2007年04月12日

NIF/ニフティ・サーブの誕生(EJ第2059号)

 1985年3月に株式会社アスキーはある本を出したところ、
空前の大ヒットになったのです。書名は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       『パソコン通信ハンドブック』
            株式会社アスキー刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 どういう内容かというと、パソコン通信はどういうものか、モ
デムとは何か、なぜ、シフトJISなのかなど――パソコン通信
の基礎知識についてまとめたものです。「パソコン通信」の情報
がほとんどないときであり、この本は、当時の価格で2500円
――現在でもかなり高額の本ですが、発売と同時に売り切れ、初
版3万5000円はたちまち売り切れ、増刷になったというので
す。そして何回か増刷されたのです。
 実はこの本を熱心に読んで、あるプロジェクトを決断した企業
があります。当時電気通信事業への進出について意欲を燃やして
いた日商岩井と富士通の2社です。
 そのプロジェクトとは、両社の役員同士の合意を受けて、19
85年の5月の連休に、両社の情報システム担当者が富士通の沼
津研修所に集まって合宿し、特命テーマについて検討を行ったの
です。その特命テーマとは次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  個人向けのサービス――パソコン通信の事業化の可能性
―――――――――――――――――――――――――――――
 この合宿は夜を徹して行われ、その結論は数十ページに及ぶ報
告書にまとめられたのです。そこには、パソコン通信は個人向け
サービスとして最適であるが、そのためには既にこの事業で16
万人を超える会員を集めている米コンピュサーブと提携すること
が不可欠であると書いてあったのです。
 この報告書は両社の役員会で検討され、日商岩井と富士通の共
同提案というかたちでコンピュサーブに対する提案書が作成され
たのです。そして両社の担当者がオハイオ州コロンバスにあるコ
ンピュサーブの本社に行って提案書を提出したのです。このよう
にいうと、まるで役所に書類を提出するようですが、既に日本の
商社や出版社数社が先に提案書を出していたので、そういうかた
ちになったわけです。
 競合会社の中で最大の強敵は三井物産だったのです。しかし、
1985年8月12日――待ちに待ったコンピュサーブから「交
渉したい」というメッセージが届いたのです。これは、三井物産
の提携にはまだ結論が出ていないというサインです。
 結局、コンピュサーブと三井物産の交渉はもの別れに終わるの
です。理由は、ライセンス料が折り合わなかったものと思われま
す。事実コンピュサーブ側のライセンス料は、あまりにも高額で
あったからです。
 しかし、日商岩井と富士通はコンピュサーブ側の要求をすべて
飲んだのです。何としてもパソコン通信事業をやり遂げるという
強い意思が働いたからです。そのライセンス料の高さについて、
当時現地でコンピュサーブと交渉に当たった日商岩井情報通信プ
ロジェクト室の山川隆氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 契約上ライセンス料がいくらかということはいえないんですが
 一社で負担するのは躊躇せざるを得ない金額でした。日商岩井
 と富士通で折半するにしても決して軽い負担じゃない。だけど
 やると決めた以上はライセンス料やロイヤリティを値切るよう
 なことはしないで、向うの要求を全部飲もうと、われわれはそ
 ういう方針で臨んだ。            ――山川隆氏
             ――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
 インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、日商岩井と富士通については「神風」が吹くのです。
それは1985年9月の「プラザ合意」なのです。これによって
急ピッチな円高が進み、実際に支払うライセンス料が半分ぐらい
で済んだことになります。日商岩井と富士通は非常に幸運であっ
たといえます。
 1986年2月4日、日商岩井、富士通、コンピュサーブの各
社長が合同で帝国ホテルに集まって、エヌ、アイ、エフ――NI
F/現ニフティの設立を発表したのです。NI=日商岩井、F=
富士通の頭文字をとっての命名です。
 NIFは、資本金は4億8000万円。社員は14名。日商岩
井と富士通の折半出資、社員の出向でスタートしています。既出
の山川隆氏は企画部長に就任したのです。
 NIFのスタートまでには、この新規事業に対する反対意見が
山ほどあったのです。一番多かったのは、パソコン通信のような
消費者マーケットを相手にするサービスに多額の資金を注ぎ込ん
で本当に採算が取れるのかという懸念です。
 この懸念はこの企画を検討した沼津研修所におけるプロジェク
トで問題になり、あらゆる角度から検討した結果、やってみなけ
ればわからないが、努力すれば十分いけるという結論に達してい
たのです。
 もうひとつは、とくに富士通サイドに強かった反対意見ですが
コンピュサーブという海外の企業と組むことに対する反対意見な
のです。富士通という企業は、国産技術、自前の技術にこだわり
があり、高いライセンス料を支払うことに対する強い抵抗感を感
じていたのです。
 しかし、日商岩井と富士通はこうした様々な課題を乗り切り、
1986年2月にNIFを設立、一年後の1987年4月15日
には満を持して、パソコン通信サービス「ニフティ・サーブ」を
立ち上げたのです。ニフティ・サーブは、スタート以来、倍々ゲ
ームで会員を増やし、日本のパソコン通信サービスのナンバーワ
ン企業に踊り出るのです。しかし、そのニフティ・サーブは現在
は存在しないのです。  
        −― [インターネットの歴史 Part2/26]


≪画像および関連情報≫
 ・パソコン通信について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  パソコン通信は、専用ソフト等を用いてパソコンやワープロ
専用機、その他携帯端末を一般加入回線経由でホスト局に接
続し、サーバ(またはノード、ホスト)との「直接の通信を
  確立」して文字を中心としたデータ通信を行う手法及びそれ
  によるサービス。パソコン通信全盛期は一般にモデム等を使
  い一般加入者回線を用いてダイヤル接続していたが、ホスト
  局に接続するために入会登録を必要としたところもあった。
  インターネットが世界中のネットワーク同士を結ぶ開かれた
  ネットワークであるのに比べると、パソコン通信は原則とし
  て特定の参加者(会員)同士のネットワークで、閉じたネッ
  トワークということになる。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:54| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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