のは、2010年4月27日のことです。そして、この議決を受
け、東京地検特捜部が再度嫌疑不十分で不起訴を決定したのは、
5月21日のことです。
検察審査会は、検察から再度不起訴にした通知を受けた場合、
審査を開始しなければなりませんが、そのさい次の2つのことを
する必要があります。
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1.検察官を検察審査会議に出席させ意見を述べさせる
2.専門家として弁護士を審査補助員に委嘱し審査する
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「1」の小沢事件を担当している検察官は、斎藤隆博東京地検
副部長です。検察審査会法第41条により、第5検察審査会は議
決をする前に担当の検察官から意見聴取する必要があります。
問題はその意見聴取をいつ実施したかです。EJ第3646号
(10月7日)でご紹介した2010年10月6日付、読売新聞
には、次の表現があるので、再現します。
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9月上旬には、「起訴議決」を出す場合に義務付けられてい
る検察官の意見聴取を行った。意見聴取では、東京地検特捜
部の斎藤隆博副部長が1時間以上にわたって説明。
──2010年10月6日付、読売新聞
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これによると、「9月上旬」に第5検察審査会は斎藤副部長か
ら意見聴取したことになっています。上旬とはいつかは特定でき
ませんが、もし本当であれば、9月14日の議決の成立要件を満
たしています。
しかし、斎藤副部長が9月14日前に検察審査会に出席したと
いう証拠は何ひとつないのです。もし、本当に検察審査会に出席
しているのであれば、それを証明できる書類が残っているはずな
のですが、何も残っていないのです。これは行っていないことを
あらわしています。
2011年2月のことですが、森ゆうこ氏はこの件について法
務省刑事局の刑事課長などを呼び、意見を聞いています。斎藤副
部長が検察審査会に行ったのであれば、「出頭命令書」か「復命
書」があるはずで、それを提出して欲しいと要請したのです。こ
れについて、森氏は自著で次のように書いています。
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「本当に斎藤さんが9月14日以前に行ったという証拠がある
んですか?・・・本当は斎藤さん、行ってないじゃないの?後
でアリバイ作りのために行ったってことはない?」そう聞いた
ときの刑事局の反応を私は忘れない。とくに刑事課長は顔面蒼
白になり、ブルブルと震えていた。 ──森ゆうこ著
『検察の罠/小沢一郎抹殺計画の真相』/日本文芸社
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復命書というのは、職員が上司から会議への出席、調査など特
定の事項を命ぜられて出張した場合に、その経過、内容及び結果
について上司に報告するために作成する文書のことです。
森氏は、自分が社会教育指導員を務めていた経験から、少なく
とも「復命書」はあるはずで、それがなければ管理職は職員の行
動を管理できないはずだと刑事課長に迫ったのです。
その結果、しばらくすると、法務省刑事局からは次の文書が送
られてきたのです。
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検察審査会が審査を行っている個別の事件について、具体的に
どの検察官が、いつ、意見を述べるため、検察審査会に出頭し
たかは、捜査機関としての具体的活動内容に関わる事柄であり
かつ、検察審査会の審査の内容に関わる事柄であることから、
お答えすることは困難ですが、検察審査会法の規定に則し、当
該起訴議決よりも前に、検察官が検察審査会に意見を述べるた
め出席したことは承知しております。なお、東京地方検察庁に
所属する職員が東京地方裁判所内の検察審査会に業務で出向い
た場合、両庁舎問の距離が近距離であり、旅費の支給対象とも
ならないことから、出張扱いとはしておらず、いわゆる出張記
録は作成しない取扱いとなっております。
──森ゆうこ著の前掲書より
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要するに東京地検の職員が、目と鼻の先にある東京地裁に出向
