2007年04月20日

CERNとティムとWWW(EJ2065号)

 ここまで見てきたように、インターネットは電子メールからは
じまり、WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の登場によって一挙
に拡大し、物凄いスピードで普及をはじめるのです。ところで、
日本で最初にホームページを製作したのは誰であり、それがいつ
できたのでしょうか――これからそのことを追求していきます。
 それには、そもそもWWWというアイデアを誰が考え出したの
かについて知る必要があります。よく知られているように、WW
Wは、スイスのジュネーブにあるCERN――セルン/欧州素粒
子物理研究所――において、ティム・バーナーズ・リーという人
物が開発したといわれています。それは、どのようにして、開発
されたのでしょうか。
 ティム・バーナーズ・リー(以下、ティム)は、1955年6
月8日に英国のロンドンで生まれています。父は数学者で、父母
ともにコンピュータのプログラムを開発するエンジニアだったの
です。そういう家庭環境で育ったティムは、オックスフォード大
学のクイーンズ・カレッジの物理学科を卒業しています。
 ティムはソフトウェア技術者として2社に勤務したのですが、
仕事が安定せず、安定した勤め先を探したのです。そしてやっと
1980年からスイスのジュネーブにあるCERNに勤めること
ができたのです。しかし、独立コンサルタントとして、半年契約
という約束であり、臨時雇いのようなものだったのです。
 CERNでティムは「エンクワイア」というプログラムを書い
ています。どういうプログラムかというと、ティムが所属するセ
クションのプロジェクトとプログラムの管理をするものであり、
誰がどこのプロジェクトにいて、どういうプログラムを書き、ど
のマシンでそれが動いているかがわかるというものです。
 しかし、ティムはこれをCERNの仕事としてではなく、仕事
のかたわら自分用として開発したのです。そのときは、誰も注目
していなかったのですが、これが後のWWWの基礎となる貴重な
プログラムとなったのです。
 「エンクワイア」はソフトウェア開発グループのコンピュータ
で動いており、ティムはそれに高度な改良を加えていき、かなり
完成度が高められていったのです。しかし、その時点でティムの
契約は満了し、CERNを離れることになったのです。
 ティムはCERNを去るに当たって、エンクワイアをシステム
管理者に使ってくださいといって渡しています。しかし、誰もそ
のプログラムに注目することなく、誰も使わなかったのです。
 ティムは英国に戻ってプリンタ用のプログラムを開発していた
のですが、もう一度CERNに戻りたいと思ったのです。別に、
CERNが能力を認めてくれるわけではなかったのですが、何と
いってもコンピュータなどの設備がよかったからです。
 そこで、CERNのフェローシップに応募したのです。それは
1984年9月にやっとかなえられます。フェローシップとはい
うものの非常勤職員に近いものであったのですが、ティムにとっ
ては満足だったのです。
 その時点でCERNは組織が大きくなっており、多種多様のコ
ンピュータがたくさん入っていたのです。当然のことながら、こ
れらの異機種コンピュータ間で、情報のやり取りや共有が必要に
なっていたのです。ティムはこれらの異機種コンピュータ間での
通信用にプログラムを書いてCERNに貢献します。
 そして、CERN内のDECのVAXミニというコンピュータ
上でエンクワイアを動くようにしたのです。やがて、ティムは、
このエンクワイアを外部と接続し、「ハイパーテキスト・ドキュ
メント・システム」を構築したいと考えて、上司のマイク・セン
ドールに提案します。
 マイクはそれに反対しなかったのですが、きちんとした提案書
をまとめるよう指示され、ティムは困ってしまいます。彼は今ま
でそのようなものを書いたことはなかったからです。
 しかし、反対されたわけではないので、システム構築に向けて
研究を進めることにしたのです。最大の難問はプロトコルに何を
採用するかということだったのです。
 ティムは当時欧州では一般的であったOSIのプロトコルでは
なく、インターネットで採用されているTCP/IPを採用した
いと考えていたのです。しかし、TCP/IPの支持者は少数派
だったのです。
 ティムにとって幸いなことに、そのときCERNにベン・シー
ガルという人物がいたのです。シーガルは1958年に英国のイ
ンペリアル・カレッジの物理数学科を卒業し、しばらく英国と米
国の原子力関係企業で働いた後、1971年にスタンフォード大
学で博士号を取得し、CERNで働くことになったのです。
 ベン・シーガルは、米国で働いていたので、TCP/IPを使
うべきであるというティムの考えに同調します。シーガルはティ
ムにとって、心強い見方となったのです。
 CERN内部では、VAX/VMSというOSとDECネット
という通信プロトコルでデータのやり取りが行われていたのです
が、ティムはシーガルにも協力してもらい、ひそかにVAX/V
MSというOSとTCP/IPを組み合わせて動くようにシステ
ムを構築したのです。
 そして、1989年3月にティムは「情報管理:1つの提案」
という提案書とその背景論文「ハイパーテキストとCERN」を
上司に提出しています。
 このなかでティムは、巨大な研究機関であるCERN内部の情
報検索のために、ハイパーテキスト技術を使って、ドキュメント
を自由にリンクできるシステムを論じています。
 しかし、ティムの上司であるマイク・センドールやその上司で
あるディビット・ウィリアムズには、ティムの提案の価値を見抜
く力はなかったのです。提案書は上司に読まれることもなく、そ
のまま上司の机の上に眠ったままだったのです。この提案こそ後
のWWWとして全世界に普及することになるのです。いつの時代
こういう上司がいるのです。
         ― [インターネットの歴史 Part2/31]

≪画像および関連情報≫
 ・ハイパーテキストとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ハイパーテキストとは、複数の文書(テキスト)を相互に関
  連付け、結び付ける仕組みである。「テキストを超える」と
  いう意味から"hyper-"(〜を超えた) "text" (文書)と名
  付けられた。テキスト間を結びつける参照のことをハイパー
  リンクと言う。ハイパーテキストは文書を表示するユーザイ
  ンタフェースのパラダイムの1つであり、従来の文書作成方
  法の持つ、要素を組織化することについての限界(特にその
  線形性)を克服しようとするものである。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

2065.jpg
posted by 平野 浩 at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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