2013年07月19日

●「国家観なく政局観しかない政治家」(EJ第3592号)

 海部俊樹首相と小沢幹事長の海部政権は、国際情勢の歴史的激
動のなかで翻弄されたのです。当時ソ連は、1986年頃から、
ゴルバチョフ書記長の下でペレストロイカと呼ばれる社会主義改
革運動がはじまっていたのですが、1989年にベルリンの壁の
崩壊でそれが本格化します。そして同じ年の暮れに「米ソ冷戦」
は終結したのです。
 こういう国際情勢の激動期に政治家に求められるのは、的確な
時代認識を持つことです。しかし、そのさい小沢幹事長(当時)
の時代認識と自民党や官僚のそれとは大きな差があり、紛糾する
原因になったのです。
 米ソ冷戦が終結したとき、小沢氏は次のように「予告」してい
るのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本人のほとんどはこれで資本主義が勝った。これから平和と
 繁栄の時代となると言っている。僕は冷戦の終結はパンドラの
 箱が開いたと同じことだと思う。これから資本主義の暴走が始
 まる。米ソの戦争はないだろうが、富の偏りによる地域紛争や
 民族や宗教の対立が激化する。戦後政治の惰性で生きてきた日
 本は、自立して世界の中で活動するため、何をすべきかだ。
               ──平野貞夫著/ビジネス社刊
     『真説/小沢一郎謀殺事件/日本の危機は救えるか』
―――――――――――――――――――――――――――――
 その後の国際情勢は、まさに小沢氏の発言通りになっているの
です。1990年8月に湾岸戦争が勃発しています。そのときの
対応をめぐって日本政治は混乱状態に陥ったのです。
 誰も何も考えられない、判断できない、決められないで混乱が
生じたのです。なぜなら、自民党の結党以来、国家にとってその
ような難事が発生したことがなかったからです。米国の懐のなか
でぬくぬくとし、食べることと、金儲けのことだけを考えていれ
ばよかったからです。つまり、国家観を持たなくても政治家は務
まったのです。
 国連決議によって米国を中心に多国籍軍が編成されるなか、日
本は対応に苦慮したのです。小沢幹事長はとくに外務官僚の根強
い抵抗のなかで、政治主導ではものごとが決められないことを痛
感したのです。このときの体験が、『日本改造計画』を書く動機
になっているのです。日本の政治を変えなければならないという
思いからです。
 このことに関連する、自民党幹事長当時の小沢一郎氏のあるイ
ンタビューでのやり取りを抜粋します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ──時代認識については、幹事長と党内のギャップはかなりの
   ものがある?
 あるある、ものすごくある。だから、僕だけ突出しているみた
 いに見える。アメリカの人が来て、今回いろんな人と会ったが
 あなたのような話をした人はいないと言っていた。俗に言えば
 天下国家の話は誰もしないんだ。テクニカルな話ばっかりなん
 だな。具体的政策判断は根本があってその上で判断することだ
 が、それがないんだな。個別のことばかりあーでもない、こー
 でもないでね。
 ──しかし永田町では幹事長の考え、政治手法がなかなか理解
   されず、批判もある。
 わからないということが、僕にはわからないわな。それはね、
 要するに国家観という意識がなくて、政局観しかないんだな、
 多分。彼はどうやろうとしているのかとか、個人的な利害損失
 の中の、政局の中の意識でしかとらえられないから、彼はなに
 をしようとしているのかという感じになってしまうと思う。直
 接話していない人は多いけど、いろんな所に僕の考えは載って
 いる。わからないことはないと思う。
  ──小田甫著「小沢一郎・全人像」/行研出版局/1992
                  平野貞夫著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 よく政治評論家は、小沢氏のことを「政局しか頭にない男」と
いいますが、こういうことをいう人は、いかに小沢氏について何
も調べていない、読んでいないかがわかります。
 小沢幹事長は、湾岸危機というポスト冷戦の新たな国際社会の
変化に対し、日本はどう対応すべきか熟慮し、政治論、法律論の
両面から論理を組み立て、自衛隊の派遣を唱えたのです。
 これに対して外務省は「自衛隊派遣は国益を失う」の一点張り
で断固反対します。もし、外務省が国際社会の動向を分析し、外
交政策論を展開して自衛隊派遣反対を唱えたのであったら、少し
は議論になったでしょうが、はじめから反対ありきで、そんなこ
とは幹事長ごときが決めることはでなく、国家を担っているわれ
われの決めることであるといわんばかりのことを慇懃無礼に主張
し、小沢幹事長の指示を一蹴したのです。小沢一郎という政治家
が、明治維新以来日本の政治の世界に巣食っている、こうした時
代に合わない官僚機構を根こそぎ変えなければ日本は良くならな
いと考えたのは、実はこのときだったのです。
 このときのいきさつについては、既に2010年1月のEJで
書いていますので、読んでいただきたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ◎2010年1月21日/EJ第2727号
 http://electronic-journal.seesaa.net/article/138904816.html
 ◎2010年1月22日/EJ第2728号
 http://electronic-journal.seesaa.net/article/138995647.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 だからこそ、小沢氏が民主党を率いて政権交代を目の前にした
2009年2月、官僚機構は心底恐れおののいたはずです。「小
沢なら、官僚機構を根こそぎ改革しかねない」と。そしてなりふ
り構わず、巨大メディアと組んで、総力戦による「小沢潰し」が
開始されたのです。「小沢を総理にしてはならない」と。
              ── [自民党でいいのか/14]

