もりです。そのために、今後の中国経済に関わる主要人物という
か、重要人物をチェックしていきます。
21日のEJで李克強氏のことを取り上げましたが、彼は昨年
の11月に中央政治局常務委員7人のうちの1人に決まり、首相
間違いなしといわれていたのです。ちなみに、胡錦濤政権のとき
の9人の常務委員で、習近平政権の常務委員に残ったのは、習近
平氏自身と李克強氏の2人のみです。
李克強氏は本当は首相をやりたくないと考えていたのです。な
ぜなら、もし2013年から首相をやると、バブルが崩壊し、経
済がダメージを受けると考えたからです。中国の現在の経済の状
況ではバブル崩壊は必至の情勢だからです。
2012年のはじめの頃の中国の経済状況について、石平氏は
次のように述べています。この時期の経済のコントロールは、首
相の温家宝氏が行っていたのです。
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温家宝が在任中の経済政策は、問題を先延ばしにすることでし
た。その場しのぎの経済政策をとることばかりしました。経済
(景気)の指標が悪くなると、すぐに財政出動を行い、経済の
先行きが危うくなると、すぐに金融の緩和を行なう。そしてイ
ンフレになればまた、金融の引き締めを行なうという具合に、
後のことを考えていません。温家宝のやっているこの金融の緩
和とか財政出動という政策は、かえって中国社会に大変なイン
フレを起こす原因になっています。また彼の金融政策によって
不動産バブルが脹らみました。 ──副島隆彦/石平共著
『中国崩壊か繁栄か!?/殴り合い激論』/李白社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
石平氏の情報によると、2012年のはじめの時点の中国の経
済はこういう状況なのです。李克強氏の分析では、もし、不動産
バブルを今のうちに潰さないと、自分の代になって大変だと考え
て、当時の胡錦濤国家主席に金融引き締めを訴えたのです。しか
し、温家宝氏にとってこれは大いに不満だったのです。彼は自分
の任期中にもう一度経済を活性化させたいので、金融緩和を訴え
たのですが、胡錦濤主席がそれを許さないのです。胡主席は、李
克強氏の進言の方に信を置いていたと思われます。
そして2013年の全人代で、李克強氏は首相に就任し、20
13年以降の中国経済を担う存在になったのです。果たして彼は
どのようにして中国経済を立て直すのでしょうか。中国の首相は
経済がすべてであり、これをおかしくすると、すぐ失脚してしま
うリスクの多いポジションです。しかし、ナンバー2です。
もう一人今回の政治局常務委員のなかに経済に強い常務委員が
います。王岐山という人物です。この人は、中国農村信託投資社
長などを経て、1993年から中国人民銀行副総裁、1996年
に中国建設銀行行長(頭取に相当)を経て、2004年に北京市
長、2007年に党政治局員になり、2008年から経済担当の
副首相として、リーマン・ショック後の4兆元景気対策や金融政
策の大胆な緩和を主導した金融のプロなのです。
王岐山氏は、リーマン・ショック後の経済の処理を通じて、当
時のヘンリー・ポールソン米財務長官と親しくなり、米国の経済
界の要人との付き合いの広い米国通です。王岐山氏は、中国経済
の構造改革を進めた朱鎔基元首相と関係が深く、構造改革派とさ
れています。
これだけの人物ですから、王岐山氏としては、首相になれると
信じ、温家宝前首相に協力してきたのですが、李克強氏が首相に
なったことにより、王氏は政治局常務委員ではあるものの、経済
担当から外れることになったのです。これも一種の権力闘争の結
果なのです。王岐山氏はそれに破れたのです。
そうなると、今後の世界経済においても李克強氏の存在は大き
なものになっていくことになります。国家戦略家の副島隆彦氏は
李克強氏を次のようにとらえています。
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李克強は「隠れ民主派」です。私はこのように考えています。
李克強の北京大学時代の同級生たちは天安門事件の前には民主
化運動をやっていたはずなのです。ですから天安門事件(「六
・四事件」という)のあと、学生たちは弾圧されて厳しく一人
ずつ、思想と言動を調べられたはずです。李克強はここでボロ
を出していない。きわめて慎重に行動した秀才であったはずで
す。だから今の彼があるわけです。それでも李克強の内心では
激しく中国の民主化を求めているはずなのです。これは私の当
てズツポウと贔屓目かもしれません。だけれども、私はどうし
