2013年04月09日

●「輸出と輸入の両方が落ち込む中国」(EJ第3523号)

 北京五輪──普通であれば、経済効果を高める一大イベントに
でなるはずであり、株価の上昇が見込めるものです。中国で株を
やっていた人は「北京五輪特需」に期待したと思います。
 しかし、中国の株価はペースを緩めることなく下落を続けたの
です。中国だけではないのです。ロシアでは中国を上回る速度で
株価は下落したのです。
 ロシア連邦の代表的株価指数RTS──ロシアン・トレーディ
ング・システムでみると、2008年5月の2500ポイントを
ピークとして、それから8ヵ月後には、その80%も下落してし
まったのです。
 そのとき、日本の経済評論家たちは、BRICs とか、デカッ
プリング論とかを展開し、米国経済が停滞しても、中国やインド
やロシアなどの新興国が高成長を維持しながら、世界経済を牽引
していくだろうという予測を立てていたのです。しかし、そうし
た幻想は、リーマンショックで一瞬にして吹き飛んでしまったと
いえるのです。
 株価の崩壊だけでなく、それは不動産価格にも及んでいたので
す。当初不動産価格は、北京、上海、深セン、広州などの主要都
市で対前年比で30%程度下落したのですが、2008年末には
全国的な不動産バブル崩壊が本格化したのです。
 2009年1月10日付の日本経済新聞は、「中国の不動産価
格、前年割れ」の見出しで次のように報じています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 中国の不動産市況が一投と悪化している。国家発展改革委員会
 が9日発表した2008年12月の主要70都市の不動産販売
 価格は、前年同月に比べ0.4 %下落し、05年7月に現在の
 調査形式になってから初めてマイナスに転じた。景気減速で販
 売量が急減しているためだ。価格の下落が止まらなければ、不
 動産開発投資に急ブレーキがかかりかねず、中国政府は警戒を
 強めている。主要70都市の不動産販売価格の上昇率は、前年
 同月比で、08年1月に11.3 %のピークを付けたあと急速
 に落ち込み、前月比では8月以降、マイナスに転じていた。
         ──2009年1月10日付、日本経済新聞
   石平×三橋貴明著『中国経済がダメになる理由』/PHP
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、輸出はどうなったでしょうか。
 2008年12月の中国の貿易統計によると、中国の輸出は、
前年同月比で2.8 %減少し、2ヵ月連続のマイナスになってい
るのです。中国の輸出の2ヵ月連続マイナスは、1999年4月
以来、10年ぶりのことだったのです。
 ちなみに、2008年11月の米国の輸入は全体で12%減少
しています。中国からの輸入に絞ると、対前年比で57億ドル減
少しており、その減少率は16.8 %になっています。これは、
相当大幅な落ち込みであるといえます。
 これに加えて中国の場合は、輸出だけでなく、輸入も大幅に減
少しているのです。それにもかかわらず、純輸出は増大している
のです。純輸出とは「輸出−輸入」のことであり、これが増大す
るというのは、輸出額の減少以上に輸入額が大幅に減少している
からです。これは、中国の輸出産業全体が急速に縮小しているこ
とを意味しています。
 これによって中国の輸出企業は大打撃を受けたはずです。これ
までの輸出する製品を製造するための資本財の輸入を止め、生産
調整をせざるを得なくなるからです。輸入減少の主因はこれであ
ると考えられます。
 とくに中国の輸出全体の34%を占めている広東省では、膨大
な数の企業の倒産が相次いだのです。2008年1月から9月ま
でに7148社、10月以降は約67000社が倒産したといわ
れています。
 問題はこれによる失業者の数です。広東省や上海などの中国の
沿海都市周辺には輸出製造企業が多くあり、約2億人の農民工が
出稼ぎに来ていますが、それらの企業が輸出不振に陥ることによ
り、少なくとも2000万人以上の農民工が失業したものと思わ
れます。しかし、その正確な数は把握できていないのです。
 この結果を受けてですが、既に述べたように2008年第4四
半期の経済成長率は6.8 %に落ち込んでいます。しかし、20
08年の通年のGDPは9.0 %なので騙されてしまいますが、
中国の6%成長は衝撃的数字なのです。
 サププライム危機を予測したことで知られる米ニューヨーク大
学のヌリエル・ルービニ教授は、その数字にはこの時期の生産の
大幅な落ち込み分を含んでおらず、「世界に誤解を与える」と述
べています。この時期の電力生産の減少を考慮に入れると、実際
の成長率はマイナスの可能性があるというのです。
 このルービニ教授は、2011年6月に中国経済について次の
ように警告しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 中国は現在、純輸出だけでなく、固定資産投資への依存をます
 ます強めている。固定資産投資は国内総生産(GDP)の半分
 程度にまで拡大している。将来的に中国は2つの問題に直面す
 ることになる。銀行システムが抱える莫大な不良債権という問
 題、そして深刻な生産能力の過剰が2013年よりも後にハー
 ドランディングを引き起こすだろう。
                  ──ブルームバーグより
―――――――――――――――――――――――――――――
 中国にとって失業率の高さは悩みの種なのです。中国は高度成
長をしている時期にも失業率は4%台であり、日本の高度成長期
の1%と比べると、非常に高いのです。
 しかも中国は農村部に1億人を超える余剰労働力を抱えていて
もし彼らを失業者にカウントすると、失業率は15%前後に跳ね
上がってしまうのです。したがって、最低でも8%以上の成長を
成し遂げないと、失業者が増えて、それが政府打倒のデモに結び
つく恐れがあるのです。       ── [新中国論/21]

