ターネットに興味がない人でも「アスキー(ASCII)」の名
前を聞いたことがないという人はあまりいないと考えられます。
現在でも書店に行くと、『週刊アスキー』をはじめとする「ア
スキー」の名を冠した雑誌や書籍が並んでいます。最近ではIT
だけでなく、ビジネスのテーマも取り上げる『ascii』とい
う月刊誌まであります。かつての『月刊アスキー』を新装改訂し
たものです。意外に知られていない雑誌ですが、実に良い記事を
出しており、私の熟読する雑誌のひとつです。
この株式会社アスキーに関連して知っておくべき人物として、
次の3人がいます。役職はいずれも当時のものです。
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郡司 明郎 ・・・・・ 代表取締役 社長
西 和彦 ・・・・・ 代表取締役副社長
塚本慶一郎 ・・・・・ 代表取締役副社長
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この株式会社アスキー――正確には「アスキー出版」は、もと
もとは1977年に西和彦氏が月刊アスキーを発刊するために設
立した会社なのです。1978年にビル・ゲイツが率いるマイク
ロソフトと提携して、社名を「アスキー・マイクロソフト」とし
て、同社のOS、MS−DOSの普及に尽力したのです。
西和彦氏は、破格の条件でビル・ゲイツにマイクロソフトに誘
われますが、西氏はこれを断り、社名を株式会社アスキーと改め
たのです。
月刊アスキーをはじめとするアスキーの出版物は、PCやソフ
トウェアに関する情報が乏しかった時代を反映してよく売れ、一
時はあの孫正義氏の率いるソフトバンク(当時は出版物中心)と
並ぶ存在だったのです。
西和彦氏が初期の月刊アスキーを普及させるための苦労話を何
かの雑誌で読んだことがあります。月刊アスキーの創刊号を作っ
たものの、それを売る手段がない。雑誌を売るには取次店を通す
必要があるのですが、西氏にはそんなコネクションはゼロです。
仕方がないので、書店を一軒ずつ訪ねて直接交渉したのです。
雑誌を数冊持って書店を訪ねるのですが、実は3人で行くので
す。西氏は書店の主人と交渉するときに雑誌をさりげなくそばの
棚に置くのですが、これが仕掛けなのです。いかにも他の雑誌と
同様に売り物のように見せるわけです。
書店の主人はヒマですから、話相手にはなってくれるのですが
なかなかウンといってもらえない。そうしているうちにサクラの
2人のうち1人が、月刊アスキーを売り物と間違えて手にし、い
かにも興味深そうにページをめくりはじめるのです。そうすると
もう1人のサクラがまた、アスキーを手にする――このような芝
居をすると、置いてくれる書店が10店中2〜3店はあるという
のです。実際そういう書店での売れ行きは好調だったのです。
このようなウソのような本当のような話が伝わっているのです
が、とにかく月刊アスキーはよく売れたのです。何しろPCやソ
トウェアに関する情報に飢えている若者が大勢いたからです。
株式会社アスキーは、郡司、西、塚本の3人体制――トロイカ
体制といえば格好が良いが、3人てんでバラバラで好きなことを
やっていたのです。
このなかで唯一ネットワークに関心を持っていたのは、塚本慶
一郎氏だけだったのです。塚本氏がネットワークに興味を持った
のは、1984年9月にニューヨークに出張していたときのこと
なのです。偶然ですが、9月14日に長野県西部でマグニチュー
ド6.8の地震が起きたのです。
そのとき、ニューヨークに在住している塚本氏の友人は、タン
ディのハンドヘルドコンピュータを使って、パソコン通信にアク
セスし、詳細を聞き出してくれたのです。そのとき、塚本氏は、
これこそ新しい時代の知のあり方であり、パソコン通信は新しい
時代のメディアになると確信したといいます。
帰国して塚本氏はそのことを郡司、西両氏に話したのですが、
2人はまるで興味がなかったようです。塚本氏はそのときのこと
を次のように話しています。
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トロイカ体制といっても、それぞれ好き勝手なことをやってい
ましたから、よくいえばお互いを信じていたというか(笑)。
もちろん郡司さんや西さんにも話はしましたけど、いくら話し
てもぼくがニューヨークで体験した感動は伝わらない。「フー
ン」とかいっておしまい。郡司さんはソフト寄り、西さんはハ
ード寄りで、それぞれ別の関心を持っていましたから。
――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
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当時塚本氏は株式会社アスキーの出版局長をしていたのですが
出版局のスタッフは、ほぼ全員ネットワークが中心となるという
塚本氏の考え方を支持したのです。彼らは、雑誌の記事の反響に
よって読者が何を望んでいるかをよく知っていたからです。
塚本氏は、そういう出版局の若手を中心にパソコン通信を事業
化しようとしたのです。そして、1985年5月、「アスキーネ
ット」の無料実験サービスを開始したのです。それを待ちかねて
いたのは、パソコン・オタクたち、彼らは一斉にそれに飛びつい
たのです。その結果、モデムが溶けて壊れてしまうというアクシ
デントが次々と起こったほどのフィーバーになったのです。
ところで、このパソコン通信なるもの――一時期一世を風靡し
たのです。ところで、パソコン通信とは何でしょうか。インター
ネットとはどう違うのでしょうか。
ここまで取り上げてきたJUNETやWIDEが、大学や企業
の専門家を相手とするものであったのに対し、パソコン通信は個
人を対象とするネットワークであったということは、重要なこと
であると思います。
―― [インターネットの歴史 Part2/25]
≪画像および関連情報≫
・西和彦氏の2005年の講演から
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パソコンに搭載されるプロセッサはいよいよ64ビットとな
る。64ビット時代はUNIX系のGUIが主流となる。U
NIX−PCによるアップサイジングの時代であり、ワーク
ステーションの定義が変わる――と西氏はいう。パソコンの
性能向上は、PCサーバを大量に接続し、大型コンピュータ
と同等の機能を実現させようとするパソコンのアップサイジ
ングという動きを引き起す。グリッド・コンピューティング
はこのような動きの具体例だろう。
http://www.atmarkit.co.jp/news/200507/14/west.html
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