総裁に対して、解散の約束をしています。しかし、それには条件
があったはずです。その部分を再現します。
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定数削減をするという約束、私はこの国会がベストだと思って
います。でも、最悪の場合、必ず次の国会(2013年1月)
で定数削減をする。それはゼロ増5減のレベルじゃありません
よ。お互いに数10単位で言ってきてるわけですから、そこで
成案を得るということを、必ずやる。嘘はつかない。共に責任
を持つ。そして、それまでの間は、たとえば議員歳費の2割削
減等々、国民の皆様の前に身を切る覚悟をちゃんと示しながら
ご負担をお願いをする。制度ができるまでそれを担保する。そ
こを是非お約束をして欲しいと申し上げてるんです。
──野田佳彦首相(当時)
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これに対して安倍総裁は、言質をとられないよう多くの言葉を
使いながら、曖昧な発言を積み重ねながらも肯定的な返事をして
いるのです。だから、野田首相は16日に衆議院を解散すると宣
言したのです。その後も安倍総裁はくどくどと多言を弄しながら
言い訳めいたことを繰り返したので、最後に野田首相に次のよう
にいわれてしまうのです。
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技術論ばっかりですね。覚悟のない自民党に政権は戻さない。
それを掲げて我々は頑張ります。 ──野田佳彦首相(当時)
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この党首討論をテレビで見ていて、安倍氏の対応に、古い自民
党のずる賢さを感じたものです。自民党はゼロ増5減以上の定数
削減など絶対にやらない政党です。それに議員歳費の2割削減は
どこに行ったのでしょう。これについては、民主党のマニフェス
トにも自民党の公約にも載っていないのです。
それにしても野田氏の対応にも疑問があります。安倍氏は明ら
かに野田氏が迫る約束から逃げており、やる気のないことは明白
であったのに、なぜ解散を口にしたのでしょうか。「約束してい
ただけないなら、解散はしない」といえばよいのです。あのとき
解散を望んでいたのは自民党と公明党だけなのですから。
野田氏は党首討論の前から解散を決めていたのです。その真の
ねらいは「小沢潰し」です。「いま選挙をすれば、小沢は惨敗す
る」と考えたのでしょう。事実その通りになり、小沢氏は国民の
生活が第一→未来の党→生活の党と、非常に苦しい事態に陥って
います。彼らにとってはしてやったりというわけです。
国民との約束を反故にして消費増税をごり押しし、民主党を破
綻の淵に追い詰めた野田氏をはじめとする当時の民主党の主流派
の議員たちは、勝てないことはわかっていたものの、まさかこん
なに大敗するとは思っていなかったのです。
したがって、一定の数を確保できれば、状況によって時期を見
極め民主党を割って新党を結成し、自民党と連携するという計画
もあったといわれています。
定数削減は、議員自身の身を切る改革です。議員歳費の2割削
減も同様です。議員としては、本音ではなるべくやりたくないの
です。その身を切る改革を実現するには、それを推進する議員の
剛腕と揺るぎない信念がないと絶対不可能です。小沢一郎という
政治家はそれをやり遂げているのです。小沢氏が、当時「政治改
革」といっていたのは、具体的には次の3つの法案(「政治改革
3法案」)を成立させることです。
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1.「公職選挙法改正案」
・衆院議員の総定数を471人とし、300人を小選挙区
で、171人を全国を単位とする比例区から選ぶ小選挙
区比例代表並立制とする。
2.「政治資金規正法改正案」
・5年間の経過措置をおき、企業等の団体の寄付は原則と
して政党に限る。そのため所属国会議員5人以上とする
などの政党条件や選挙違反の連座制を強化する。
3.「政党助成法案」
・国会議員5人以上を有する政治団体、または総選挙もし
くは参院通常選挙のいずれかで得票率が100分の2以
上の政治団体とする。
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小沢氏は海部内閣でこれを実現させようとしたのですが、野党
はもとより自民党内に根強い反対があって実現できず、次の宮沢
内閣にそれを託します。しかし、これも自民党内──とくに経世
会内の反対があって難航します。政治改革の提案者であるはずの
竹下登元首相がバックで反対の指示を出していたのです。
小沢氏らは、経世会を割って「改革フォーラム21」(衆議院
35人、参議院8人)を立ち上げ、その実現を目指したのですが
それでも実現できなかったのです。
小沢氏らはその結果、宮沢内閣不信任案に賛成票を投じて可決
させ、自民党を離党して新生党を結党します。その直後の衆院選
の後、小沢氏は細川連立政権を結成し、1回目の政権交代を実現
させ、この内閣で「政治改革3法案」を成立させています。
政治改革を口にする国会議員は多いですが、口先だけの議員が
多いのです。本気でそれを実現させるには、何としても実現する
ぞという強い信念と、相当の腕力がないとできないのです。小沢
氏はそれを過去2回も実現させています。まして自民党は昔も今
も守旧派が多く、この党で改革を望むのは困難です。
このような経過から、小沢一郎という政治家を恐れ、嫌い、警
戒し、反感を持つ政治家はあまりにも多いのです。現在では「小
沢は今度こそ本当に終り」といわれていますが、本人は3年後の
次の衆参同一選挙を見据えて活動しています。彼自身が成立させ
た選挙制度でやれば、何回でも政権交代は実現できると彼は信じ
ているのです。 ── [自民党でいいのか/15]
≪画像および関連情報≫
●なぜ、政治改革は必要なのか
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思えば、平成時代に始まる「政治改革」をめぐる政治紛糾は
与野党にわたり、真に日本を改革しようとする勢力と、改革
の仮面をかぶって、既得権益を守ろうとする勢力との闘いと
なる。それは今日でも続いているといえる。これについては
今も小沢氏と私は同じ認識である。政権交代を行いやすくす
る衆議院の選挙制度の改革は、『政治改革大綱』の趣旨を生
かして実現されるが、そのときの政棒は、自民党ではなく非
自民細川連立政権であったことは歴史の皮肉といえる。そし
て、その主導者のトップが小沢一郎氏という政治家であった
ことは誰も否定できないだろう。それがために小沢一郎氏は
嫌われ忌諱されるようになるのである。
──平野貞夫著/ビジネス社刊
『真説/小沢一郎謀殺事件/日本の危機は救えるか』
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野田/安倍党首討論