来の最悪の経済混乱期──スタグフレーションの状態にあったの
です。インフレ率は12%、失業率は7.5 %であり、レーガン
としてはこのスタグフレーションの回復が急務だったのです。
ところで、スタグフレーションとは何でしょうか。
スタグフレーションは、次の2つの言葉の合成語であり、経済
活動の停滞(不況)と物価の持続的な上昇が共存する状態のこと
をいうのです。
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stagflation(スタグフレーション)=
stagnation(停滞)プラスinflation(インフレーション)
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レーガンは、イランのアメリカ大使館人質事件もあったことか
ら、どうしても「強いアメリカ」の再建を図りたかったのです。
そのためには経済を回復させる必要があり、就任直後の1981
年2月18日に議会で、「経済再建プログラム」を発表したので
す。この経済再建プログラムには、次の4つの柱があります。
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1. 財政支出の大幅削減
2. 減税
3. 規制緩和
4.マネーサプライのコントロール
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レーガンは「1」の「財政支出の大幅削減」を打ち出し、小さ
な政府を実現しようとしたのですが、その一方で、「強いアメリ
カ」を作るために軍事費を増強させているのです。これでは、小
さい政府にはならず、大きい政府の継続です。
レーガンは大統領選で「強いアメリカ」を訴えるとともに所得
補償制度など、さまざまな公約を掲げて勝利しているのです。も
し、その公約を実現しようとすると、連邦予算の60%が必要で
あり、それに加えて発行国債の利払費が10%必要であったので
計算上は、残りのすべての支出項目を30%に納めなければなら
なかったのです。
このような連邦予算の状況では、軍事費を増強させることなど
ほとんど不可能であり、経済という面から考えれば、軍事費こそ
削減すべき対象であったのです。しかし、レーガンはそれを強行
したのです。その結果、福祉予算は大幅に削減されることになっ
たのです。これは、これまでの福祉国家への流れと決別すること
を意味していたのです。
「2」の「減税」は、レーガノミックスの特徴的な政策になり
ます。この減税は供給サイドを強化するために必要であるという
ことから断行されたのです。
カーター政権までは、個人所得税率は「14%〜70%」であ
り、法人税の最高税率は46%であったのです。レーガンは毎年
10%ずつ3年で30%の税率引き下げを行うと宣言し、最高税
率の70%を50%に引き下げ、「10%〜50%」にしている
のです。1985年からの第2期政権では最高税率を28%まで
下げています。
法人税の最高税率は、カーター政権では46%でしたが、それ
を34%に引き下げ、さらに減価償却期間の短縮化などで、企業
に対しては、実質的には大幅な減税を実施しているのです。
「3」の規制緩和に関しては、カーター政権が熱心に取り組ん
でおり、レーガン政権では、その実施件数においてカーター政権
のそれを下回っており、レーガン政権の規制緩和の実績は不十分
なものに終わっているのです。
米国経済に対する連邦規制は、保健、安全、環境、エネルギー
などの多方面にわたっており、年々増加する傾向にあったといい
ます。規制の増加とともに規制機関が増加し、その運営コストは
馬鹿にならないものになっていたのです。
これらの規制強化は、インフレの増大と生産性の上昇鈍化を引
き起こしており、大幅なコスト削減と自由化の促進を図るために
諸規制の見直しが急務になっていたのです。
「4」の「マネーサプライのコントロール」についてレーガン
政権は、はじめてマネタリズムを採用しています。ニクソン政権
からカーター政権までは、マネーサプライは上昇を続け、インフ
レは進行し、ドルは下落を続けたのです。
レーガン政権では、インフレの抑制と総需要の伸びの安定化を
図るため、政策としてマネーサプライのコントロールに取り組ん
だのです。実際にこれを担ったのは、当時のヴォルカーFRB議
長ですが、結果として1887年に過去20年間で最低のインフ
レ率を記録してインフレ抑制には成功しています。しかし、マネ
ーサプライのコントロールには失敗しているのです。
このヴォルカー議長とレーガン大統領について、若田部昌澄早
稲田大学政治経済学部教授は次のように述べています。
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当時の米大統領ロナルド・レーガンはヴォルカーに対してまっ
たくといってよいほど具体的な経済政策を指示しなかったとい
う。だが、ヴォルカーによる大インフレの鎮圧(ヴォルカー・
ディスインフレーション)は失業率の急騰を招き,1981〜
83年には10%台でこう着した。レーガンの支持率は急落し
(1981年5月の65%から1983年1月には35%に)
議会および政権内部ではヴォルカーへの不満が高まっていた。
それにもかかわらず、レーガンはヴォルカー支持を変えなかっ
た。その理由として、ロバート・サミュエルソン(コラムニス
ト)は,レーガンが「ミルトン・フリードマンのような人物に
影響をうけ、インフレは貨幣的現象であることを理解していた
から」だという。 ──若田部昌澄著「歴史としての
ミルトンフリードマン」 http://bit.ly/1kc20fb
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──[新自由主義の正体/23]
≪画像および関連情報≫
●レーガン規制緩和の実態/経済コラムマガジン
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筆者は、時々経済に関するセミナーに参加することがある。
20人から30人くらいの人々が集まり、まず講師の話があ
り(稀には筆者も講師の立場に立つことがある)、その後参
加者も意見を述べるといったパターンである。ところでこの
ようなセミナーの参加者の中にテーマに関係なく、必ず「日
本経済の再生には、規制緩和が必要である」「徹底した規制
緩和を行なう」と立上がって発言する者がいる。まるで秘密
結社の一員みたいな人たちである。だいたいは、若くエリー
ト然としたサラリーマンである。彼等は自信たっぷりに自己
の主張を行なう。ただ主張は「規制緩和」と「徹底した規制
緩和」の二種類しかない。具体的な規制緩和の内容とか、規
制緩和によってどの程度の経済成長が見込めるといった具体
的な話は一切しない。筆者が参加した何ヶ月前のセミナーで
も、典型的な金融関係のエリートサラリーマンが突然立上が
り、「私はレーガン大統領の規制緩和政策によって、米国経
済が再生するのをこの眼ではっきり見てきた。日本経済が再
生するには、徹底した規制緩和が必要である。」と主張して
いた。しかし例のごとくレーガンの規制緩和の具体的な話は
全くしない。日本についても何の規制緩和が必要なのか一切
言わない。しかし彼等にとって残念であるが、現実はレーガ
ンの経済政策、つまりレーガノミックスは完全に失敗したと
いうのが当時の世間の定着した評価である。
http://bit.ly/1ntD6MM
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ポール・ヴォルカー元FRB議長