2007年04月19日

ベッコアメ・インターネットの設立(EJ第2064号)

 1994年7月――日本初のNewWorld+Interop94 Tokyo が幕
張メッセで開かれていたのです。米国でネットスケープ社が新し
いブラウザを発表する3ヶ月前のことです。
 東芝に入社して4年目になる尾崎憲一氏もそのINTEROP
の会場にいたのです。しかし、尾崎氏にとってそこに展示されて
いるものは目新しいものは何もなかったのです。
 ソニーのブースでも松下のブースでも、MOSAICを使って
ホームページを表示しており、大勢の人がびっくりしたようにそ
のデモを見ていましたが、彼はとっくにそれを体験していたから
です。目玉の一つであったIIJのブースも彼にとっては何ら新
しいものはなかったのです。
 しかし、IIJのブースに黒山のような人が集まっているのを
見ているうちに、ネットにつないだ体験を持つ人がいかに少ない
かが尾崎氏にはわかってきたのです。当時のインターネットは、
つなぐことに関心の重点があり、それをどのように活用するかま
でコトは進んでいなかったのです。
 このとき尾崎憲一氏は大衆のためのプロバイダが必要だと考え
たといいます。IIJは料金は高過ぎる――もっと安くしなけれ
ば普及しないと尾崎氏は考えたのです。
 尾崎氏は、1985年に草の根BBS「だんぼネット」を立ち
上げて続けていたのです。BBSというのは、電子掲示板システ
ムのことです。尾崎氏は、IIJにもWIDEにも足を運んで、
接続を要請したのですが、まるで相手にされなかったといういき
さつがあるのです。
 尾崎氏はIIJに出かけて交渉したときの感想を次のように述
べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 営業の担当者のほかに、もうひとり、変なオヤジが隣りに座っ
 てて「お前ら、何やるつもりだ」というから、UUCP接続を
 して、ダンボネットの会員がインターネットでメール交換でき
 るようにしたいんだといったら、急にそのオヤジが説教を垂れ
 はじめた。「やるのは自由だけど、お前らが勝手にやって、質
 の悪いサービスを提供して、プロバイダの品質はこんなものか
 と思われると、こっちが困るんだよな」とか。それが深瀬(弘
 泰)さんだったんですけど。
             ――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
 インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本初のINTERROPの会場を歩きまわりながら、尾崎氏
は日本一料金が安く、しかもサービス品質の高いプロバイダ事業
を立ち上げようと考えたのです。IIJでいわれた一言「お前ら
が勝手にやって、質の悪いサービスを提供して、プロバイダの品
質はこんなものかと思われると、こっちが困るんだよな」がよほ
ど腹に据えかねたのです。
 料金は、とくに根拠もなく年会費3万円の定額制――使い放題
に決めていたのです。これならきっと飛びついてくると考えたの
です。この時代に定額制を考えるとは大変なことです。最初から
従量制を捨てたのは、1994年当時にインターネットに接続し
ようとする人種は通信オタク以外は考えられなかったからです。
 何しろIE(インターネット・エクスプローラ)もネスケ(ネ
ットスケープ)もなかった時代なのです。したがって、かなり複
雑きわまる設定をしなければネットに接続できない――これがや
れるのは通信オタクだけです。かくいう尾崎氏もオタクであり、
オタクの気持はオタクが一番わかっていると考えたのです。
 問題はそれをどのように宣伝するか、です。
 尾崎氏は、その宣伝媒体をINTEROPの会場で無料で頒布
されていた『インターネットマガジン/創刊準備号』を見て、こ
れにしようと考えたのです。『インターネットマガジン』の創刊
は、9月17日であり、まだ時間がある――そう決めると、早速
幕張メッセの会場を飛び出し、その足で千代田区三番町にあった
インプレスに駆けつけて、広告掲載の申し入れをしたのです。
 その時点では、ISP事業の新会社は尾崎氏の頭のなかにあり
存在していないのです。しかし、会社名は「株式会社ベッコアメ
・インターネット」に決めていたのです。
 インプレスの広告営業の担当と長い時間折衝して、やっと『イ
ンターネットマガジン』創刊号に広告を入れることに同意しても
らったのです。
 『インターネットマガジン』創刊号は実によく売れたのです。
印刷した3万5000部は10日で売り切れ、増刷した7000
部もたちまち完売。おそらく当時多少なりともインターネットに
興味を持っていた人はすべて買ったのではないかと考えるほど売
れに売れたのです。
 創刊号の好調の効果は、そこに広告を出した尾崎氏の「3万円
定額インターネット」にそのまま跳ね返り、まだ会社ができてい
ないのに、尾崎氏の個人口座には続々と3万円の入金があったと
いうのです。
 3万円の振込みを確認すると、スタッフがそれを引き出し、モ
デムを買いに走るという繰り返しで、ベッコアメは会員を増やし
ていったのです。そして、1994年12月に株式会社ベッコア
メ・インターネットは設立されたのです。
 当時IIJの個人向けサービスは、初期費用3万円、利用料金
は1分間30円、リムネットは初期費用8000円、利用料金1
分間10円――これに対してベッコアメは年間3万円で使い放題
というのですから、まさに革命的な料金設定です。
 尾崎氏の狙いは当たったのです。会員は続々と増え始め、19
95年3月の日本経済新聞の調査で、プロバイダ別のユーザ数ラ
ンキングで第1位を占めるまでになったのです。さらにあるパソ
コン雑誌には「最も接続トラブルの少ないプロバイダ」と評価さ
れたのです。こうして品質の面について批判したIIJ幹部への
借りを返したのです。  
        −― [インターネットの歴史 Part2/30]


≪画像および関連情報≫
 ・ベッコアメ・インターネットの現状
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  グローバルメディアオンライン(GMO)は1日、ベッコア
  メ・インターネットのISP事業とホスティング事業の営業
  を譲り受けると発表した。GMOに営業譲渡されるのは、ベ
  ッコアメ・インターネットが運営しているインターネット接
  続サービス「ベッコアメ」とホスティングサービス「スリー
  ウェブ」――具体的な譲渡日は未定だが、4月中には実施さ
  れる。国内のISPでは草分け的な存在のこれらのブランド
  が以降、GMOによって運営されていくことになる。料金等
  のサービス内容も変更はないとしている。/2004
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posted by 平野 浩 at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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