2014年05月22日

●「なぜマネタリストが力を得たのか」(EJ第3795号)

 1950年から約30年間、豊かさを満喫していたはずの米国
が1981年のレーガン政権の誕生を機になぜ変貌してしまった
のでしょうか。なぜ、米国民はレーガンを圧倒的に支持したので
しょうか。このあたりの歴史的経過を振り返ります。
 当時の米国の豊かさは、自由な経済活動の成果に加えて、政府
がケインズ経済政策をとったことによる果実であるといえます。
すなわち、政府が積極的に経済に関与し、適切な社会保障福利政
策や所得再分配政策を行い、労使協調をうまく実現できたことに
あります。
 1950年代からレーガン大統領まで、次の6人が大統領に名
を連ねています。
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 34代:ドワイト・D・アイゼンハワー(共和党) 1953
 35代:ジョン・F・ケネディ(民主党)     1961
 36代:リンドン・ジョンソン(民主党)     1963
 37代:リチャード・ニクソン(共和党)     1969
 38代:ジェラルド・R・フォード(共和党)   1974
 39代:ジミー・カーター(民主党)       1977
                   ※年号は大統領就任年
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 どこの国でもそうですが、痛みの伴う政策は嫌われ、生活を豊
かにする福利政策は歓迎されます。まして議員は選挙で選ばれる
ので、どうしても有権者の歓心を買うためにそういう公約に掲げ
て選挙を戦うことになります。その結果、景気の過熱と公的部門
の拡大を招き、インフレが急進します。ケインズ政策の負の側面
が出てくるのです。
 経済政策は、インフレ時とデフレ時では異なるのです。これは
EJでは何度も強調しています。
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 経済がデフレ下にあるとき ・・・ 財政赤字を増やすこと
 経済がインフレであるとき ・・・ 財政黒字を増やすこと
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 ケネディ大統領暗殺の後を受けて大統領に就任した第36代の
リンドン・ジョンソン大統領は、議会における民主党の圧倒的優
位を背景に、偉大なる福利国家を実現させるためにと称して、社
会改革立法を次々と成立させます。
 しかし、対外的にはベトナム戦争が拡大し、戦費が増大したこ
とに加えて、高齢者医療補助制度などの福利政策の拡充によって
米国の赤字財政は深刻なものになっていったのです。それに追い
打ちをかけたのが石油ショックです。これによってインフレが激
しさを増したのです。
 こういうときは、増税などの財政黒字を増やす政策をとって過
熱した景気を冷やす必要があるのです。しかし、ジョンソン政権
はその逆をやったのです。そのために米経済は次第に冷え込んで
いくことになります。
 ここに付け込んだのは、かねてから政府のケインズ政策に不満
を抱くマネタリストと呼ばれる一派です。彼らは、ケインズ的経
済政策は景気対策には役に立たず、いたずらに公的部門を肥大さ
せ、経済のダイナミズムを喪失させるだけであるとして、「小さ
い政府」「市場原理主義」「自己責任」を訴えたのです。これが
ジョンソン政権から3代後のレーガン政権誕生につながっていく
ことになるのです。
 当時の政府の経済運営の主流は、ケインジアンだったのですが
彼らが悩んでいたのは、失業率とインフレの関係だったのです。
ケインジアンたちは次のように考えていたのです。
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    インフレ率と失業率はトレードオフの関係にある
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 インフレを抑えようとして増税などの景気抑制策をとると失業
率は増大します。そこで、失業率を下げようとして金利を下げ、
景気拡大政策をとると、物価問題が深刻になり、インフレが激化
するのです。一方を良くしようとすると、他方が悪くなる──こ
れがトレードオフの関係です。
 しかし、この時期にミルトン・フリードマンだけは、まったく
違う主張をしていたのです。菊池英博氏の著書から引用します。
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 この段階で、「インフレを抑制するには、通貨量を減らすこと
 だ」というフリードマンの意見がクローズアップされてきたの
 である。フリードマンの主張は「通貨量のコントロールでしか
 インフレを抑えることはできない。公共投資による需要喚起や
 福祉事業による需要喚起政策は無駄である」というものであり
 これがまさにマネタリズムと呼ばれる新自由主義・市場原理主
 義者の金融財政面の見解である。      ──菊池英博著
             『そして、日本の富は略奪される/
   アメリカが仕掛けた新自由主義の正体』/ダイヤモンド社
―――――――――――――――――――――――――――――
 時のFRB議長のポール・ボルカー氏は、このフリードマンの
主張を一理あると考えたのです。そして、ボルカー氏はケインジ
アン的アプローチからマネタリスト的アプローチに大転換を図っ
たのです。1979年10月のことです。これに対してケインジ
アンたちは、一斉に失業率が急増すると警告したのです。
 確かに失業率は、6%から1982年末までに10.5 %まで
跳ね上がったのですが、インフレ率の方は、1980年末の13
%から1984年の4%まで劇的に下がったのです。
 「貨幣量を減らす」という独特のアプローチによってインフレ
率を下げることに成功したこのマネタリストの実験は、ケインジ
アンたちに衝撃を与えたのです。そのため、彼らは政権中枢のエ
コノミストの座から降りるようになり、代わってマネタリストた
ちがその座に座ることになったのです。
               ──[新自由主義の正体/09]

≪画像および関連情報≫
 ●ベン!ボルカーになりなさい/クリスティーナ・ローマー
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  1979年10月、当時インフレ率は年10%を超えており
  FRBによる段階的な金利引上げにも関わらず問題は解決し
  なかった。FRB議長だったポール・ボルカーはそこで金融
  政策の方法を劇的に変更した。そして今、やはり解決困難な
  失業危機が現議長ベン・バーナンキ(当時)に静かな革命の
  実行を求めている。ボルカーはどうしたか?彼は、インフレ
  はマネーサプライ成長に基づくのだからその成長を落とせば
  インフレ率は下がると論じた。彼はまた、新しい政策枠組み
  でインフレ抑制にコミットすることがバックアップとして働
  き人々のインフレ期待を打ち破るだろうと信じていた。こう
  してFRBは月次の貨幣成長率を明確にターゲットにするこ
  とを始めた。ターゲットを達成するためには金利を空前の水
  準にまで押し上げることを意味していた。失業率は10%を
  超え、ボルカー氏は非難された。高金利に抵抗する農民たち
  がトラクターに乗ってFRB本部を封鎖した。しかしこの政
  策が上手く行った。1979年に11%だったインフレ率は
  1983年には3%に落着き失業率は通常の水準に戻った。
  私の父は、化学プラントのマネージャーで、1981年の不
  況で職を失ったが、ボルカー氏をヒーロー視していた。ボル
  カーの力強い行動が低インフレと着実な産出成長の時代を先
  導した。             http://bit.ly/1sNuErX
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ポール・ボルカー氏.jpg
ポール・ボルカー氏
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新自由主義の正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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