≪画像および関連情報≫
 ●「世相を斬る/生活の党基本政策」/あいば達也
  ―――――――――――――――――――――――――――
  今日は6月3日に発表した「生活の党」の参院選に向けた基
  本政策の検討案を紹介しておく。筆者の個人的印象だが、こ
  の検討案こそが小沢一郎の主張する21世紀的な「日本改造
  計画」なのだろう。かなり長い検討案の引用なので、項目ご
  との検討、評価は後日に回す。このような日本が実現した時
  現在の既得権益集団の中で、生き残れる集団、個人はどのく
  らい居るのだろう。永遠に米国依存社会で生きるのか、弱肉
  強食の世界に身を委ねるのか、「自立と共生」をモットーに
  責任と義務と権利を調和させた自主独立の国家に生きようと
  するのか、明確な岐路が提示されている。1%の支配社会に
  唯々諾々と従うか、多少のリスクは抱えるが、99%がそこ
  そこ生きている実感の持てる社会を構築するか、そろそろ日
  本人の決断時期は近づいているような気がする。先ずは、そ
  れぞれの読解力で、“小沢ワールド”を確認し、そんな日本
  をイメージして貰いたい。利益圧力団体の意向沿う政党であ
  る自民党や民主党のような20世紀の遺物の修繕でもなけれ
  ば、みんなの党や維新の会のようにパックスアメリカーナな
  市場原理に身を委ねる事もなく、自尊、自主独立と共生の理
  念(殆どイデオロギー)が如何なく語られている。小沢一郎
  の場合、政治家として傑出しているのは、彼が口にした言葉
  通りの日本と云う国の姿を、明確にイメージ出来ている点が
  他の政治家と異なる部分である。しかし、間違いなくアンシ
  ャン・レジーム陣営からは嫌悪されるし、排斥のターゲット
  になるのだろう。         http://bit.ly/18TP25f
  ―――――――――――――――――――――――――――

ミハイル・ゴルバチョフ.jpg
ミハイル・ゴルバチョフ
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 自民党でいいのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
英語には時制がある。英米人には意思がある。意思は未来時制の文章内容である。文章には意味がある。矛盾があれば、指摘できる。議論の対象になる。議会での意思決定が可能である。
日本語には時制がない。日本人には意思がない。が、恣意がある。恣意は文章にならない。小言、片言、独り言の段階で終わる。意味がないので議論の対象にならないが、談合の題材にはなる。一座の者が首を縦に振れば決着する。以心伝心である。これは、勝手な解釈というべきか。議会には、決められない政治がある。
拙い議会政治の抜け道として、日本人には、阿吽の呼吸・以心伝心が必要である。恣意のぶつかり合いでは、どうにもならないから、とりわけ和をもって尊しとなす。いつも静かに笑っている。このような言語状態では、日本人の主張に外国人から理解を得ることも難しい。

‘今ある姿’ (things-as-they-are) は、現実の姿である。過不足なく成り立っている。
‘あるべき姿’ (things-as-they-should-be) は、非現実の姿である。非現実の話も、過不足なく成り立たせなくてはならない。非現実の内容を過不足なく成り立たせるためには、文章が必要である。日本語には時制がない。遠未来・遠過去などの非現実を表す文章はない。だから、過去は迅速に風化し、未来は一寸先が闇に見える。

世界観がない。日本人の未来の話には筋がない。我々は、以後も何処にも移動しない。鎌倉右大臣ではないが、’世の中は、常にもがもな’ (世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。) である。天下泰平の世の中。現在に関しても場当たり的な発言をする。三時制のそれぞれに対する文章ができていない。歌詠みのようなものか。

現在の地球は英米の世の中。相手は、’我々は何処から来たか。何者であるか。どこに行くか。’ を考えた上での提案をしてくる。ちょうど、インド人が、前世・現世・来世へと考えを移動させてゆくようなものである。日本語脳の脳裏では、過去の内容・現在の内容・未来の内容をそれぞれ独立の世界として展開させることが難しい。これらの命題は、英語の時制 (過去・現在・未来) に対応している。我々日本人にとっての眠りを覚ます上喜撰 (蒸気船) となる。日本人が、何の当てもなく、否定形を駆使して、消去法の一本槍で応戦していたのでは、彼らも取りつく島がない。我々は、彼らと考えを共有する友達にもなれない危険な状態を続けることになる。我が国は、世界の中にあって、世界に属さず。

我々は、いつまでも無哲学・能天気ではいられない。我が国の伝統芸術の保護育成のために日本語に磨きをかける一方、有用な議論を盛んにするために、英語にも磨きをかける教育も必要である。さすれば、日本は、鬼に金棒の国になる。英文和訳の習熟は、この目的には役立たない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

Posted by noga at 2013年07月19日 04:02
湾岸戦争が起きたのは、1991年であるが、米国から、血と汗を流さない日本国民、と非難されたが、これらの非難を受けて、小沢は、米国に40億ドルを提供し、その2%が、小沢にキックバックされた。BFによれば、もっと多額だという。また、米ソ冷戦終結後の国内外情勢に関しては、米国と英国のCFRその他のシンクタンクが、経済競争が激化して行くと予測しており、小沢は、それらの分析を踏襲したに過ぎない。それに、小沢が日本政府と官僚に国家観が無いと批判したようだが、小沢の国家観とは、何ですか? 中国を盟主とする売国的な東アジア共同体構想なのだから、呆れてものを言えない国家観である。売国奴の小沢には、国家観を論ずる事は不可能だ。
Posted by 国家主義者 at 2013年07月19日 08:53
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