2007年03月09日

歴史の片隅に埋没されているFUJIC(EJ第2036号)

 初の国産コンピュータ「FUJIC」が開発された1956年
という年は、どんな年だったのでしょうか。
 敗戦直後にいったんはどん底に沈んだ日本経済は、1950年
の朝鮮戦争の特需景気をきっかけに回復基調に転じ、電子技術に
ついても、ラジオや電子部品の輸出を足がかりに独り立ちしはじ
めていたのです。
 ちょうどこの年の7月に発刊された『経済白書』には、あの有
名な一文「もはや戦後ではない」と書かれていたのです。そのよ
うな年に、岡崎文次氏が7年かけて開発した「FUJIC」は動
きはじめたのです。
 1950年代前半にコンピュータを開発するということは、大
変なことです。なぜなら、当時世界中でもまともに動いているコ
ンピュータは数台しかなかったからです。電子技術においてもア
ナログが主流の時代にデジタル回路のコンピュータを作るのは、
大変なことだったのです。
 そんな時代に富士写真フィルムに勤めるエンジニアである岡崎
文次氏はほとんど独力でコツコツとコンピュータを作ってしまっ
たのです。その一方で、高名な学者を多数結集し、莫大な予算を
投入した国家プロジェクトによるコンピュータは、満足に動いて
いなかったのです。
 この事実を知ると、FUJICは日本初の栄誉だけでなく、世
界のコンピュータ開発史上に燦然と輝いていても不思議はないの
ですが、皆さんは、FUJICとその開発者岡崎文次氏の名前を
今まで聞いたことがあるでしょうか。
 ほとんどの人は知らないと思います。コンピュータの業界に詳
しい人でさえ、また、コンピュータの歴史を伝える文献において
も、FUJICのことはきちんと記述されていないのです。どう
してこのようなことになるのでしょうか。
 理由はほとんど明らかです。それは意図的に隠されたと考えら
れるのです。なぜなら、FUJICの開発と同時期に、国家プロ
ジェクトが走っており、その国家プロジェクトのコンピュータが
動かなかったからです。科学技術、医学、建設などの研究・開発
においも、同じようなことは日本に多いのです。
 素直に岡崎氏の功績を認めていれば、米国のENIACととも
にFUJICの名前も世界的に有名になり、日本のコンピュータ
の開発力が高く評価されたはずです。
 FUJICをここで取り上げたのは、日本ではインターネット
の普及功績などもあまり高く評価しようといないところがあり、
それとよく似ているからです。当の岡崎文次氏は、FUJIC開
発の目的や経緯について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1945年当時、私は富士写真フィルムでカメラレンズの設計
 課長をしていました。カメラレンズの設計には、複雑な計算が
 大量に必要となります。何枚ものレンズの中を進んで行く10
 00本から2000本もの光線を5〜6桁の精度で追跡して、
 収差を求める計算をしなくてはならないんですから、高級レン
 ズになると計算だけで数ヶ月かかったものでした。当時あった
 アナログ計算機では、2〜3桁の精度しか望めなかった。必要
 な三角関数の計算なんか、数十人の人間が数表などで計算して
 たわけです。その作業の効率アップに、僕は海外で作られてき
 たコンピュータが有効だと思ったのです。
 ――遠藤諭著、『新装版/計算機屋かく戦えり』 ASCII
―――――――――――――――――――――――――――――
 インターネットに話を戻しましょう。69年末に4つの大学間
ではじまったARPANETのその後の動きを追ってみます。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1969年12月        4
      1974年 6月       62
      1977年 3月      111
      1981年 8月      213
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように、ARPANETに接続する大学は少しずつ拡大し
ていったのですが、ARPANETに接続するには審査があり、
小さい大学は接続が許可されなかったのです。また、大きい大学
であっても、大学側で軍のネットワークには加わりたくないとい
うところもあったのです。
 そういう背景もあって、1979年にUSENETが誕生する
のです。USENETに加入する条件はただひとつ、UNIXユ
ーザーであることだけであり、民間人でも誰でも入ることができ
たのです。そのため、USENETの加入者は民間人が中心だっ
たのです。このネットワークはUNIXを開発したベル研究所の
関係者が構築したネットワークですが、これが現在のネットニュ
ースになっていくのです。
 1981年になると、全米科学基金(NSF)が、学術目的で
ネットワークを立ち上げます。コンピュータ・サイエンティスト
を集めて情報交換を密にしようというのが目的です。ネットワー
クはCSNETと名付けられたのです。
 さらに、同じ年の3月にIBMがサポートするBITNETが
はじまったのです。BITNETは、ニューヨーク州立大学とエ
ール大学を専用線で結んだのがはじまりです。これは、1981
年中に25の大学が接続されたのです。
 煩雑なので、整理しておきましょう。これらがインターネット
と呼ばれるのはいつからなのでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
  ARPANET ・・・・・ 審査にパスした大学
  USENET  ・・・・・ 民間UNIXユーザ
  CSNET   ・・・・・ 学術研究目的NET
  BITNET  ・・・・・ IBMユーザが中心
―――――――――――――――――――――――――――――
       ・・・ [インターネットの歴史 Part2/03]


≪画像および関連情報≫
 ・USENETとネットニュース
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ネットニュースとは、インターネット上の複数のサーバで主
  にテキストデータを配布・保存するシステムである。電子掲
  示板システムと類比されることが多いが、後者とはサーバに
  より保持するメッセージが異なり、メッセージ群の内容が一
  意に定まらない点で相違がある。英語の発音上から、ネット
  ニューズと濁らせて言う場合や、単にニュース、ニューズと
  言うこともある。USENETとネットニュースを同義と取
  るかどうかについては議論が分かれる。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:37| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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