2007年04月09日

東京インターネットの設立(EJ第2056号)

 1992年に村井純氏は高橋徹氏にIIJの社長就任を要請し
たのですが、高橋氏はこれを断っています。なぜ、断ったのかに
ついて高橋氏は次のように述べています。
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 WIDEのメンバーを中心に、みんなでお金を出し合って日本
 初のプロバイダを作ろうということになったときに、村井さん
 から「社長をやってもらえない?」という話があった。だけど
 残念なことにお金がなかった。みんながお金を出すというとき
 に、自分はお金を出さないで社長になるなんてあまりにも図々
 しい話だから、それで断った。        ――高橋徹氏
             ――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
 インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういう経緯があって、高橋氏はIIJの社長を断り、INT
EROP(インターロップ)カンパニーに転身を決めたのです。
もちろん村井氏にそのことを話し、了解を得ています。村井氏と
してもINTEROPが日本で開催されれば、インターネットの
普及に拍車のかかることであり、賛成したのです。
 当時デジタル・ハイテク技術の見本市といえば、コムデックス
――春・秋開催――が有名であり、とくに秋に米ラスベガスで開
催されるコムデックス・フォールは文字通り、世界最大の見本市
だったのです。世界中のメーカによるPCやそのOS、それらに
関連するソフトウェアを中心とする見本市には、世界各国から多
くの人がラスベガスに集まったのです。
 しかし、そのコムデックスは2003年を最後に休止されてお
り、現在ではインターネットをはじめとするネットワーク技術の
見本市、INTEROPの方が盛んになっているのです。高橋氏
への話は、INTEROPの日本開催が行われる前のことです。
 このようにして高橋氏はINTEROPカンパニーに移ったの
ですが、その直後にINTEROPカンパニーが米コンピュータ
関連最大手のジフ・デービスのグループ会社に買収され、高橋氏
は、ジフ・デービス・ジャパンに移って日本初のINTEROP
開催に尽力することになったのです。
 そして、1994年7月に日本初のINTEROPは、次の名
称で開催され、期間中5万人近い入場者を集めたのです。
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         NewWorld+Interop94 Tokyo
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 ちなみに、INTEROP東京は今年も幕張メッセで次のよう
に行われるので、お知らせしておきます。
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 Interop Tokyo 2007/幕張メッセ
 2007年6月13日(水)〜6月15日(金)
 主催:Interop Tokyo 2007 実行委員会/運営:財団法人
 インターネット協会・CMPテクノロジジャパン株式会社
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 日本初のINTEROPが終わって一息ついている1994年
9月に、既出の東條巌氏から高橋氏にIIJの対抗プロバイダ会
社の社長にならないかという話があったというわけです。
 高橋氏によれば、東條氏の話は面白いし、IIJの料金の高さ
にも疑問があったので、やるなら今しかない――正直そう考えた
といいます。しかし、自らは村井グループ――IIJのシンパで
ある自分が、そのIIJの対抗会社の社長になったら、村井氏ら
に対して弓を引くことになるのではないかと悩んだのです。
 そこで、高橋氏はそのことを正直にIIJの株主でもある村井
純氏と中村修氏に話して意見を聞いたのです。そのやりとりを、
他に本が一切ないのでたびたび引用させていただいている滝田誠
一郎氏の本からご紹介します。なお、この本は絶版です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 村井純と中村修を前にして、IIJのひとり勝ちではうまくい
 かない。健全な競争原理が働いてこそ市場は活性化するという
 ような話をした。(中略)私が話し終わったら、村井純は「ち
 ょっと考えさせてよ」といって、3分くらい考えて「それやっ
 てよ」といった。オサムちゃんは「IIJはどうなっちゃうの
 ?」なんて驚いていたけど、村井純のそのひと言で決まった。
             ――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
 インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで、その時点のインターネット市場についてもう少し詳し
く述べる必要があると思います。IIJを日本初のプロバイダと
書いてきましたが、正確には「国内企業初」あるいは「国産初」
とすべきかもしれないのです。というのは、1993年10月に
「インターSPIN」という名称でAT&TJensが、インタ
ーネット接続サービスを始めているからです。したがって、II
Jはプロバイダとしては2番目になるのであって、日本初ではな
いことになります。
 AT&TJensは、1985年の通信自由化を踏まえて、A
T&Tが日本市場開発の尖兵として、1994年に設立した会社
なのです。もともとVANサービス――大型コンピュータを活用
したネットワーク・サービス――の会社としてスタートしたので
すが、1993年に新規事業開発要員として同社に入社した松本
敏文という新人の提案によって、インターネット・プロバイダ事
業に踏み切ったのです。しかし、AT&Jensの経営陣は、イ
ンターネットの効用を十分に理解していなかったようです。
 もちろんこのSPINもIIJも料金は馬鹿高かったのです。
高橋氏はそこを衝けば十分商機はある――そう考えて、1994
年12月に「東京インターネット」を立ち上げたのです。資本金
は2億4000万円、セコムが51%出資し、残りの49%はU
BA(ユニックス・ビジネス・アソシエーション)加盟のソフト
ハウス35社が出したのです。
          [インターネットの歴史 Part2/23]


≪画像および関連情報≫
 ・COMDEX(コムデックス)とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  毎年アメリカで春と秋の2回開催される世界最大規模のコン
  ピュータ展示会。春季の展示会をコムデックス/スプリング
  秋季の展示会をコムデックス/フォールと呼び、前者は例年
  ジョージア州アトランタで、後者は例年ネバダ州ラスベガス
  で開かれる。1995年にソフトバンクがコムデックスの運
  営会社のイベント事業部門を買収し、傘下に収めたこともあ
  る。1993年を最後に現在休止中。
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:35| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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