2007年04月05日

日本初のプロバイダIIJの誕生(EJ第2054号)

 JUNETにおいて村井氏とその仲間が、電子メールを日本語
で送受信できるようにした1987年のことです。米国では世界
初の商用プロバイダUUNETが発足して、UUCP接続サービ
スを開始しています。
 1990年代のはじめ、村井氏が創設したWIDEプロジェク
トには加入希望が殺到して、さばき切れない状態になっていたの
です。なぜなら、WIDEは村井氏を中心とする若手研究者が手
弁当で支えていたのですが、既に限界を超えていたからです。
 この事態に、日本初のインターネット・プロバイダを創設する
必要がある――村井氏はそう考えたのです。しかし、資金をどう
するか、社長を誰にするか――難問山積です。
 プロバイダになるには、電気通信事業法に定められている特別
第2種通信事業者のライセンスを取得することが必要なのです。
通信事業者は次の2つに分けることができます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 自ら設備を持って通信サービスを提供――第1種通信事業者
 諸設備を借用して通信サービスを提供――第2種通信事業者
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1種通信事業者はNTTのように通信設備を持っている業者
であり、第2種通信事業者は第1種通信事業者から諸設備を借り
て通信サービスを提供する事業者のことをいうのです。
 プロバイダになるには、その第2種通信事業者の中で、一定規
模以上の事業者、特別第2種通信事業者になる必要があります。
ここで「一定規模以上」というのは、通信回線が500回線以上
といった条件です。
 何はともあれ会社を設立する必要があります。しかし、そのた
めには、最低資本金1000万円を用意する必要があります。こ
のお金をどうして作るかです。
 結局そのお金は、WIDEの主要メンバーに出してもらうしか
なかったのです。20人近いWIDEのメンバーを村井氏が訪ね
て会社設立の趣旨を説明し、一人20万円から100万円の資金
を出してもらい、総額1800万円の資本金が集まったのです。
 問題は実際に会社を設立する実務を誰にやらせるかです。村井
氏の仲間には優秀なエンジニアはたくさんいたのですが、法律な
どを含めて会社の実務のわかる人間などいなかったのです。
 そういうメンバーの中に一人だけ株式投資を趣味にしていた男
がいたのです。楠本博之という人物です。楠本氏は当時通産省工
業技術院電子技術総合研究所に勤務する公務員だったのです。
 もっとも楠本氏は単に株式投資を趣味として少しやっているだ
けであって、それは会社の実務がわかるということとは無関係の
ことだったのです。しかし、村井氏は、楠本は株をやっているか
ら経済がわかる、それに公務員だから法律のことがわかる、だか
ら、会社の実務がわかるはずである――こういう発想で楠本氏に
会社のことをすべてまかせたのです。
 最大の難問は社長を誰にするかです。こればかりは楠本氏にま
かせるわけにはいかなかったので、村井氏が乗り出したのですが
なかなか引き受け手はいなかったのです。いろいろな曲折を経て
深瀬弘泰氏が引き受けることになったのです。
 1951生まれ、埼玉大学物理学科卒、金融系のソフトウェア
会社を経てアスキーに入社、順調に栄進して、技術企画部長まで
昇りつめた人物です。村井氏が最初に深瀬氏に社長就任を要請し
て一度断られているのです。しかし、一通り候補者に当たってみ
て、すべて断られて、再度村井氏は深瀬氏に頼み込み、社長を引
き受けてもらうことになったのです。
 このようにして1992年12月3日、国産初のインターネッ
ト・プロバイダ、インターネット・イニシアティブ企画――II
J( アイ・アイ・ジェイ)が誕生したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
    IIJ = Internet Initiative Japan
―――――――――――――――――――――――――――――
 IIJの意味は、「インターネットにおいてイニシアティブを
取り続ける」という気持ちを込めて付けた名前なのです。元祖と
しての気概がそこに込められているのです。
 ところがIIJはスタートしたものの、特別第2種通信事業者
のライセンスがなかなか取れなかったのです。申請書類を出すと
「書類不備」ということで突き返される――書き直して提出する
とまた突き返される。これの繰り返してです。
 100回以上これを繰り返して、やっとあることがわかったの
です。本当の原因は書類が不備なことではないということを、で
す。一体何が原因だったのでしょうか。
 1994年に深瀬弘泰氏から社長を要請されて引き受けた鈴木
幸一氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 通信事業というのは公共性の高い事業なので、不特定多数の人
 にサービスを提供しなければいけないとか、サービスを止めて
 はいけないとか、そういうルールがあるんですよ。それだけの
 基盤があるかどうかをきちんと申請書類に書け、とそれが郵政
 省の言い分ですよ。その基盤は何かといえば、はっきりいえば
 金ですよ。その金がなかったからライセンスがもらえなかった
 のですよ。大難航するわけですよ。
             ――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
 インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、数億円ないし数十億円の資金力がなければ、特別第
2種通信事業者のライセンスがとれないということです。鈴木社
長が銀行と折衝し、IIJは郵政省が許容するぎりぎりの融資を
引き出し、1994年2月にやっと特別第2種通信事業者のライ
センスを取得します。会社設立後、1年3ヶ月かけて、やっとプ
ロバイダのライセンスを獲得したのです。IIJの事業はやっと
スタートしたのです。  
       ―― [インターネットの歴史 Part2/21]


≪画像および関連情報≫
 ・IIJについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  IIJは、1992年、日本で初めてインターネットの商用
  化を目的とした会社として設立されました。 以来、ネット
  ワーク技術の分野においてイニシアティブを取り続け、日本
  のインターネット業界をリードしてきました。日本のインタ
  ーネットの歴史は、IIJの歴史でもあります。
        http://www.iij.ad.jp/info/point/index.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:57| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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