したIIJは、日本初のプロバイダ事業を開始したのです。同年
6月に資本金を6億円に増やし、10月にはIIJ東海、12月
にはIIJ九州を設立して、順調に事業を拡大しています。
経営はすこぶる順調で、3年目に単年度黒字を達成し、4年目
には累積赤字を一掃するという快進撃を続けたのです。そして、
7年目の1999年8月に米国ナスダック市場に上場し、株式を
公開しています。
そのときIIJの株価は、実に額面の500倍になったといわ
れます。村井氏が頭を下げて出資を募ったとき、100万円を出
していた人は、その時点で持ち株の評価は5億円になっていたこ
とになります。驚くべきことです。
しかし、IIJの接続サービスは、次のようにかなり高めの料
金設定が行われていたのです。一番安いサービスで、「1秒間に
64キロビットの速度で月額料金50万円」という高めの料金設
定であったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
64Kbps ・・・・・ 月額 500000円
256Kbps ・・・・・ 月額 1005000円
1Mbps ・・・・・ 月額 1750000円
―――――――――――――――――――――――――――――
なにしろやっているところが1社しかないので、高くなっても
仕方がないですが、それにしてもこの金額は高過ぎるのです。こ
れについてIIJは、使っている機器がコンピュータであるため
高くなると説明しています。
旧来の通信に使われている機器の償却期間は10年〜15年で
すが、コンピュータは3年も経つとマシンが陳腐化してしまい、
3年ごとに設備償却が必要になる――それを前提に料金を計算す
ると、上記の価格になってしまうというわけです。
このIIJの料金の高さに着目して、IIJに対抗するプロバ
イダを立ち上げることを考えた人がいます。東條巌氏――後の東
京めたりっく通信社長です。ADSLの先駆けとして有名になっ
た会社(既に消滅)です。
東條氏は最初IIJの第2次プロバイダとして、限られた地域
で料金の安いサービスを提供できないかと考えて、何回もIIJ
に提案したのですが、IIJにことごとく断られたのです。
IIJよりも安くサービスするプロバイダ――この話に乗って
きた企業があるのです。セコムがそうです。セコムは全国展開を
条件として、数十億円出資してもよいといってきたのです。しか
し、話が大きくなってきたので、東條氏は自らは社長をやらず、
当時、日本インターネット協会(JAS)の事務局長を務めてい
た高橋徹氏に社長の話を持って行ったのです。
この時期インターネットを巡って多くの事業が立ち上がるので
すが、いずれも一番苦労するのは社長選びなのです。そこで少し
でもふさわしい人がいると、その人に社長就任の要請が集中する
ことになります。その一人が高橋徹氏であり、彼にはその経歴か
ら複数の社長の話が舞い込んできたのです。
ところが高橋徹氏は技術畑の人ではなく、東北大学文学部哲学
科出身で、美術史を専攻するというITの世界とは何も関係のな
い人物であり、異色の存在といえるのです。
高橋氏はある出版社の仕事の関係でニューメディアのことを調
べはじめるのです。そして、高橋氏は未知の情報技術に関心を持
ち、その関係からDCL(デジタルコンピュータ)社に転職し、
UNIXのワークステーションとルータという通信機器を扱うよ
うになるのです。1986年のことです。
DCL社に移った高橋氏は、ある日UNIXのセミナーに出席
したところ、たまたまそのときのセミナーの講師が村井純氏であ
り、それが縁で村井氏と付き合うようになるのです。当時、村井
氏は、東京大学大型計算機センター助手をしていたのです。
そういう1987年のある日、高橋氏は、東京大学大型計算機
センターに村井氏を訪ねます。そして、自分はルータ(プロテオ
ン社製)の担当であると話したところ、村井氏は目を輝かせたと
いいます。そして、次のようにいったというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
これで日本のインターネットができる。高橋さん、一緒に日本
のインターネットを作ろうよ!
――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
そして、1988年の村井氏はWIDEを立ち上げるのですが
そんなある日、村井氏は高橋氏を訪ねてきて、いきなり次のよう
に切り出したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
高橋さん、お願いだからルータをちょうだい。
――滝田誠一郎著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
さすがの高橋氏もこれには絶句したといいます。何しろルータ
は当時1000万円はする高級品なのです。したがって、ちょう
だいといわれても困るのです。しかし、何とかしてやりたい――
高橋氏は本気でそう思ったといいます。村井氏の人柄がそうさせ
たのでしょう。
さいわい、DCL社は、販売用とは別に研究開発用のルータを
扱っており、このルータは一年で減価償却されるのです。そこで
減価償却されたことにして新しいルータを仕入れ、余ったルータ
を村井氏に回す――これを何度か繰り返したのです。
1992年、高橋氏に2つの大きなスカウト話が舞い込んでき
たのです。一つは、インターネットの国際見本市「INTERO
P」を運営しているINTEROPカンパニーからのオファーで
あり、もう一つは、村井氏からのIIJへの社長就任の要請なの
です。 ―― [インターネットの歴史 Part2/22]
≪画像および関連情報≫
・INTERROP(インターロップ)とは何か
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ネットワーク機器と情報通信サービスをテーマにした世界最
大級の会議および展示会。展示会ではネットワークのシステ
ム構築、情報通信関連企業が、多様化する企業の情報通信シ
ステム・ニーズに対してさまざまなアイディアを提案する。
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・高橋徹氏の経歴
http://www.riis.jp/jp/takahashi/index.html