2007年04月18日

力でネスケを駆逐したマイクロソフト(EJ第2063号)

 1994年11月にMSNは立ち上げられたのですが、その時
点でビル・ゲイツは自分の失敗に気がついていたのです。そして
早くもMSNの見切りを決断したのです。
 ウインドウズ95の追い風に乗ってMSNは、AOLについで
業界2位になったものの世の中は既にオンライン・サービス――
パソコン通信の時代ではなかったのです。シーゲルマンは閑職に
異動させられ、間もなくマイクロソフトを退社しています。
 ビル・ゲイツは、マイクロソフトの役員・幹部に対して明確に
方針転換を伝え、猛烈な勢いで普及している「ネットスケープ・
ナビゲータ」に対して、自分が先頭に立って戦いを挑むことを宣
言しているのです。
 ビル・ゲイツは、ネットスケープ・コミュニケーション社(以
下、ネットスケープ社)に対して、公式の反攻宣言も行っている
のです。それは、1995年12月7日、ワシントン州シアトル
での記者団向けのブリーフィングにおいてです。
 このときのビル・ゲイツの演説は、日本人にも無関係ではない
ので、脇英世氏の本から引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 おはようございます。今朝、私、12月7日は大変有名な日で
 あることに気がつきました。54年前またその頃のことです。
 私は今ここで起こっていることと似たことがなかったかを思い
 起こそうと努力しました。本当に何も思いつきません。とうと
 う思い当たったのは、今日という日についての最も知的なコメ
 ントは、ウォール・ストリートについてでもなく、いかなる種
 類のアナリストのコメントでもありません。眠れぬ巨人を起こ
 してしまったことに脅えている自分を見つけた提督山本五十六
 元帥でありました。           ――ビル・ゲイツ
    ――脇英世著、『インターネットを創った人たち』より
                         青土社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ちょっと読むと何をいっているのかわかりませんが、要するに
マイクロソフト社をアメリカ合衆国、ネットスケープ社を54年
前の同じ日に真珠湾を攻撃した山本五十六元帥になぞらえて、い
るのです。「お前たちは眠れる巨人マイクロソフト社を起こして
しまった。覚悟しておけよ」というメッセージなのです。
 確かに後に「ブラウザ戦争」といわれるほど、マイクロソフト
社のネットスケープ社への攻撃は容赦のないものだったのです。
 ビル・ゲイツは、当時のネット市場を冷静に分析したのです。
当時インターネット・サービス・プロバイダは約1000社――
しかし、そのアクセスの75%は、上位10社のISPで占めら
れていたのです。
 マイクロソフト社は、これらISPの10社に対してインター
ネット・エクスプローラ(以下、IE)を無償で提供し、その見
返りとして排他契約――ネットスケープ・ナビゲータ(以下、ネ
ットスケープ)を使わない――を要求したのです。さらに広告費
の名称で何らかの金銭供与も行ったという情報もあります。
 さらにPCメーカに対しては、IEのプリ・インストールを要
求し、ISPに対するのと同様の排他契約を締結することを条件
にIEは無償で提供したのです。さらにPCメーカに対しては、
ウインドウズなどのOSを大幅ディスカウントして提供するとい
う特典も与えています。PCメーカとしては、もし、これを拒否
すると、マイクロソフト社からOSの供給を絶たれるかもしれな
いという恐怖感があって、とても拒否できなかったのです。
 ウインドウズ95は好調であり、OSにおいて圧倒的なシェア
を持つマイクロソフト社にこれだけのことをされると、ネットス
ケープ社は完全に販路を絶たれてしまったのです。そして、19
98年11月にネットスケープ社はAOLに42億ドルで買収さ
れてしまうのです。
 ブラウザに関する日本での動きを調べると、1994年に国産
初のブラウザが登場しているのです。1994年といえば、日本
でインターネットがブームになる1年半も前のことであり、意外
に早いという印象があります。
 1994年6月7日――富士通は、東京・丸の内の本社でマス
コミ関係者向けの商品紹介とそのプレゼンテーションが行ってい
ます。その商品は次の2つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      『インフォモザイク(InfoMosaic)』
      『FIND2』
―――――――――――――――――――――――――――――
 『インフォモザイク』は、NCSAでアンドリーセンたちが開
発したMOSAICの日本語版であり、『FIND2』は、イン
ターネットの技術を取り込んだ世界初の企業内ネットワークシス
テム――すなわち、イントラネットなのです。
 『インフォモザイク』の方は当初4万円で売る予定だったそう
ですが、結局5000円で販売したところ、予想以上に売れて、
何とかペイできたそうです。しかし、その寿命はわずかに3ヶ月
だったのです。1994年10月にネットスケープ・ナビゲータ
が公開され、無料頒布がはじまったからです。
 『FIND2』は、当時の富士通の情報システム関係者間の情
報交換の必要性に迫られて開発されたものであり、最初から販売
することを予定したものではなかったのです。
 当時富士通本体に9000人のSEがおり、それに全国35社
の協力システムハウスに勤務する1万数千人のSEが富士通のシ
ステム開発に関係していたのです。こういうSE相互の技術情報
交換を目的として『FIND2』が構築されたのです。
 さて、日本での「ニフティ・サーブ」立ち上げの話から米国に
飛んで、マイクロソフトの方針転換、ブラウザ戦争の話までして
しまいましたが、明日からは、もう一度話を日本に戻して、19
95年からの日本におけるインターネットブームまでにいたる動
きを追うことにします。 
        −― [インターネットの歴史 Part2/29]


≪画像および関連情報≫
 ・イントラネットとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  イントラネットとは、社内等、限定された範囲でのコンピュ
  ータ・ネットワークを構築する時に、インターネットの標準
  的な技術を利用することで低コスト化とベンダー独立性を高
  めようとするとりくみ。また、そのようにして構築されたネ
  ットワークを指す。たとえばインターネットで普及している
  通信プロトコルを用いて社内の情報共有システムを構築する
  ことで、広く普及しているインターネット用のソフトウェア
  やハードウェアをそのまま利用でき、また標準化された技術
  を使うため、他社と協力してエクストラネットに拡張したり
  することが容易になる。       ――ウィキぺディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 08:36| Comment(1) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「1994年10月にネットスケープ・ナビゲータが公開され、無料頒布がはじまったからです」とされていますが、公開された頃はシェアウェアですので無料公開とはいえないと思います。
Posted by KTYTI at 2007年04月26日 00:32
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