く場合は、徒歩であり、旅費の支給対象とならないので、出張扱
いではなく、書類もないといっているのです。
しかし、この法務省刑事局の主張は正しくないのです。それは
志岐武彦氏から提供された資料(添付ファイル参照)によって明
らかです。この資料は、特別捜査部の「出張管理簿」ですが、佐
久間達哉部長が東京地裁に徒歩で出張した記録がちゃんと残され
ています。
したがって、斎藤副部長が第5検察審査会に出張した記録がな
いはずがないのです。東京地検特捜部ともあろうものが、なぜこ
のような事実と異なることを文書にするのでしょうか。
これに関して、ちょうどこの時期に法務副大臣をしていた小川
敏夫氏が森氏に対し、次のように「忠告」したことが森氏の本に
書かれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
森さんが今調べていることは的はずれだ。斎藤副部長が、9月
14日の前に東京第5検察審査会に行ったのは役所の言った通
りだから、調べても無駄だ。(中略)無理に普段開示させない
資料まで開示させて、動かぬ証拠を出されたら君が糾弾される
ことになる。 ──森ゆうこ著の前掲書より
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小川敏夫氏の言葉は忠告にもとれますが、調査に対しての圧力
ともとれるいい方です。 ─── [自民党でいいのか/70]
≪画像および関連情報≫
●国民会議、最高検、法務省に乗り込む/12年5月30日
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冤罪に陥れられている小沢一郎元代表だけでなく、多くの冤
罪被害者を救済するために立ち上がった森ゆうこ参義院議員
や「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」が、「司
法改革を実現する国民会議」を結成し、「ストップ!検察の
暴走!!」ということで、5月29日参議院会館講堂で緊急
アピールを採択し、法務省・最高検察庁へ要請文を持って乗
り込んだ。開始時間が予定より早まったため、所用を終え、
駆けつけた時には、すでに始まっていた。そのため、鈴木宗
男氏のスピーチの途中からの中継となり、小沢一郎新政研会
長の挨拶は聞くことができなかった。鈴木宗男氏・森ゆうこ
議員のスピーチや緊急アピールの採択後、森ゆうこ議員らと
一緒に法務省・最高検察庁に乗り込み、緊急アピール文を手
渡した。私達、市民の思いを知り、検察や法務省が正義の場
として国民の期待に応えられるためにも、特捜の報告書偽造
などの犯罪をうやむやに葬り去ることなく、田代検事は勿論
当時の樋渡検事総長や佐久間特捜部長、大鶴検事・民野検事
ら組織ぐるみの犯罪を厳しく糾弾していってもらいたい。検
察審査会を欺くことになった特捜部の犯罪を、裁判所で糾弾
されたことで終わらせず、検察はそのつとめを果たさなけれ
ば、国民は納得することはできない。
http://bit.ly/18ZRvtH
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佐久間特捜部長の徒歩出張
JFKの有名な国民への演説「国家があなたたちに何をしてくれるかではなくあなたたちがなにを国家のためにできるかを考えよう」
これはJFKの政治信念ですがこのアイディアをJFKはどこから得たのかといえば、武士道で滅びかけた国(藩)を救い治めた上杉鷹山と、同じく滅びかけた焼け跡から生まれた(後にジョンレノンが心酔してイマジンを作った)戦争放棄の日本国憲法からです。
建国からして野蛮冷酷な強盗国家アメリカの良心JFKはまさに日本伝統の武士道大和魂を統治理念のお手本にしたのです。
弟のロバートも兄に劣らず日本武士道に心服していました。来日して武士道古武術の粋植芝盛平開祖合気道塩田剛造に会い心酔しています。塩田は合気道で最強の技は「自分を殺しに来た敵と友達になること」と極意を述べています。
武の字は戈を止めると書く表意文字です。柳生真陰流剣の極意は活人剣であり無刀で勝つこと。武士道は死ぬことと見つけたり(葉隠)、すなわち忘己利他おのれが死んで他者(忠孝)に尽くす者が武士である。徳川家康は忠諫の士こそ武士の鑑であるとしました。信長秀吉にはこの武士道がなかったゆえに一代限りで滅んだのです。
武士の魂が日本刀です。上杉鷹山は齢わずか17歳で米沢藩主として招かれ滅亡寸前の藩を「民の父母」となって必ずや立て直すことを決心しそれができなければ武士の魂の日本刀で切腹して自ら果てることを神仏に誓って荒廃した米沢藩へ赴いたのです。