2007年04月10日

東京インターネットの挑戦と失敗(EJ第2057号)

 高橋徹氏を社長とする東京インターネットが設立されたのは、
1994年12月――その頃一般人の間でインターネットを知っ
ている人はほとんどいなかったと思います。しかし、一部の先進
的なビジネスパーソンの間では、企業内LANによる電子メール
やニフティ・サーブなどによるパソコン通信がかなり普及してお
り、その便利さは知られていたのです。
 ところで、東京インターネットは日本で4番目のプロバイダに
なるのです。というのは、1993年10月に富士通が、「イン
フォウェブ(InfoWeb)」 を立ち上げ、法人向けのサービスを始
めているからです。
 東京インターネットの高橋社長は、次の3つの方針を掲げて、
先行するAT&TJensとIIJ、それにインフォウェブに対
して、猛アタックをはじめたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.オープン経営を心がける
       2.高品質なサービスを実施
       3.価格破壊し安い料金実現
―――――――――――――――――――――――――――――
 高橋社長は、価格をIIJとAT&TJensの約半分で提供
することにし、顧客数を増やして利益を上げる、いわゆる薄利多
売の戦略をとったのです。
 これを可能にするために、東京インターネットの営業に特化し
た新会社、セコム・インターネット・サービスを設立しているの
です。先行3社を上回る圧倒的な営業力で、3社の保有顧客数を
超えようとしたのです。
 しかし、AT&TJensの顧客はかなり切り崩すことができ
たものの、IIJの顧客――大手の大口ユーザについては攻め落
とすことは困難を極めたと高橋氏はいっています。IIJの鈴木
社長の政治力、人脈は強固であり、マーケティング戦略も巧妙で
あったということです。
 営業力を強化しただけあって、東京インターネットの顧客数は
9ヶ月後にIIJのそれを抜き、初年度の売上高は7億7000
万円、2年目は33億円、3年目は67億円と数字上は順調に売
上げは伸びています。しかし、利益が伸びなかったのです。
 その原因はNTTに支払う回線料の高さです。何しろ東京イン
ターネットの場合、回線料は売上げの58%を占めていたので、
いかにコストを切り詰めても、なかなか赤字から脱却することは
できなかったのです。
 赤字が嵩んで、セコムから借りる。それでも間に合わないと増
資をする。その繰り返しで東京インターネットの黒字化は一向に
見通しが立たない状況が続いていたのです。
 この東京インターネットに比べると、先行の理はあるとはいえ
IIJは3年で単年度黒字、4年目で累損を一掃しており、経営
としては、はるかに堅実であるといえます。IIJの財務戦略は
初代社長の深瀬弘泰氏が見ていたのですが、NTTの回線料の高
さを十分考えて価格を決めていたと思われます。だからこそ価格
を高く設定したのです。そうしないと、経営が厳しくなると考え
ていたのです。
 AT&TJensは、スタート当初は松本敏文氏を含めて営業
3人、技術7人の体制だったのです。商用インターネットがまっ
たくないときにビジネスをはじめたので、そもそもインターネッ
トがどういうものであるかをわかってもらうのが大変だったとい
います。そのため数百人規模の無料セミナーを何度も行い、イン
ターネットの教育・PRに務めたのです。
 松本敏文氏はそのときのことを次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本のインターネット史のなかに「SPIN」を位置付けると
 したら、インターネットの黎明期に、ビジネスの世界にインタ
 ーネットという言葉、仕組み、それからインターネットの持つ
 効果を広くあまねく伝えたということが一番大きいのではない
 かと思っています。            ――松本敏文氏
             ――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
 インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
 東京インターネットの苦境が続くなかで、1997年春からN
TT系のOCN、KDD系のODNもプロバイダ事業に参入して
きたのです。しかも、他のプロバイダの3分の1から7分の1の
低料金を武器にしてです。自前の回線を使うキャリアに対して、
薄利多売は通用せず、東京インターネットの経営は一層深刻化す
ることになります。
 結局、価格破壊を掲げてインターネット市場に参入した東京イ
ンターネットは、1998年10月にPSINetに経営権が委
譲される事態になります。
 これに伴い、高橋徹氏は上級顧問に祭り上げられ、東京インタ
ーネットの経営から完全に退くことになったのです。経営権がP
SINetに委譲される日に高橋氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 東京インターネットの創設に関わったものとして、今回の米P
 SINet社傘下入りは、非常に重たいものがある。独立系の
 ISP事業者がNTTのOCNサービスに対抗するには、グロ
 ーバル化せざるをえなかった。現在ISP事業者が、NTTに
 支払っている回線使用料は、実に売り上げの60パーセントに
 至っており、この費用負担は国内市場だけではカバーしきれな
 い。NTTという独占的な企業が、OCNという採算を度外視
 したサービスを開始すれば、独立系のISPはたちうちできな
 い。米PSINeT社の傘下にはいることで、OCNに次ぐ第
 2のプロバイダーになりたい。     ――高橋徹上級顧問
http://ascii24.com/news/i/mrkt/article/1998/10/06/613043-000.html
―――――――――――――――――――――――――――――
        ――[インターネットの歴史 Part2/24]


≪画像および関連情報≫
 ・PSINeT倒産!!/2001年
  ―――――――――――――――――――――――――――
  業者向けのインターネットサービス事業のパイオニアである
  PSINeTは、ニューヨーク南部地区連邦破産裁判所に、
  資産保護のため連邦破産法に基づく再建手続きの適用を申請
  した。負債総額は43億ドル。PSINeTはこの4年間精
  力的に企業買収を展開していた。米国内に24社ある同社傘
  下の子会社も、今回の申請に含まれている。
    http://japan.internet.com/busnews/20010602/12.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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