史的経緯を掴んでおく必要があります。そこで、現在のNTTド
コモ、au、ソフトバンクモバイル3社による競合時代になるま
での経緯を簡単に述べることにします。ただし、PHSについて
は省略します。
携帯電話の歴史をさかのぼると、1979年の自動車電話が最
初であることがわかります。この自動車電話からアナログ携帯電
話までを第1世代(1G)というのです。この自動車電話はきわ
めて高かったのです。
保証金20万円、加入料金8万円、基本料金3万円、そしてき
わめて高額な通話料と、とても庶民が手を出せるものではなかっ
たのです。当時自動車電話付きの車を持っていることは一種のス
テータスだったのです。
1985年に電気通信事業が自由化されたのです。日本電信電
話公社が日本電信電話株式会社(NTT)となり、同時にバッテ
リー部分を肩から吊るして持ち運ぶショルダーフォン100型が
登場したのです。
1987年になってはじめて独立型のTZ−802型の携帯電
話機が登場します。肩から吊るさないと重かったバッテリー部分
と本体部分を軽量・小型化したのです。このときの重量は9OO
グラム、続くTZ−803型では640グラムまで軽量化されて
います。現在の携帯電話の元祖的存在といえるでしょう。
さて、自由化が行われると、日本移動通信(IDO)と関西セ
ルラー(DDIなど)が新規参入してきます。その時点でNTT
は既に全国展開していたのです。このとき当時の郵政省は、実に
不思議な決定を行ってたのです。
郵政省は、「携帯電話会社は1地域2社まで」という方針を打
ち出したことです。既に民間会社になっているNTTを助けたか
たちになったのです。地域の担当は次のようになったのです。
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関東・甲信・東海地方 ・・・ NTT IDO
それ以外の地域 ・・・ NTT DDI
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しかし、これはどうみてもNTTが有利であり、とくに出張の
多いビジネスマンなどはこぞってNTTを採用したのです。本当
に新規事業者を育てようとするなら、このような地域制限はする
べきではなかったのです。
この決定は日本の携帯電話事業の発展を阻害するいろいろな問
題を引き起こしたのです。この当時はアナログ方式だったのです
が、郵政省が地域制限をしたことと米国の露骨な介入によって、
HICAP方式とモトローラ方式(TACS方式)という互換性
のない2つの方式の混在を生んだのです。
1992年NTTから移動体通信部門が分社化し、NTTドコ
モが誕生します。同社はNTTが10年以上かけて整備してきた
サービスエリアをそのまま引き継いだのですから、他のキャリア
に比べて圧倒的に有利であったといえます。
一方、IDOとDDIセルラーグループは、2OOO年7月に
auとして統合したのです。auという名前はここではじめて出
てくるのです。2000年10月にそのauがKDD、第二電電
と合併してKDDIとなったのです。
そして、アナログ方式の携帯電話の利用者が180万人台を突
破した1993年に携帯電話の世界にデジタル化の波が襲ってき
たのです。これを第2世代(2G)といいます。問題はどの周波
数帯を使うかです。郵政省はアナログ方式で使用していた800
MHz帯にデジタル方式を導入することに決めたのです。
しかし、そのとき800MHz帯はいろいろなものに使われて
いて非常に混んでいたのです。そんな状況に対応するために政府
は800MHzに加えて、1.5GHz帯をデジタル方式専用に
割り当てることにしたのです。これに参入したのが、NTTドコ
モグループに加えてデジタルフォンとツーカーだったのです。
このデジタルフォンとツーカーは、携帯電話事業の第2陣とし
て参入してきたのです。1994年のことです。それぞれの主要
株主は、デジタルフォンは日本テレコム、ツーカーは日産自動車
だったのです。
しかし、それぞれ単独では開拓が厳しいということで、郵政省
の指導で、デジタル・ツーカーグループとして事業を行うことに
なったのです。しかし、1999年8月に日産自動車は経営不振
で、本業に関係ない事業から撤退することになり、日産が保有し
ていたツーカーの株式を日本テレコムにすべて売却したのです。
それを契機にデジタル・ツーカーグループは、1999年10
月、Jフォンと名称変更したのです。Jフォンは「写メール」を
成功させるなど健闘したのですが、そのJフォンを傘下におさめ
たのがボーダフォンなのです。そして、しばらくの間、NTTド
コモとKDDI(au)、それにボーダフォン3社の競合の時代
が続くのです。
しかし、ボーダフォンは設備投資を控えて、あまりにも利益に
こだわったため業績が伸びず、大きくシェアを伸ばすことはでき
なかったのです。そして、2006年にそのボーダフォンを買収
したのがソフトバンクなのです。そのとき、ソフトバンクの孫社
長は、次のようにいっていたといわれています。
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日本の携帯電話事業は既存の3社で一兆円以上もの営業利益を
稼ぎ出している。まさに、利益のプライベート・クラブ。そん
な仲間にわれわれも入れる。 ――孫正義ソフトバンク社長
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しかし、孫社長が携帯事業をやるといい出したのは、野田聖子
衆議院議員が郵政大臣をやっていたときであり、その頃から大変
な苦労のすえ携帯電話事業参入を果たしているのです。他の2社
は、そんな孫社長率いるソフトバンクの参入をひそかに恐れてい
たのです。 ・・・・・ [通信戦争/14]
≪画像および関連情報≫
・日本最初の携帯電話機/TZ−802型
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NTTにとって初めての携帯電話サービスが開始されたのは
1987年(昭和62年)4月のことです。この新サービス
に伴って発売された携帯電話1号機「TZ−802型」は、
体積500CC、重量約900グラムと重く決して、手軽な
携帯電話ではありませんでした。しかし、携帯電話専用機と
なり、1987年(昭和62年)は名実ともに携帯電話の始
まりの年になりました。携帯電話第1号機登場後、契約者の
増加に対応するため大容量方式が導入され、それに伴う新機
種端末の開発も進められ、1989年(平成元年)2月に発
売した新端末「TZ−803型」は重量640グラムを実現
しました。 ――NTTドコモ歴史的展示スクエアより
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