≪画像および関連情報≫
 ●中国経済、ハードランデングする「有意な確率」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  著名エコノミストのヌリエル・ルービニ氏は中国経済につい
  て、ハードランディングする「有意な確率」があるとの見解
  を示した。同氏は当地で開かれた金融会議で、中国は世界的
  な信用危機下で経済のハードランディングを回避したものの
  「2013年より後にハードランディングする有意な確率が
  ある」と述べた。中国の国内総生産(GDP)に占める投資
  の比率は既に50%に達しているとし、過去60年のデータ
  で過剰投資がハードランディングにつながることが示されて
  いると指摘した。米金融市場の見通しについては、株式に対
  して慎重な見方を維持すると述べる一方、ユーロ圏の債務問
  題や世界経済減速への懸念から大きく上昇している米国債の
  価格に関しては適正との見方を示した。欧州周辺国が債務問
  題への正面からの対処に消極的なことも世界経済へのリスク
  だとし、「問題を先送りにして何とか切り抜け、ギリシャの
  状況は改善すると言い張って時間稼ぎをすれば、より混乱し
  た破たんを招く可能性がある」と述べた。
              2011年6月13日/ロイター
  ―――――――――――――――――――――――――――

ヌリエル・ルービニ教授.jpg
ヌリエル・ルービニ教授
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 新中国論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「少しだも人のいのちに害ありて少しくらいハよいと云ふなよ」
躾正しい日本人田中正造

★阿修羅♪ > 原発・フッ素31 > 158.html  
福島で凄まじい事態が発生!「福島では妊婦の15人の内12人が奇形児を出産しています!」(原発問題) 
http://www.asyura2.com/13/genpatu31/msg/158.html#c226

「少しだも人のいのちに害ありて少しくらいハよいと云ふなよ」
           田中正造

(引用)佐野が生んだ偉人  その行動と思想
http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/index4.html

田中正造は、天保12(1841)年11月3日に栃木県佐野市小中町(旧旗川村)で、旗本六角家の名主である富蔵、サキ夫妻の長男として生まれた。名主になった正造は、不正をはたらく領主と対立するなどの苦難を乗り越え、明治10年代には自由民権運動家として、また栃木県議会の指導者となっていった。
 明治23年の第1回総選挙で衆議院議員に当選し、そのころ農作物や魚に大きな被害を与えていた足尾銅山の鉱毒問題を繰り返し国会でとりあげ、渡良瀬川沿いの人々を救うため努力した。しかし国の政策に改善が見られず、ついに明治34(1901)年12月10日、天皇に直訴した。
 その後、鉱毒事件は社会問題にまで広まったが解決せず正造は悲痛なおもいで谷中村に住み、治水の名のもとに滅亡に追い込まれようとした谷中村を救おうと、農民とともに村の貯水池化に反対し再建に取り組んだが、大正2(1913)年9月4日に71歳10か月で世を去った。

【kawakiyoのコメント】
 田中正造を理解するには、正造が生きて活動していた時代背景を理解しないと、彼の偉大さが伝わってこない。時代背景を説明するとなると、どうしても長文になるので、キーワードとして次の文を掲載します。
■この時代、日本は長い江戸幕府による封建制を脱却し、殖産興国を旗じるしとして世界の列強という国々に肩を並べようとしていた。
■列強と肩を並べるには、当時世界的に流行した領土拡大と他国を植民地化するという政策を国策として推し進める必要があった。
■この当時、銅は絹とともに外貨を稼ぐための最大の商品価値を有していた。そのため国は、これら増産のために大口生産者に相当な肩入れをした。
■足尾銅山は、この当時国内において40〜50%の銅生産率で、国内第1位を誇っていた。
■手っ取り早く言うと「銅と絹を売って、軍艦と兵隊を手に入れ、アジアの隣国へ侵略し、領土拡大を画策した。」のである。
■こうした政治背景の中で、正造は「足尾銅山の操業をやめさせろ!」「戦争は犯罪である。世界の軍備を全廃するよう日本から進言すべきだ!」と明治政府に迫る。
■正造の行動でのクライマックスの一つは「天皇への直訴」であるが、直訴に関する当時の最高刑は「死刑」であり、正造は真に命を賭けて行動したのである。
 これらの時代背景を理解しながら、このホームページを読んで下さると、正造という人の偉大さと、現代にも通用する人物であることが分かると思います。また、現代にも通用すればこそ正造の精神を、
この後も受け継いでいく必要があるのではないでしょうか。

(引用終わり)
Posted by 東行系 at 2013年04月09日 11:42
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