てもこのように考えてしまいます。その反面からの証拠があり
ます。李克強に対しては人民解放軍がものすごく警戒している
と言われ続けました。軍は民主化運動を弾圧した側ですから。
──副島隆彦/石平共著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
ところで、王岐山氏は今回中央規律検査委員会書記として仕事
をすることになるのですが、このポストは、きわめて重要な役職
なのです。
毛沢東時代の中国共産党では政治闘争として「路線批判」とい
うものが中心を占めたのです。これは「お前の考え方は違ってい
る」というようにイデオロギーで相手を叩くのです。
しかし、現代の中国では路線批判などはしないのです。現在の
党内闘争は、相手の汚職──たとえば、金融スキャンダルを摘発
して攻撃するのです。この幹部の汚職の摘発の総元締めが中央規
律検査委員会書記なのです。このポストを握ったのが王岐山氏で
あり、中国の政界を動かすことらなると思われます。
胡錦濤政権では、この中央規律検査委員会書記と中央政法委員
会書記の2つのポストが政治局常務委員のポストとしてあったの
ですが、既に述べたように、中央政法査委員会書記は常務委員の
ポストから外れており、それだけ中央規律検査委員会書記の力が
強くなることを意味します。 ── [新中国論/09]
≪画像および関連情報≫
●中国共産党中央規律検査委員会とは何か
―――――――――――――――――――――――――――
中国共産党中央規律検査委員会は、中国共産党の路線の実行
や党紀の整頓、党員の腐敗などを監督する機関。略称は中規
委。委員は中国共産党全国代表大会で選出され、書記、副書
記、常務委員は中規委全体会議で選出される。規律検査委員
会は各地方に存在し、通常は政府の監察部と合同で動く。な
お、中国での名称は中央紀律検査委員会であるが、日本では
外務省においても、規律と紀律の両方を使用している。創設
は1927年に設立された中央監察委員会にまで遡る。19
49年の中華人民共和国成立時に中央規律検査委員会と改め
られる。1955年、中央監察委員会に再改称したが、文化
大革命勃発時に消滅。1978年の第11期3中全会におい
て中央規律検査委員会として復活。陳雲が第一書記に任じら
れ、劉少奇など文化大革命の被害者の名誉回復を行うと共に
四人組問題を処理した。 ──ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――
王岐山中国政治局常務委員
だから
国民主権で日米地位協定破棄し
破防法で前原創価公明党テロ組織を消却して
地球最高の匠国日本民間尖端技術の「得手に帆あげて」福一石棺桶化しよう!
日本人常民「独立と平和の真善美革命」
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-3801.html#comment1329
前原誠司が維新の会へ合流する予定だそうだ。
前原が動くと人が死ぬ。国会議員が死ぬ。いままでずっとそうだった。
池田大作死去のニュースを流せないで苦慮していた前原が遂に我慢しきれず動いたようですな。
しかしよりにもよって維新の会へ合流とは、愚の愚策下の下策。
橋下を早く首相にしろとCIAから鞭が入ったようだ。
焦った前原は維新の会へ移籍して石原慎太郎をポアしいったん自分が石原慎太郎の共同代表の座を襲名して橋下を比例名簿筆頭に載せてから、その後維新の会を離党して無所属になろうという作戦を立てたのだろう。
こうすれば橋下が比例区衆議院議員になれるからね。
そして石原慎太郎死去のニュースで世間に大ショックを与えて蜂の巣をつついた騒ぎを起こしておいてその陰でひっそり池田大作死去のニュースを流そうという作戦だね。池田大作は日本国籍が無いから死後叙勲を受けられないかというと全然そんなことは無い。吉田茂源田実が工作して鬼畜米軍将軍ルメイに勲一等の生前叙勲が為された先例があるから。これで池田大作をこっそり死後叙勲しておいてから正式に公明党へ戻ろうというのが前原誠司の愚かな頭でひねり出した愚策である。
バカにつける薬はないとは本当のことだ。つくづく日本のご先祖さま達は偉かった。
ゆえに我等躾け正しい日本人常民はたんたんとこうするのみ。
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日本の不幸が「アメリカと創価CIAと統一KCIA」の飯のタネ
だから
国民主権で日米地位協定破棄し
破防法で前原創価公明党テロ組織を消却して
地球最高の匠国日本民間尖端技術の「得手に帆あげて」福一石棺桶化しよう!
