2007年04月17日

マイクロソフトの専用ブラウザ誕生(EJ第2062号)

 ブラッド・シルバーバークをマイクロソフトに入社させたのは
ビル・ゲイツその人です。シルバーバークの専門はデータベース
であり、当時マイクロソフトが製作していたコードネーム「オメ
ガ」というデータベース製品の開発にシルバーバークの力が必要
だったからです。このような経緯で1990年5月にシルバーバ
ークはマイクロソフトに入社するのです。
 シルバーバークはマイクロソフトに入社するや、ウインドウズ
3・1、DOS6、DOS6・2などを手がけて、マイクロソフ
ト期待のOS、コードネーム「シカゴ」に着手するのです。「シ
カゴ」というのは、ウインドウズ95のことです。
 マイクロソフトにとって不幸だったことは、昨日のEJで述べ
たシルバーバークとシーゲルマンの諍いです。これがあったから
こそシルバーバークは、MSNとは関係なく、ウインドウズ95
のブラウザ技術を開発することにしたのです。
 そのブラウザ技術の開発に当たったのは、ベン・スリフカとい
う人物です。スリフカは、イリノイ州のノースウェスタン大学で
ダブル・メジャー――コンピュータ科学科と応用数学科の2つの
専門科目を専攻しています。
 スリフカは、一時IBM社に入ったのですが、すぐに肌に合わ
ないとして退社し、1984年にマイクロソフトの公募にしたが
い、採用されたのです。入社後、DOS6、DOS6・2の開発
においてシルバーバークと一緒に仕事をするようになり、彼がウ
インドウズ95のブラウザ開発に当たるのです。
 ちなみに、ウインドウズ95のコードネームは「シカゴ」なの
ですが、そのブラウザのコードネームは「オヘア」――オヘアと
は、シカゴ近郊の空港の名前なのです。これに関連するコードネ
ームの傑作は「カポネ」――ギャングの名前ですが、これはウイ
ンドウズ95用の電子メールのコードネームなのです。
 スリフカが具体的にブラウザの製作に着手したのは、1994
年の後半のことであり、かなり遅いのです。なぜなら、マイクロ
ソフト社内では、ネットワークに関しては公式にMSNが走って
おり、何も問題ではなかったからです。しかし、スリフカは、次
の3社のブラウザの買収を検討していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        ネットスケープのブラウザ
        スパイグラス のブラウザ
        ブックリンク のブラウザ
―――――――――――――――――――――――――――――
 スリフカは、1994年8月からスパイグラス社と折衝を開始
します。一方、MSNを担当するシーゲルマンはブックリンク社
との提携を考えていたのです。
 しかし、1994年11月にブックリンク社はAOLに買収さ
れてしまうのです。これを受けてシーゲルマンはブラウザの独自
開発を決意し着手したのです。コードネームは「ブラック・バー
ド」――しかし、このブラック・バードは日の目を見ることはな
かったのです。飛べなかったからです。
 このスパイグラス社は、現在のブラウザの元になる「MOSA
IC/モザイク」のライセンス供与について実権を有していたの
です。MOSAICは、イリノイ大学内の研究機関NCSAが開
発したブラウザなのです。
 NCSAは次の言葉の略ですが、イリノイ大学ではコンピュー
タ科学選考の学生を雇って、アプリケーションなどの開発を行っ
ていたのです。MOSAICはこのNCSAで生まれたのです。
このブラウザは、希望者にはインターネット上で無償で配布され
大変な評判となったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  National Center for Super Computiong Applications
―――――――――――――――――――――――――――――
 MOSAICのライセンスについての窓口は、最初のうちはN
CSAが行っていたのですが、あまりにも問い合わせが殺到した
ので、スパイグラス社にマスターライセンスを供与し、全てのラ
イセンス契約を委ねたのです。
 スリフカはあくまでNCSA系のブラウザの権利を買い、それ
を改良するのが一番早いと考えていたのです。NCSA系のブラ
ウザは、その時点でスパイグラス社のMOSAICか、マーク・
アンドリーセン開発によるネットスケープしかなかったのです。
 しかし、MOSAICには大きな欠点があったのです。それは
ウェブページを全部読み込むまでは、画面上に何も表示されない
ということです。マーク・アンドリーセンは、この欠陥を改良し
ストリーミング機能を取り入れ、読み込んだ部分を順次表示させ
るブラウザを開発したのです。これが「ネットスケープ」です。
そして、これを1994年10月に公表しているのです。アンド
リーセンは、NCSAのエンジニアを6人引き抜き、会社を設立
します。これがMCC社――モザイク・コミュニケーションズ・
コーポレーションですが、これが、ジム・クラークが率いるネッ
トスケープ・コミュニケーションズ社になるのです。
 マイクロソフト社は、スパイグラス社とMCC社の2社と交渉
したのですが、MCC社は煮えきらず、マイクロソフト社はスパ
イグラス社を相手に絞って、本腰を入れて交渉したのです。
 交渉は難航をきわめます。マイクロソフトは、スパイグラス社
の求める1本につき1ドルのライセンスフィーに首を縦に振らな
かったのです。交渉は12月まで続き、ロイヤリティは支払うが
200万ドルを上限とするという契約を結んだのです。この契約
では、スパイグラス社は、マイクロソフトのブラウザが200万
本以上売れても、200万ドル以上は受け取ることができないも
のであり、明らかにスパイグラス社にとって不利です。
 これでマイクロソフト社はMOSAICのソースコードを手に
入れ、スリフカのチームは1995年8月にブラウザを完成させ
るのです。これが「インターネット・エクスプローラ1・0」な
のです。    −― [インターネットの歴史 Part2/28]


≪画像および関連情報≫
 ・ブラウザに関するサイトより/ブラウザの歴史
  ―――――――――――――――――――――――――――
  今でこそブラウザ(インターネット閲覧ソフト)の種類は数
  え切れないくらいたくさんあり、そのどれもがグラフィック
  や動画、音声をサポートした華やかなものです。しかしわず
  か10数年前には考えられないことだったのです。Webの
  誕生から今日にいたるまでのブラウザの果たしてきた役割は
  非常に多かったといえるでしょう。
     http://www.scollabo.com/banban/tips/browser.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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