2007年04月16日

なぜ、インターネットを軽視したのか(EJ第2061号)

 マイクロソフト社がインターネットに乗り遅れかけたという話
は、「インターネットの歴史」(EJ第1661号〜EJ第17
06号)のEJ第1705号で簡単に取り上げています。しかし
これは「インターネットの歴史/日本編」にも多少関係するので
若干重複しますが、少し詳しく述べたいと思います。
 ビル・ゲイツがMSNを立ち上げた日――1994年11月2
日まで、彼がインターネットではなく、本気でパソコン通信事業
をやるつもりでいたのにはちゃんとした理由があります。ちなみ
に米国では、日本でいうパソコン通信のことをオンライン・サー
ビスと呼んでいたのです。
 実は、同年11月1日――つまり、MSN立ち上げの1日前に
私は米ラスベガスのコンベンションセンターで、ビル・ゲイツの
基調講演(COMDEX/1994)を聞いていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      Information At Your Fingertips 2005
       ――指先で情報を/2005年――
―――――――――――――――――――――――――――――
 このときの講演内容は、私の英語力では正直いって細部まで聞
き取れなかったので、脇英世氏の本から引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1994年当時のマイクロソフトはひどく保守化していた。
 たとえば、11月1日に開かれたパソコン関係で有名な展示会
 COMDEX/94におけるビル・ゲイツの基調講演「指先で
 情報を/2005年」はその頂点にあったように感じた。20
 05年の技術予想がこの程度のものとはとても納得できないと
 いうのが私の率直な感想だった。
  ビル・ゲイツはマイクロソフトの戦略は、新技術の展開に期
 待するよりも、既存技術を活用することに重点があると言った
 のである。インターネットは不要で、28・8Kbps モデムも
 不要と言い切った。高速過ぎるというのである。「何を馬鹿な
 ことを」とラスベガスの会場で聞いていた私はびっくりした。
    ――脇英世著、『インターネットを創った人たち』より
                         青土社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ビル・ゲイツほどの人物が、なぜこのような判断ミスをしたの
か、単なる「ゴールドラッシュには手を出すな」という教訓にし
たがっただけとは思えないものがあります。
 実は、これには次の3人の人物のそれぞれの人間関係と、マイ
クロソフト社の社内風土にかかわりがあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         ラッセル・シーゲルマン
         ブラッド・シルバーバーグ
         ジェームス・アラード
―――――――――――――――――――――――――――――
 ラッセル・シーゲルマン――1984年にMITを卒業し、一
時人工知能(AI)の仕事をした後、1989年にハーバード大
学で経営学修士号を取得して、1989年9月にマイクロソフト
社に入社しています。
 最初に配属されたのは、ネットワーク・ビジネス・ユニットで
ボスはマイク・マーレーだったのです。1990年にシーゲルマ
ンは、マーレーの命により、ブラッド・シルバーバーグのグルー
プに異動となり、WFW(ウインドウズ・フォー・ワークグルー
プス)のプロダクト・マネジャーになったのです。
 WFWは、ウインドウズとLANマネジャーを組み合わせて、
ウインドウズをピアー・ツー・ピアの環境で使わせようと意図し
たもの――少しわかりにくいですが、そういうソフトウェアなの
です。しかし、WFWは競合商品である「LANタスティック」
に完敗し、事業は失敗に終ったのです。
 1992年にシーゲルマンは突如WFWチームをやめて、アメ
リカ・オンライン――AOLに対抗するMSNの計画を練ること
になったのです。このシーゲルマンのWFWチーム脱退の経緯は
問題があったようで、その後シーゲルマンとシルバーバーグの仲
は険悪なものになったのです。
 シルバーバーグのチームは、WFWの開発打ち切り後、ウイン
ドウズ95の開発を担当するのですが、シーゲルマンとシルバー
バーグの仲が悪いので、MSNの開発チームとウインドウズ95
の開発チームの間にはすきま風が吹く事態となったのです。
 1993年5月11日にシーゲルマンは正式にMSNの担当に
任命されたのです。問題は、シーゲルマンがMSNの性格をあく
まで、AOL型のオンライン・サービス事業と考えており、どち
らかというと、インターネットを軽視していたのです。
 しかし、これはひとりシーゲルマンだけを責めるわけにはいか
ないのです。当時のマイクロソフト社内では、ビル・ゲイツをは
じめとして、インターネットの評価を低く考えていたフシがあり
ます。その証拠に、インターネットの基本的なプロトコルである
TCP/IPのわかる技術者がほとんどいなかったのです。
 しかし、1991年9月1日入社のジェームス・アラードは、
TCP/IPに詳しく、入社後彼はTCP/IPの担当になった
のです。しかし、これといった実績がないため、マイクロソフト
社内でのアラードの発言力は低く、誰もまともにアラードの意見
を受け入れなかったといいます。
 MSNの開発においても、アラードはシーゲルマンに対し、マ
イクロソフト独自のプロトコルではなく、TCP/IPを使うべ
きだと主張したのですが、シーゲルマンは、まったく聞き入れな
かったのです。
 1991年当時のマイクロソフト社内では、TCP/IPのこ
とを「TCピップ」と呼んでいたという話があります。これは、
ITを「イット」と呼ぶのと同次元の話です。信じられない話で
すが、マイクロソフトはそれほどTCP/IPという技術を苦手
としていたのです。   
       −― [インターネットの歴史 Part2/27]


≪画像および関連情報≫
 ・WFW(Windows for Workgroups)とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ウインドウズ3.1にピア・ツー・ピアネットワーク機能を
  拡張したOS。『仮想ネットワークドライブ』という32ビ
  ット化された機能で、ネットウェアやウインドウズNTサー
  バーにアクセスする、WFWの初期バージョン。その後,フ
  ァイルアクセスやネットワークアクセスをプロテクトモード
  から行えるように改良したバージョン3.11が発表され,
  アメリカでは多くのPCメーカーがこれをバンドリングして
  いるが、日本語版は未発売。
        http://www2.nsknet.or.jp/~azuma/w/w0021.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:34| Comment(1) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも楽しみに読ませていただいています。

2061号のビル・ゲイツ氏の基調講演ですが、
映画仕立ての非常に興味深いものでした。
私はこの講演のビデオを持っていますが、
その中でゲイツ氏は
超高速のネットワークが必要と述べており、
脇氏のいう内容、先生の記事内容とは
相違しています。
また、2005年の将来像は結構、正確に言い当てて
いると思います。
確かにインターネットという言葉は出てきません。
94年ですし、MS社がインターネットへ本気になる
前だというのは、その通りです。
ですが、インターネットよりパソコン通信を
重視とか、軽視ではないと感じています。
(必要であれば、ビデオをお送りします)

Posted by なかむらはるき at 2007年04月22日 17:28
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