2001年10月18日

●明治と平成/おしんと千尋(EJ第724号)

 千尋と等身大の少女が主人公の作品といえば、1983年に放
映されたNHKの連続テレビ小説「おしん」があります。その放
映開始以来、たちまち絶大な人気を獲得し、平均52.6%、最
大62.9%という驚異的な視聴率をあげ、社会現象にまでなっ
た作品です。いわば「おしん」は、日本全体が貧しかった明治と
いう時代背景を映し出す鏡であったといえます。
 これに対して、豊かさに囲まれ、豊かさを当然のものとして暮
らす「千尋」は、そのまま平成という時代背景を映し出す鏡とい
うことになります。つまり、少女時代の「おしん」が日本の貧し
かった時代の申し子であるならば、「千尋」は日本が豊かになり
きった時代の申し子と呼ぶにふさわしいといえます。
 日本はわずか1世紀余という短い期間で世界屈指の豊かな国に
成り上がったといえます。そして、ほんの100年で日本の少女
は「おしん」から「千尋」になってしまったことになります。
 宮崎監督がこの作品を作るとき「おしん」が念頭にあったかど
うかは知るよしもありませんが、監督は10歳の子どもが働かな
ければ生きていけないという、現代日本では考えられない状況を
あえて設定することによって、この平成の世に「おしん」を復活
させたと考えることができます。
 それはさておき、千との愛を実らせる美少年ハクについて少し
書くことにします。ハクはこの不思議な国で千尋を何かと助ける
守護神の役割をします。しかし、ハクは湯婆婆の命令で銭婆から
ハンコを盗み出したことによって、銭婆から人型をした紙の飛行
機の攻撃を受け重傷を負うのです。
 ハクはもともと川に棲む竜の神様であり、かつて幼い千尋が川
に転落したとき優しく助けたことがあるのです。だから、ハクは
千尋が油屋の前にあらわれたときすぐ千尋がわかったし、以後何
かと千尋を助けてきたのです。千尋が溺れそうになった川は「琥
珀川」といい、千尋がそれを思い出してハクに告げたときハクは
自分の名前を思い出すのです。
 琥珀川は、バブル景気に踊らされた20世紀末、マンション建
築のために埋め立てられてしまい、居場所を失ったハクは流れに
流れた末、湯婆婆のもとで働くようになったのではないかと推測
されるのです。
 千はハクが吐き出したハンコを持って銭婆のところに行く決意
をします。銭婆の館は2両編成の電車に乗っていくと便利なのだ
そうです。この電車は何となく世田谷線に似ているのですが、水
の中のレールの上を走るのです。しかし、電車は行きっぱなしで
帰りの電車がないという奇妙な電車です。
 「帰りは線路を伝わって帰ってくるから・・」という千の決意
の固さに釜爺は、40年前の使い残りの電車の切符を出してくれ
ます。この電車のシーンは、映画のCMでも放送されており、映
画を見ていない人もテレビで見たことがあると思いますが、千の
横にカオナシもまるで幽霊のように乗っているのです。
 電車には不気味な影の乗客たちが乗ったり降りたりします。し
かし、目的の「沼の底」駅に着く頃は、辺りは真っ暗になってい
たのです。しかし、この電車のシーン、とても印象に残る幻想的
なシーンです。
 ハンコを銭婆に返したとき、彼女はこういいます。「一度あっ
たことは忘れないものさ。思い出せないだけで」――そのことば
の通り千はハクの名前が「コハクガワ」であることを思い出すの
です。これでハクにかけられていた魔法が解けるのです。
 ここまで書いたのですから、湯婆婆についてもふれておくべき
でしょう。湯婆婆と銭婆の声は夏木マリさんが担当しています。
夏木マリさんにいわせると、湯婆婆と銭婆はまさに動と静だとい
うのです。湯婆婆はアグレッシブに生きていく女であり、銭婆は
ちょっとミステリアスな感じ――そこを演じ分けたつもりだと自
信をのぞかせていますが、まさに当たり役であり、顔まで似てい
ると思うのです。
 いつも自分が生きている今を芝居で演じていきたいと思って仕
事をしていますが、湯婆婆はまさにその時代を一生懸命生きてい
る女――だからとてもカッコいい女性だなって思うと、夏木マリ
さんはいうのです。確かにアグレッシブ過ぎて世間的には悪い人
だと思われてしまうのでしょう。
 結果的には、湯婆婆の決断で千は油屋で働くことができたので
すし、銭婆のおかげでハクも救うことができたのです。それに、
千は最後に自分の名前を取り戻し、両親も救うことができたので
す。湯婆婆は多くのブタの中から両親を探し出せば、魔法を解い
てやると千尋にいうのですが、彼女は「この中にはいない」と断
言します。そしてそれは正解だったのです。
 どうして千尋にそれがわかったのかは一向にはっきりしていな
いのです。そんなことはどうでもいいのでしょう。宮崎作品には
そういうことはたくさんあるからです。
 映画の最後に千尋が人間に戻った父母と合流したとき、父母が
ブタになっていたことを覚えていないのはよくわかるのですが、
千尋自身もこの不思議な町での特異な体験を忘れてしまったので
はないかと思うのです。
 それは異世界で貴重な体験を積んだ彼女が現実の世界でも一段
とたくましくなったようには見えないからです。トンネルをくぐ
って元の世界に戻るとき、千尋は、母親にぴったりついて母親に
「そんなにくっつかないでよ。歩きにくいわ」といわれる情景は
前の千尋に戻ってしまったように見えるからです。もっともたと
えたくましくなったとはいえ10歳の子どもですから、母親に甘
えたくなったということもあるでしょう。
 宮崎監督によれば、油屋で働く千尋は「生きる力」が呼び覚ま
されただけであって、人間的に成長した訳ではないといっていま
す。そういう状況に置かれたからこそ「生きる力」を発揮したの
であって、状況が変われば元に戻るのです。しかし、現代っ子で
もそういう力を持っていることが証明されたわけです。宮崎監督
はそれをいいたかったのだと思います。
                  −− [千と千尋/04]

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posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「どうして千尋にそれがわかったのかは一向にはっきりしていな
いのです。そんなことはどうでもいいのでしょう。宮崎作品には
そういうことはたくさんあるからです。」
この文章の雰囲気が素敵です。
私も何もかもを明確にするのではなく
受け取る側が自由に考えられるスペースがあったほうが
面白いと思うからです。

琥珀川のエピソードは知りませんでした。
知れて嬉しかったです。
Posted by 実好摩衣子 at 2011年12月06日 21:07
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