日本人常民「独立と平和の真善美革命」
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http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/717.html#c99
近江聖人のお話が出ましたのでhttp://iiyama16.blog.fc2.com/?no=4029
私も鵤の聖人聖徳太子の心を1500年後のいま現代に伝えてくださった匠のお話をご紹介したく思いました。
タイトルの本は1987年「BE-PAL」誌上に連載されたエッセイ形式を1988年3月小学館ライブラリーとして刊行されたものです。
最後の棟梁鵤之郷大工西岡常一氏の「あとがき」を全文転載します。(誤字校正済)
田舎大工の口から出放題の戯言を、「BE-PAL」誌上に区切りよく連載して下さった白井康介さん、今また、その連載を一冊の本にお纏め下さった石塚郁雄さん、其の他のスタッフの皆々様に深く御礼申し上げます。
学者への不用意な放言も、歯に衣を着せて上手にお纏め下さったことに感心いたします。私は、学問を軽んずるような心は毛頭もっておりませんが、よく考えてみて下さい。科学知識は日進月歩で、今日の正論は明日の正論では有り得ないのではないでしょうか。今日をもって千年後の建築の命を証明出来ないのではないかと思います。千年どころか、明日をも律し得ないのが科学知識の天気予報やありませんか。
それはなんでかと言うたら、科学はまだまだ未完成やからだっしゃろ。未完成の今日を科学で総てを律しようと考えがちなのが、学者さん方やおまへんやろか。科学知識のない我々工人の言い分にも耳を傾けるような学者さんこそ、ほんとうの学者やと思いまんな。
私どもの、仕事に対する考え方や思い入れは、神代以来の体験の上に体験を重ねた伝統というものをしっかり踏まえて、仕事に打ち込んでますのやがな。例えば、法隆寺伝統の大工には口伝というものがありますのやが、その中の一つに「堂組の木組は寸法で組まずに、木の癖を組め」と言うのがありますけど、どんな建築の本を読んでも、こんな言葉にはお目にかかりまへんな。寸法や形式・様式には詳しいことですが、建物を造営する木の癖に触れた本には、いまだお目にかかっていまへん。それは私の本を読む範囲がせまいのかも知れまへん。浅学のせいでっしゃろな。もっともっと勉強せなあかんとゆうことかいな。
何れにしても、堂塔伽藍を造営するのには、様式や形式に先だって、造営の意義と言うものがありまんがな。例えば、法隆寺の場合には、英邁限りない聖徳太子が仏法の慈悲をもって国を治めようとなさったんやと思いますが、多くの仏法者を養成するための道場としての伽藍ですがな。薬師寺もまた、天武・持統の両帝が、仏法興隆治国平天下の大願をもってなされた大伽藍でっせ。仏法の慈悲ゆうたら、母が子を思う心だっせ。火事や地震やと火急の場合、自分の一身にかえても子を救おうとする、それが慈悲でんがな。
世のお母さん方、自分の心の内をようよう振り返ってみて下され。ようわかるはずだすが。わからなんだら、法隆寺や薬師寺のような心構えで造営された、魂のこもる寺に、観光でなく心から参拝して祈ってみて下され。仏法こそが、世界を最後に救う法やと感得しますし、慈悲心で国を治めようとなさった太子や天武・持統の魂が、皆様方の心にも宿りまっせ。
大工の喋ることやないことを喋りましたな。笑ってお許し下さい。
一九八七年十二月
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この本の他にも、NHKブックス318「法隆寺を支えた木」(西岡常一、小原二郎)と言う本で、西岡常一師の口伝を読むことが出来ます。