なぜ効いたのでしょうか。
それは、「目標」とはいわないものの、事実上の「インフレ目
標」を宣言したことにあります。白川総裁は、つね日頃から日銀
流理論に基づいて、金融政策の限界を強調してきています。その
日銀総裁が「目途」という曖昧な表現ながら、「消費者物価指数
で前年比+1%」という数字を出して、これを達成するまでゼロ
金利と金融緩和を推進すると宣言したのです。
この「前年比+1%」の難易度ですが、消費者物価指数(総務
省)の3ヶ月移動平均を前年比で見ると、過去10年で1%の水
準を上回ったのは、資源価格高騰の影響を受けた2008年5月
から12月のみしかなく、相当困難な目標であることがわかりま
す。しかし、日銀はその「目途」が達成できるまで、ゼロ金利と
金融緩和を推進することを市場にコミットメントしたのです。こ
れが重要なのです。
したがって、市場は日銀が従来のスタンスを変えたのだと確信
したのです。インフレ目標を宣言するのとしないのとでは、市場
に対するインパクトがこれほど違うのです。しかし、日銀の「目
途」には、いろいろな抜け穴があることがわかってきたのです。
インフレ目標で一番厳しいのは、英国の中央銀行のイングラン
ド銀行です。イングランド銀行のインフレ目標は、目標数値だけ
でなく、達成期間の明示が求められ、理由分析などの報告義務も
あります。これに比べると、FRBのインフレ目標には、それが
達成できなかったときの報告義務はなく、緩やかなように見えま
す。むしろ日銀のそれに近いといえます。
しかし、FRBは「物価上昇率は金融政策でコントロールでき
る」と明確に打ち出していて、目標達成に失敗すれば、義務では
ないが、それについて議会で説明するのは当然のことになってい
るのです。
しかし、日銀の場合は、日頃から「金融緩和だけで物価を上昇
させることは困難であり、政府の成長戦略や企業努力も必要であ
る」との考えを示しており、最初から腰が引けて、逃げをうって
いるように見えます。目標は打ち出しても、達成できなかったと
きの責任をコミットメントしていないのです。
これに比べると、黒田現日銀総裁のインフレ目標は「2年程度
で物価目標2%を達成する」と明言し、「もし達成できなければ
日銀総裁を辞任する」とまで、踏み込んだ発言をしています。こ
こまでいえば、ストレートに市場に伝わるのです。白川前総裁の
「目途」とは大きく異なります。
それでも市場は日銀の「バレンタインデー緩和」に大きく反応
したのです。しかし、市場の期待に反して日銀はなかなか追加緩
和をせず、米国のFRBが2012年9月に、第3次の金融緩和
「QE3」を実施するにおよんで、やっと追加緩和を発表したの
です。いつも米国の後追いの金融緩和です。
これについて、浜田宏一教授は、「バレンタインデー緩和」は
評価しつつも、日銀の対応を次のように批判したのです。
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私は2012年2月14日の日銀決定を見て、日銀が改心した
可能性があると思っていた。ところが片岡剛士氏に指摘され、
9月の日銀の新決定をFRBの決定と比較してみた。すると、
日銀の諸決定は、金融緩和を装いながら、約束だけして、なん
ら実行を伴わない、あるいは実行を徹底的に先延ばしにする、
いってみれば批判逃れの政策に過ぎないことが分かった。(中
略)「バレンタインデー媛和」は、日銀が市場の期待に働きか
けようとした新機軸だった。しかし、実際の貨幣供給、そのも
ととなる資産の買い上げのフォローアップを、その後ほとんど
しなかった。実際にはチョコレートを配らなかったわけだから
これでは、義理チョコ以下、いわば空手形だ。そのため、20
12年9月13日、アメリカのQE3の決定に合わせて、19
日に日銀が緩和を宣言しても、株価、円レートに対する影響は
きわめて弱いものになってしまった。FRBの行動をやむを得
ず追従しながら、日本ではなく世界に向って「金融政策でデフ
レは解消しません」と講演して回った総裁のおかげで、効くは
ずの緩和政策も効かなくなってしまったのである。浜田宏一著
『アメリカは日本経済の復活を知っている』/講談社刊
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浜田宏一氏は日銀の意識に「庶民の生活はない」といいます。
円高政策がいかに庶民を苦しめているか、わかっていないといい
ます。確かにそう思います。白川氏は日銀のバランスシートをき
れいにして名総裁といわれる道を選んでいるように思います。そ
ういう人に庶民の苦しみはわからないでしょう。
浜田氏は数学者の藤原正彦氏の『週刊新潮』のコラム「管見妄
語」の次の一文を例に引き、専門家でない藤原氏にわかることが
専門家の日銀はなぜわからないのか、疑問を呈しています。
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今もっとも責められるべきは、財務省や財界や政府と言うより
日銀であろう。デフレ不況を十数年も放置してきた責任の大半
は日銀にあるのだ。リーマン危機以来、アメリカは通貨供給量
を3倍に増やすなど、米英中韓その他主要国の中央銀行は猛然
と紙幣を刷り景気を刺激した。日銀は微増させただけで静観を
決めこんでいる。ここ3年間で円がドル、ユーロ、ウォンなど
に対し3割から4割も高くなつたのは主にこのせいだ。今すべ
きことは、日銀が数十兆円の札を刷り国債を買い、政府がその
金で震災復興など、公共投資を大々的に行い名目成長率を上げ
ることだ。札が増えるから円安にもなる。工場の海外移転にも
歯止めがかかる。ここ14年間、経済的困窮による自殺者が毎
年1万人も出ている。日銀は動かない。
──浜田宏一著の前掲書より
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──[消費税増税を考える/37]
≪画像および関連情報≫
●国民を苦しめた白川前日銀総裁/浜田宏一氏
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――日本銀行は2013年1月22日、政府との連携強化を
目的とした共同声明と、自由民主党が政権公約に掲げた「物
価上昇率の目標2%」を取り入れた金融緩和策を発表しまし
た。どう評価されていますか。
浜田:これまで日本銀行はいろんな理由をつけてやらないと
いうことが続いてきた。共同声明で合意を得られたのは評価
すべきだ。物価目標2%は国際的に見ても標準的なインフレ
目標で、これも進歩だ。日銀の方向転換として第1の驚きは
昨年2月14日の“バレンタイン緩和”(「物価上昇率は当
面1%をメド」とする金融緩和の推進)と呼ばれる動きだっ
た。当初、株価が反応したものの、結局、日銀が「デフレ脱
却に向けた金融政策をするようには思えない」と見られ、長
続きしなかった。一方、アベノミクスでは、まだ何も政策を
やっていないうちに、「デフレを脱却する政権ができるのだ
ろう」と国民が思っただけで、円安や株高になっている。こ
れは岩田規久男(学習院大学教授)さんや高橋洋一(嘉悦大
学教授)さんのいう、「期待」の効果が金融政策には重要だ
ということを実証している。 http://bit.ly/MT8zdD
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数学者/藤原 正彦氏