2007年03月12日

電子メールが使えなかったN1ネットワーク(EJ第2037号)

 前回、米国で、ARPANET、USENET、CSNET、
BITNETが設立されたという話をしました。一般的に、イン
ターネットの原型はARPANETといわれており、それは間違
いではないのですが、いつから「インターネット」といわれるよ
うになったかについては、諸説があるのです。
 1983年1月1日に、ARPANETのプロトコルが現在の
インターネットのプロトコルである「TCP/IP」になったの
です。その時点で、ARPANETから軍事部門は「MILNE
T」として分離し、残りの部分とCSNETが相互接続を果たし
たのです。実はこれがインターネットの原型になるのです。
 それはさておき、日本では何をしていたのかという話に戻りま
す。相磯調査団がPARCを訪問したのが1971年の夏のこと
です。この相磯調査団とは直接関係がないのですが、1974年
に「N1ネットワーク」というネットワークの開発が行われてい
るのです。東京大学と京都大学の大型コンピュータを電電公社が
そのとき開発を進めていたDDX網(パケット通信サービス/完
成は1979年)を使って接続しようという試みなのです。なお
以下、敬称略とさせていただきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 東京大学側の責任者 ・・・・・・・ 猪瀬 博/石田晴久
               プロトコル担当/浅野正一郎
 京都大学側の責任者 ・・・・・・・ 坂井利之
               プロトコル担当/ 金出武雄
―――――――――――――――――――――――――――――
 当時は国産コンピュータの全盛時代だったのです。東大には日
立のマシン、京大には富士通のマシンが入っていたのですが、と
もにネットワーク機能は組み込まれていなかったのです。そもそ
もOSにネットワーク機能を組み込むという発想が、メーカにな
かったので、浅野と金出が苦労することになったのです。
 この時点でARPANET用のプロトコルとして開発中のTC
P/IPの情報も浅野と金出には入っていたのですが、それを超
えるものを作ろうとがんばって「N1」を開発したのです。それ
はTCP/IPの日本版というべきものだったのです。
 「N1」は、「日本1号」という意味であり、世界に負けない
品質の高い通信ができるプロトコル――それを目指すという強い
自負心があったのですが、その時点ではARPANETが現在の
インターネットのようなネットワークになることを想像もしてい
なかったのです。
 問題は通信網なのです。米国では、その時点で1秒間に50キ
ロビットの通信速度――50Kbps の通信網を使っていることは
わかっていたのですが、当時の日本にはそのような高速通信網は
なく、電電公社がパケット通信網に着手していたので、その実験
をさせてやると説得して、電電公社をプロジェクトに引っ張り込
んで、東京・京都間の通信回線を引っ張ってもらったのです。そ
して、1975年にN1ネットワークは稼動したのです。
 ネットワークの目的からすれば、ARPANETと何ら変わら
ない意義のあるプロジェクトの成功といえるのですが、どうも周
囲はあまり盛り上がらなかったようなのです。東大側でプロトコ
ルを担当した浅野正一郎はつぎのように述懐しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 実際に働いたのは京都は金出さんで、東京はぼくを含めて2、
 3人。大型計算機センターが総力を挙げたという感じではなく
 ごく個人的プロジェクトという感じだった。
             ――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
 インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
 N1ネットワークは、その後、パケット交換網の整備拡充とと
もに東北大学、九州大学、北海道大学など、旧帝大から順に他の
公立大学、さらに私学へと広がっていったのです。1980年に
なると、国立大学の計算センターの大型コンピュータにはほとん
どN1機能が組み込まれ、接続はスムーズに行われるようになっ
ていったのです。
 このN1ネットワークに東京大学大型計算機センター(現東京
大学情報基盤センター)の助教授時代にかかわり、その後、日本
インターネット協会の初代会長を務めた石田晴久(現東京大学名
誉教授)は、最初からN1ネットワークの大きな欠陥を見抜いて
いたのです。それは、N1ネットワークでは電子メールが使えな
かったことです。技術的にできなかったわけではないのです。法
律によって禁止されていたのです。これについて、石田は次のよ
うに述懐しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 当時の電機通信法だと、メッセージ交換はやっちゃいけないこ
 とになっていた。そんなことをしたら、郵便事業の妨げになる
 ということで、電子メールは許されなかったのです。私は、電
 子メールの交換ができないようなネットワークはネットワーク
 じゃないと思っていましたから、N1とはほどほどのおつき合
 いはしましたけど、あまり真面目じゃなくて・・。
               ――滝田誠一郎著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ARPANETではもちろん電子メールは使えたのです。もっ
とも最初のうちに副次的なおまけ機能だったのですが、使ってい
ると、これはとても便利だということになって、ネットワークは
飛躍的に拡大したのです。
 郵政事業を守るための電気通信法――これが技術の発展を阻害
していたのです。ARPANETと同じレベルの機能を持ちなが
ら、法的規制によって電子メールが使えなかったことによって、
日本のN1ネットワークの利用者は何年経っても、ごく一部の専
門家に絞られていたのです。この事実を専門家ではなく、そうい
う法律を作り、死守してきた人たちにこそ知ってもらいたいもの
だと考えます。・・・ [インターネットの歴史 Part2/04]


≪画像および関連情報≫
 ・石田晴久氏は語る
  ―――――――――――――――――――――――――――
  まず、1975年に通信を始めた当時は「電話回線に電話以
  外の端末を電気的につないではいけない」という規制があり
  そのため電話回線でパソコン通信を行なおうとすると、音響
  カプラで通信を行なうしかなかったという。また、それに先
  立つ1974年には「ARPANETをまねして」(同氏)
  国内の大学間を当時の電電公社が運営していDDX網(パケ
  ット通信網)で結びネットワークを構築したが、この際にも
  「電子メールの交換は郵便事業に差し支える」という理由で
  複数ホスト間を結ぶ電子メールの利用が認められなかったと
  いう(単一ホスト内における電子メールならOKだった)。
  http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2004/07/01/3725.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:36| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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