのです。
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現在の米国の税率は税収が最大化される税率よりも高い
──アーサー・ラッファー教授
―――――――――――――――――――――――――――――
ケンプ議員はラッファー教授の話を聞いて「なるほど」と思っ
たのです。「減税すれば税収が増えて財政再建ができる」──こ
れは面白いアイデアであると思ったのです。
ケンプ下院議員は、アメフトの選手からの転身ですが、政治の
世界には関心があったのです。また、カルフォルニア州の出身で
あるので、1966年のカルフォルニア州知事選のさい、レーガ
ン候補を支援し、当選に協力しているのです。レーガンとは意気
投合し、オフ・シーズンにはレーガンの事務所で働いていたこと
もあるのです。そして1971年に下院議員になり、1989年
まで、9期18年にわたって下院議員を務めたのです。
さて、ケンプ議員はラッファー教授のアイデアを実現させるた
め、ウイリアム・ロス上院議員と共同で、1977年9月に「ケ
ンプ・ロス法案」を提出しています。連邦個人所得税の減税を行
う法案です。そして、もちろんこのアイデアは、カルフォルニア
州知事時代のレーガンにも伝えられていることはいうまでもない
ことです。
そして、1981年にレーガンが大統領になったとき、「ケン
プ・ロス法案」は、「経済回復税制法」として、1981年8月
13日にレーガン大統領が署名して成立しているのです。
このようにレーガンは経済のことなど、よくわかっていなかっ
たのですが、ケンプ議員のようなアドバイザーが多く彼を取り囲
んでおり、進言しているのです。ミルトン・フリードマンもその
一人であったと思われます。
また、インフレ退治に関しても同様で、これはボルカーFRB
議長に丸投げしていたものと思われます。レーガン自身が何より
実現を期したのは、軍備を強化して、「強いアメリカをつくる」
ことだったのです。
しかし、レーガンの実施した大減税は、ラッファー曲線理論の
ようにうまくいかず、税収は増えるどころか激減したのです。そ
れに強い米国をつくるための巨額の軍事費による膨大な財政支出
によって米国は莫大な財政赤字を抱えることになるのです。
ボルカーFRB議長はインフレを克服するため、高金利政策を
とり、マネーサプライの伸びを抑制してドル高政策をとったこと
から、米国の製造業はたまらず国内の拠点を縮小し、海外移転を
増やしたため、完成品の輸入が激増したのです。
さらに財政赤字をファイナンスするため、外国からの資本が流
入し、ドル高がもたらされ、貿易赤字も拡大したのです。つまり
レーガン大統領が実施した一連の経済政策によって、財政赤字と
貿易赤字が並存する「双子の赤字」の状態になってしまったので
す。この双子の赤字は、1998年のクリントン政権時に財政赤
字は黒字に転じ、一時的に修復されたものの、次のブッシュ政権
で再び財政赤字になって、現在も脱却できていないのです。
なお、皮肉なことに、同じ新自由主義的改革を実施した英国も
現在は双子の赤字の状態にあります。両国ともかつての資本輸出
国であり、成熟した工業国であったのにこの有様なのです。しか
し、米国は基軸通貨国であり、双子の赤字があっても、問題なく
やっていけるのです。
もっと重要なことがあります。米国は第1次世界大戦が始まっ
た1914年に対外純債権国になり、第2次世界大戦後も世界の
覇者として君臨していたのです。だが、レーガン政権の1985
年に71年ぶりに対外純債務国に転落してしまい、現在も脱却で
きていないのです。
ちなみに日本は、2011年末で、対外純資産が253兆円と
なり、21年連続で世界最大の対外純債権国なのです。中国は、
138兆円で2位ですが、日本は大きく引き離しており、ダント
ツの1位の座を占めています。英国は約24兆円、米国にいたっ
ては、約201兆円の赤字になっています。
このように考えていくと、レーガンが実施したレーガノミック
スは明らかに経済政策としては失敗だったといえます。しかし、
現在でも新自由主義的経済政策──小さい政府、規制緩和、法人
税減税、市場主義などのお手本として、導入する国が増えている
のはおかしな話です。日本もそうした国のひとつなのです。
その結果、富裕層・大企業を優遇し、弱者を切り捨て、自己責
任などの新自由主義の精神面は現在の米国には根付いており、国
民には大きな所得格差が生じています。日本も少しずつそういう
傾向が出てきています。
レーガン政権の第2期目の1985年になると、米国経済はど
うにもこうにもならない状況に追い込まれてきたのです。それは
一貫してドル高政策をとってきた米国にとって当然の結果なので
す。対外純債務が累積し、ドルが暴落しかねない恐れが出てきた
からです。 ──[新自由主義の正体/28]
≪画像および関連情報≫
●米国の双子の赤字について
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米国経済の基礎的指標を語る際、しばしば話題に上るのが連
邦政府の財政赤字並びに貿易赤字(ないしは経常赤字=後で
定義します)です。この二つの赤字を総称して、「双子の赤
字」と呼びます。米国の財政赤字と聞くと、すぐに1980
年代のレーガン政権の施政を思い浮かべる読者が多いかと思
いますが、そもそも米国が、財政赤字を容認するきっかけと
なったのは、1960年代のジョン・F・ケネディ大統領の
時代に遡ります。ケネディは「不況のときこそ積極的な財政
の出動で景気を刺激すべきだ」とする、所謂、ケインジアン
的な政策を主唱します。しかし保守的な議会の反対に遭い、
ケネディは自分の主張を通すことは出来ませんでした。とこ
ろがケネディが暗殺されると副大統領から繰り上がったリン
ドン・ジョンソン大統領は「ケネディの遺志を尊重しようで
はないか!」というキャンペーンを張ります。暗殺されたケ
ネディに同情した議会はこれを受け一転して拡大的予算を通
過させたのです。最初はこのケインジアン的財政政策は上手
く機能しますが、70年代になると米国はインフレに悩まさ
れ始めます。下の連邦政府の財政収支(対GDP比)のグラ
フを見ると、1970年頃までは米国の財政赤字は大体、G
DPの1〜2%程度の範囲内に収まっていたことがわかりま
す。レーガンが大統領に就任した1980年に先駆けて、す
でに1974年頃から赤字幅が拡大していることにも注目し
て下さい。 http://bit.ly/1i0putg
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ジャック・ケンプ下院議員