は金融緩和を行うべきであると説いていたのです。しかし、この
提案に対して、多くの地区の米連銀のトップたちは、きわめて冷
淡だったのです。このときの様子をリチャード・クー氏は次のよ
うに書いています。
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フリードマン=シュワルツの著書を読むと、当時のアメリカ
に資金需要がなかったということが、フリードマンが批判する
人たちの発言のなかに数多く出ている。例えば、フリードマン
が、金融政策が最も有効であったはずだとする1929〜30
年の間に、当時のニューヨーク連銀のハリソン総裁が、流動性
の供給を大幅に増やそうと1930年の6月に地区連銀の総裁
全員に書簡を送る。ところが、それに同調したのはアトランタ
とリッチモンド地区の総裁だけで、他の9地区はすべて反対し
その多くは強烈に反対した。例えば、当時アメリカの第2の金
融センターであったシカゴ連銀のマクドゥーグル総裁は、「市
場には十分な資金があり、市場が必要としていないときに準備
金を注入すべきではない」と反論している。
──リチャード・クー著『「陰」と「陽」の経済学/我々はど
のような不況と戦ってきたのか』/東洋経済新報社刊
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しかし、フーヴァーに代わってルーズベルトが大統領になると
FRB議長が交代し、金融緩和を行ったのです。そうすると、マ
ネーサプライ(マネーストック)が劇的に増加したのです。それ
は、添付ファイルの図──これは米国全加盟銀行のバランスシー
トですが、そこの「預金」を見ると明らかです。重要な点を数値
で表すと次のようになります。
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民間向け信用 公共向け信用 預金
1933年 158.0 億 86.3 億 223.6 億
1936年 157.1 億 163.0 億 341.0 億
単位=ドル
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大統領がルーズベルトに代わった1933年から1936年の
3年間を見ると、銀行の負債である「預金」は223.6 億ドル
から341億ドルへと約117億ドルも増えています。これは、
マネーサプライ(マネーストック)が増えたことを意味している
のです。これをクリスティーナ・ローマーやベン・バーナンキ、
ポール・クルーグマン、ジェフリー・サックスらの経済学者たち
は、FRBが政策を変更し、金融緩和を実施したためであると考
えたのです。
かつてフリードマンの直系を自認していたバーナンキ前FRB
議長は、フリードマンの90歳の誕生日に次のメッセージを贈っ
ているのです。
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やはりあなたは正しかった。大恐慌があそこまでひどくなった
のは、FRBの政策ミスが原因だった。──ベン・バーナンキ
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しかし、リチャード・クー氏はこの考え方に異論を唱えたので
す。銀行の預金が増えるということは、銀行の資産も増えるはず
です。ところが、多くの経済学者たちは、マネー・サプライ(マ
ネーストック)の動向に目を奪われて、銀行の資産サイドがどの
ようにして増えたかについては完全に見落としている──リチャ
ード・クー氏はこのようにいっているのです。
「民間向け信用」、すなわち、民間(企業と個人)向け貸し出
しを表していますが、1933年の158億ドルと1936年の
157億ドルですが、ほとんど変わっていないのです。貸し出し
が増えていないのです。
しかし、「公共向け信用」、すなわち、政府向けの貸し出しで
すが、これは、1933年の86億ドルが1936年には163
億ドルへ激増しています。つまり、民間が借りなかった分を政府
が借りて使っていることを意味しています。
どうして民間への貸し出しが伸びないのか──この理由につい
て、リチャード・クー氏は次のように説明しています。
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これを見ると民間が、1929年の株暴落を受けて借金返済に
回った結果、民間向け貸し出しは1929年から33年の間に
激減し、それはそのまま銀行の負債である銀行預金(=マネー
サプライ)の減少につながっている。次に1933年から36
年の期間だが、ここで銀行預金はローマーが注目したように大
幅に増えるが、バランスシートの問題をかかえた民間への貸し
出しはビタ一文増えていない。ここで増えたのは政府向け貸し
出しであり、それが増えたのはルーズベルトのニューディール
政策をファイナンスするために政府は民間からの借り入れを大
幅に増やさなければならなかったからである。
──リチャード・クー著
『バランスシート不況下の世界経済』/徳間書店
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クー氏によると、バーナンキやクルーグマン、ローマーやテミ
ンらの経済学者たちはクー氏の論文『「陰」と「陽」の経済学』
を読んで不況時の財政出動に言及しはじめています。彼らは、日
本のバブルが崩壊したとき、日銀が金融緩和の限界を口にすると
さかんに金融緩和の必要性を説いていたのですが、クー氏の論文
を読んで考え方が変わったようです。
しかし、日本の経済学界でクー氏の理論は、まったく受け入れ
られていないのです。安倍首相の経済ブレーンを務める浜田宏一
教授もその一人であるとクー氏はいっています。しかし、クー氏
の「バランスシート不況」理論はきわめて説得力があります。素
人が読んでも理解できる理論──それはきっと本物の証であると
私は考えます。 ──[消費税増税を考える/64]
≪画像および関連情報≫
●リチャード・クー氏について/代替案のための弁証法的空間
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私は本ブログで、リチャード・クー氏に関しては一方で評価
しながら、他方で批判もするというアンビバレントな対応を
とってきました。私は、基本的にクー氏を応援したいので、
「ああ、申し訳ないことしたかなあ」と若干自責の念を持っ
ています。というのも、グーグルで「リチャード・クー」と
検索すると、私がずいぶん前の2005年2月にアップした
「リチャード・クーと竹中平蔵のアウフヘーベン」という記
事が、いまだに上位に出てくるのです。いまでもその記事は
多くの人に読まれ続けているようです。リチャード・クー氏
の「バランスシート不況」の理論が世界中のエコノミストや
政府の財政当局者から評価されるようになり、いまやクー氏
は世界的に「時の人」となった観のある現時点でも、なお拙
ブログなど批判的な記事が上位にヒットしてくるのです。こ
れはもしかしたらクー氏の業績を貶めようとする何かの「陰
謀」かもしれません。皆さんご注意を(苦笑)。私の記事が
日本におけるクー批判の一翼を担ってしまっているのだとし
たら、全く私の本意ではありません。もっとも、私はその記
事でエコロジカル・ニューディールの観点からクー氏を批判
しつつもコメント欄では次のようにフォローもしています。
http://bit.ly/1qcMbua
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●グラフ出典/リチャード・クー著/『バランスシート不況下
の世界経済』/徳間書店
米全加盟銀行のバランスシート