2014年06月04日

●「サッチャーが断行した4つの政策」(EJ第3804号)

 サッチャーが登場する前の英国では、労働党が天下を取ること
が多かったので、企業の国有化が積極的に進められ、1979年
には、国有企業のみでGDPの約10%を占め、150万人を雇
用していたのです。
 もちろん労働党は企業の国有化に熱心で、保守党はそれに反対
するという対立の構図があったのですが、一部の企業を除く国有
化には、労働党と保守党の対立はあまりなかったのです。
 なぜなら、石炭やガスについては、国有化しなければ倒産しか
ねない状況にあったので、労働党の進める国有化に保守党もあま
り反対はしなかったのです。しかし、鉄鋼については例外であっ
たのです。なぜなら、鉄鋼は利益が上がっており、産業全体に大
きな影響を与える戦略産業だからです。
 しかし、労働党はその鉄鋼も国有化したので、保守党が政権を
取るとそれを再び民営化に戻すという、不毛な繰り返しを続けて
いたのです。
 サッチャー首相の実施した政策は、具体的には、次の4つに集
約されます。これらの政策をよく見ると、労働組合に守られた労
働者層の力を弱め、持ち家などある程度の資力のある中産階級を
育てようとしていることがわかります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.国有企業の民営化、非効率企業への国家援助を中止し、国
   際競争に耐えない企業は市場から退場させる。
 2.最高所得税を83%から40%に減税し、豊かな層の事業
   欲を刺激して、稼ごうとする意欲を刺激する。
 3.慣行にあぐらをかいて働かない労働組合を労働法を改正し
   て活動を制限し、労働者を解雇しやすくする。
 4.労働者に公営住宅を払下げて所有意識を持たせ、民営化す
   るさい株式をもたせ、業績に関心を持たせる。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「1」の改革は、国有企業の民営化です。
 サッチャーは公的所有の経済セクターはすべて民営化しようと
考えたのです。国として保護したのは、防衛産業と農業だけであ
り、それまで英国の経済を支えてきた伝統的な製造業に対する配
慮は一切行わなかったのです。
 自由市場政策をとり、民営化することによって、国際競争に勝
てる企業だけが生き残ってくれればよいと考えたからです。こう
いう考え方の下で、ブリティッシュ・エアロスペース、ブリティ
ッシュ・テレコム、ブリティッシュ航空、鉄鋼、電気、ガス、石
油、炭鉱、水道、バス、鉄道、その他無数の小規模な国有企業が
民営化の嵐のなかで、次々と売り飛ばされていったのです。
 しかし、この過激な民営化により、民営化される企業は債務を
削減し、雇用も大幅に削減せざるを得なかったので、当然のこと
ながら、失業率は大幅に向上したのです。
 「2」の改革は、豊かな層への減税です。
 当時の英国の最高所得税は83%であり、それは「ゆりかごか
ら墓場まで」の福祉国家を支えるため必要であったのですが、富
裕層はそれによってやる気を失っていたといえます。
 サッチャーは税制を改正し、最高税率の83%を40%まで下
げる減税を行ったのです。これは、労働者層から激しい非難を浴
びたのですが、これによって富裕層の事業欲を刺激しようとした
のです。これに加えて、国有企業の民営化に当たり、事業を買い
取ったり、投資を促す意図もあったのです。
 「3」の改革は、労働組合力の軽減です。
 当時の最大にして最強の労働組合は、炭鉱労働組合だったので
す。既にエネルギー改革によって、輸入石炭の方が安価になって
いたにもかかわらず、自分たちはイギリス経済全体をも左右でき
る存在であると自負していたのです。
 サッチャーは、炭鉱の大合理化と閉鎖を宣言することによって
炭鉱労働組合のストライキを挑発したのです。その闘争は1年に
及んだのですが、サッチャーは勝利したのです。これによって英
国の労働運動の背骨が砕かれたのです。これについて、ディヴィ
ット・ハーヴェイは次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 炭鉱ストライキは、サッチャーの収めた大勝利の1つとして記
 憶されている。彼女はイギリス最大の労働組合に対峙し、打ち
 負かした。彼らはそれまで、自分たちはイギリス経済全体をも
 左右できると自負していた。そこが問題だった。炭鉱労働者た
 ちは、イギリスの中道的な一般の国民に対して、数十万人の炭
 鉱労働者の側につくか、それとも選挙で選ばれた政府の側につ
 くかの二者択一を迫ったからだ。全国炭鉱労組の指導者、アー
 サー・スカーギルはいっさいの妥協を拒否し、政権を打倒する
 とおおっぴらに語っていた。こうした過激な言動に、労働者階
 級の人々ですら、しぶしぶながらストライキ不支持に回ること
 になった。  ──デヴィッド・ハーヴェイ著/監訳/渡辺治
      『新自由主義/その歴史的展開と現在』/作品社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この組合潰しともいうべきサッチャーの強硬措置によって、英
国ではわずか10年で相対的に低賃金で、他のヨーロッパ諸国に
比べて労働者が従順な国に変わったのです。サッチャーが退陣す
る時点には、ストライキ件数は以前の10分の1のレベルに落ち
込んだのです。
 「4」の改革は、労働者意識改革です。
 サッチャーは、労働者の意識を改革しようとしたのです。公営
住宅を払下げることによって持ち家を実現させ、民営化する企業
の株式を持たせることで、900万人におよぶ株主を作り出し、
企業の業績に関心を持たせるように仕向けたのです。
 その結果、サッチャーの時代の終わりまでに家屋保有者は大幅
に増加したのです。労働者階級の夢である個人不動産の所有とい
う伝統的理想を果したといえます。サッチャーは中産階級の増加
を狙っていたのです。     ──[新自由主義の正体/18]

≪画像および関連情報≫
 ●イギリス炭坑ストライキ敗北の歴史的意義
  ―――――――――――――――――――――――――――
  イギリスにおいて労働組合衰退の画期と考えられるのが、ス
  トライキ派と反ストライキ派で暴力抗争となり死者も出した
  1984〜85年全国炭坑労働組合(NUM)ストライキの
  決定的敗北である。社会史的にいうとベルリンの壁の崩壊や
  ソ連の崩壊よりも大きな事件だと私は思うのでその意義を検
  討し、長期シリーズで取り上げることとしたい。このストラ
  イキは、1984年3月6日イアン・マクレガー石炭庁総裁
  が1984年中に174抗のうち採算のとれない20抗を閉
  鎖し約2万人の合理化計画案を公表したことが発端であり、
  戦闘的なアーサー・スカーギル委員長のお膝元であるヨーク
  シャ−も不採算で閉鎖の対象となっていた。ストは全国的な
  組合員によるストライキ批准投票──ストに突入すべきか否
  かの郵便による無記名秘密投票もなく、アーサー・スカーギ
  ル全国炭坑労働組合(NUM)委員長のストライキ指令で始
  まったもので違法だった。1984年法で役員承知の違法ス
  トライキは罰金が課せられ、拒否すると法廷侮辱罪により組
  合財産が没収されることとなっていた。一方ノッティンガム
  シャーやレスターシャーの炭坑労働者は炭層の厚い優良炭坑
  だったため、ストライキに反対だった。スカーギルは民主的
  なストライキ批准投票を行おうとする炭坑、反対派の拠点と
  なっている炭坑には、ハエのように移動する遊撃ピケ隊を送
  り込んで脅す得意の戦術をとった──フライングピケットと
  言う。              http://bit.ly/1ol2Rhr
  ―――――――――――――――――――――――――――

サッチャー元英国首相.png
サッチャー元英国首相
posted by 平野 浩 at 03:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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