2014年05月23日

●「フリードマンの思想の背景に迫る」(EJ第3796号)

 ところで市場原理主義の思想的な柱であるミルトン・フリード
マンは、どのような人なのでしょうか。彼の思想的な背景は何な
のでしょうか。
 フリードマンは1921年にニューヨークで生まれています。
両親は東欧出身のユダヤ人で、ヨーロッパにおけるユダヤ人抑圧
から逃れるために米国に渡り、劣悪な労働条件のもとで働き、生
計を立てていたのです。もちろん生活は極貧だったのです。
 フリードマンは子ども頃から新聞配達のアルバイトをして、家
計を助け、よく勉強したのです。成績は極めて優秀だったといい
ます。そのため、奨学金を得て、ニュージャージー州のラトガー
ズ大学に進学し、学士号を取得しています。
 さらにシカゴ大学で修士号を、コロンビア大学で博士号を取得
し、コロンビア大学や連邦政府で働いた後で、シカゴ大学の教授
の地位を得るのです。
 ところでフリードマンは後にケインズ的裁量政策反対の頭目と
いわれるようになるのですが、皮肉なことに就職難のなかで連邦
政府で得た仕事は、ケインズ政策の目玉ともいうべきあのニュー
ディール政策が生み出したものであったのです。そのときフリー
ドマンは一貫してケインジアンに徹していたといいます。
 その当時シカゴ大学の経済学部には、自由主義的思想を持つ次
の2人の教授がいたのです。
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            フランク・ナイト教授
         ジェイコブ・ヴァイナー教授
―――――――――――――――――――――――――――――
 ナイトもヴァイナーも自由な競争的市場の重要性を説く英国の
古典派経済学、とくにアルフレッド・マーシャルの理論体系の信
奉者であり、後にこの2人が「シカゴ学派」と呼ばれれるように
なるのです。
 アルフレッド・マーシャルは、供給と需要の関数に対する価格
決定について厳格に取り組んだ最初の経済学者であり、その経済
思想の歴史におけるマーシャルの影響は否定し難いものがあるの
です。マーシャルは、ジョン・メイナード・ケインズの師であり
ケインズを育てたことで知られています。
 それに徹底的に反社会主義を説いたオーストリア出身の政治哲
学者であるフリードリッヒ・ハイエクもこの頃シカゴ大学に在籍
しているのです。ハイエクも徹底した自由主義論者として知られ
ています。
 とにかく当時のシカゴ大学には役者が揃っていたのです。ほと
んどがノーベル経済学賞を受賞しており、フリードマンは、彼ら
の影響を受けて、米国の経済学者ジョージ・スティグラーととも
に、シカゴ学派の第2世代と呼ばれるようになるのです。
 フリードマンの思想的背景を探る一文があります。フリードマ
ンは、1950年に来日していますが、そのときフリードマンの
案内役を務めたケインズ派の経済学者、伊藤光晴氏の著書にその
ときの思い出が語られています。フリードマンは、マルクス経済
学者長洲一二氏との対談で次のように語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は私はユダヤ人である。ユダヤ人がスターリン治下のソビエ
 トにおいてどういう待遇を受けたか、特に東欧の人間たちがど
 ういう待遇を受けたか。またヒトラー治下においてユダヤ人が
 どのような残酷な死を招いたかというようなことはいまさら申
 し上げるまでもないでしょう。私が自由な市場に委ねるのがい
 ちばんいいということを主張するところには、国家も制度も民
 族も一切力を持たない、一つのメカニズムが人間社会を結ぶと
 いうことが最も幸福であるという、ヒトラー治下の、スターリ
 ン治下のユダヤ人の血の叫びである。    ──内橋克人著
 『新版/悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環』/文芸春秋
―――――――――――――――――――――――――――――
 フリードマンは自身がユダヤ人であるがゆえに「自由」にこだ
わるのです。自由主義は、人間の自由であり、それは「国家から
の自由」を意味する抵抗の思想であると説くのです。
 このような考え方の下にフリードマンは、当時経済学の分野で
は圧倒的に主流であったケインズ経済学に対して、一貫して反対
の論陣を張っていくことになります。
 とくに「大恐慌は市場の失敗である」とするケインズの考え方
に対し、「それは政府(FRB)の通貨政策の失敗である」と主
張したのです。この大恐慌を巡る論争は有名であり、EJでは、
前回のテーマ(消費増税論)でも取り上げています。関連記事と
してご参照ください。
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 2014年4月8日/EJ第3766号
 「大恐慌はFRBの政策ミスなのか」 http://bit.ly/1iqhJrG
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 フリードマンのいう「自由」が経済に取り込まれることによっ
て、政府による所得の再分配機能についても全否定することにな
るのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 わたしは自由主義者として、もっぱら所得を再分配するための
 累進課税については、いかなる正当化の理由をも認めることが
 むずかしいと考える。これは他の人びとにあたえるために強権
 を用いてある人びとから取り上げるという明瞭な事例であり、
 したがって個人の自由と真正面から衝突するように思われる。
 ──フリードマン著『資本主義と自由』/マグロウヒル好学社
                ──内橋克人著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 累進課税を廃止する──これが当時の米国の富裕層によって歓
迎されたのはいうまでもないのです。これによってフリードマン
の経済に関する考え方は、経済が停滞しつつあった1970年代
の米国で歓迎されたのです。  ──[新自由主義の正体/10]

≪画像および関連情報≫
 ●フリードマンの「資本主義と自由」より
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  国が諸君のために何をなしうるかを問いたまうな。諸君が国
  のために何をなし得るかを問いたまえ」──ケネディー大統
  領の就任演説であまりに有名なこの一節は、ひんぱんに引用
  される。しかし出典が詮索されることはあっても、内容が論
  争の対象になることはなかった。ここに時代の風潮がよく表
  れていると言えよう。(その後、アメリカは絶望的なベトナ
  ム戦争へと深入りしてゆく)。実際にはこの一節の前半に示
  された国と国民との関係も、後半に示された国と国民との関
  係も、自由社会における自由人の理想にはほど遠い。まず前
  半の「国が諸君のために」何かをしてあげるという温情あふ
  れる言葉は、政府が保護し国民が保護される関係を連想させ
  る。このような関係は、自分のことは自分で責任をとるとい
  う自由人の考え方と相容れない。次に後半の「諸君が国のた
  めに」何かをするという部分では国家がひとつの生命体と見
  立てられており、政府が主(あるじ)で国民が僕(しもべ)
  という関係を連想させる。だが自由人にとっては国は個人の
  集合体に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。受け継が
  れてきた国の文化を誇りに思いもするし、伝統を守ろうとも
  する。だが、自由人にとっては政府とは一つの道具や手段に
  ほかならず、何かを施してくれるやさしい庇護者でもなけれ
  ば、敬い仕えなければならない主人でもない。また国家の目
  標も、一人ひとりの目標の集合体としてしか認めない。自由
  人は、国が自分に何をしてくれるかを問わない。自分が国に
  何をできるかも考えない。その代わり、自分の責任を果たす
  ため、自分の目標を達成するため、そして何よりも自由を守
  るために、「自分はあるいは仲間は、政府という手段を使っ
  て何ができるか」を考える。    http://bit.ly/1hZVica
  ―――――――――――――――――――――――――――

フリードマン/スティグラー.jpg
フリードマン/スティグラー
posted by 平野 浩 at 04:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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