2014年06月13日

●「レーガノミックスは成功したのか」(EJ第3811号)

 ロナルド・レーガンが大統領になる前に、米国にとって衝撃的
な大きなニュースが2つ起こっています。それはイラン革命によ
る第2次オイルショックとソ連のアフガニスタンへの侵攻です。
とくにソ連のアフガニスタンへの侵攻は、米国の国際的地位と威
信の低下を世界に印象づけたのです。
 ソ連のアフガニスタンへの侵攻は、米国がイランのアメリカ大
使館人質事件の処理に忙殺されているスキを狙って、ソ連が中東
産油地帯を睨む地域に進出したのです。これは、80年代の新冷
戦の引き金になったのです。
 これを背景にして、レーガンは「強い米国の再生」を掲げて大
統領に就任したのです。これを実現するには、当時不振をきわめ
ていた米国経済を何としても復活させる必要があったのです。問
題は、レーガンが経済を再生させる理論として、なぜ、サプライ
サイド重視の経済学──新自由主義的政策を選んだかです。
 それは、ケインズ政策を徹底的に否定することだったのです。
なぜなら、米国の国際的な威信を低下させた原因が、米国政府が
これまでやってきたケインズ政策にあると考えたからです。これ
について、北村洋基慶応義塾大学教授は、自著で米国の国際競争
力低下の原因について、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 こうした理論が登場して、政策の基調となるにいたった背景に
 は、アメリカの政治的・経済的・軍事的な力の低下があるが、
 その原因を@ケインズ主義的な大きな政府が、重税による企業
 の自助努力を妨げ、また政府依存の経営体質をもたらし、国際
 競争力の低下を招いた。国民も政府の福祉に頼り,働く意欲が
 低下した。Aインフレの進行が国際競争力の低下を招いた。B
 大きな政府が財政危機を招いたなど、ケインズ主義の失敗に求
 めたことである。そして、政府の政策は市場にまかせることが
 できない公共分野に限定すること。その場合何よりも重視しな
 ければならない任務は安全保障・国防にあり、とくに対ソ連軍
 事優位の再構築に集中することであるという反共イデオロギ−
 を前面に押し出したことである。      ──北村洋基著
            「岐路に立つ日本経済」/大月書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、レーガンの経済政策は成功したのでしょうか。
 レーガンと共和党の代表を競い、レーガン政権の副大統領を務
めたブッシュ(父ブッシュ)は、レーガンの経済政策を批判して
的外れの理論であるとして次のように揶揄したといわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
    レーガンの経済政策は、ブードゥー経済学である
―――――――――――――――――――――――――――――
 結論からいうと、レーガンの政策は米国の国際競争力の回復と
いう観点からは、所期の目的とは逆の結果になってしまったので
す。レーガンは、反ケインズ主義に立って、小さな政府による自
助努力と民間の活力強化のために、所得税と法人税の減税、規制
緩和、福祉などの切り下げによる歳出カットを推進しようとした
のですが、減税は先行したものの、歳出カットは議会の猛烈な抵
抗にあって思うように進まず、その一方で軍事費が増大したこと
により、財政赤字が急速に拡大したのです。
 しかし、確実に進展したものがあります。それは、米国の軍事
力の近代化です。レーガンは次の「核兵器体系の3つの近代化」
に取り組んだのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.    多弾頭個別誘導大陸間弾道ミサイルの近代化
 2.    核爆弾を多数搭載可能な戦略爆撃機の近代化
 3.      SLBMのための原子力潜水艦の近代化
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに加えて、戦略核爆弾搭載の中距離ミサイル「パーシング
U」をヨーロッパに配備するとともに、巡航ミサイルの配備など
電子技術を活用した超精密兵器の開発を進めたのです。
 とりわけ世界にショックを与えたのはスターウォーズとも呼ば
れたSDI構想です。SDI構想は、宇宙に軍事基地を建設し、
敵のミサイルを撃墜するシステムを構築して、核戦争に生き残る
可能性を追求するものです。軍事面での「強いアメリカ」につい
ては、このようにして実現したのです。
 その結果、何が起きたのかというと、「小さい政府」を推進し
たはずなのに、次のように結果として「大きな政府」そのものに
なってしまったことです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      ◎GDPに占める政府支出の割合
      1980年 ・・・・・ 21.7 %
      1985年 ・・・・・ 22.8 %
      1990年 ・・・・・ 21.8 %
―――――――――――――――――――――――――――――
 この所期の目的と大きく外れてしまったレーガンの政策が、な
ぜ「レーガノミックス」として後世に残ることになったのかとい
うと、レーガン大統領時代の1982年末から景気が回復したこ
とにあります。とくに、レーガンの2期目の4年間(1985〜
1989年)は景気拡大が持続したのです。
 どうして景気が拡大したかについては来週のEJで詳しく分析
しますが、それは当初目標としたものとは、違うメカニズムが働
いた結果であるといえます。しかし、景気が回復すると、現在の
日本の安倍政権でもみられるように、時の政権にとっては追い風
になるのです。
 このように当初の狙いとは別の結果になったものの、結果オー
ライでレーガン政権の新自由主義的政策は成功とされ、「レーガ
ノミックス」として経済改革の象徴になったのです。
 ところで、レーガノミックスとサッチャリズムのどちらが新自
由主義的政策に近いかと問われれば、それはサッチャリズムの方
であるということがいえます。 ──[新自由主義の正体/25]

≪画像および関連情報≫
 ●レーガノミックスの功罪/木村証券のコラム
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  軍拡と減税を柱としたレーガノミックス(レーガン大統領が
  推進した経済政策)は、米国経済の復権に多大な貢献をした
  として高く評価されているが、レーガン大統領が就任する前
  年の1980年に「米個人消費支出(1兆7573億ドル)
  ÷同可処分所得(3兆8573億ドル)は45.6 %」であっ
  た。これが、同大統領の最終年となる88年には66.0 %
  まで上昇し、その後も一貫して同比率は上昇を続けることに
  なった。サプライサイド経済の促進を唱えたレーガノミック
  スは、当初の目的に反して供給力の強化よりも「過剰消費を
  定着」させる結果をもたらしたといえる。レーガン氏は、常
  に前向きで楽観的であり、典型的な米国人気質ともいえるが
  基軸通貨国である特権を最大限に活用したレーガノミックス
  の成功体験は新たな矛盾を生み出している。03年6月にF
  Fレートを1%まで引き下げたFRBの超金融緩和政策は、
  住宅ブームを促進し、『値上がりした住宅』からホームエク
  イティローンなどを活用した個人借り入れの急増を誘発する
  ことになる。今年5〜6月には前述の可処分所得に対する個
  人消費支出の割合は112%という驚くべき数値になってい
  るのである。           http://bit.ly/1q2T5Vh
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国民に政策を説明するレーガン大統領.jpg
国民に政策を説明するレーガン大統領
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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