2013年01月15日

●「中国の主張と井上清教授の酷似性」(EJ第3465号)

 尖閣諸島の「先占の法理」に関連した次の主張をまず読んでい
ただきたいと思います。
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 尖閣諸島のどの一つの島も一度も琉球領であったことはない。
 尖閣諸島は日本が日清戦争に勝利したさいに奪い取ったもので
 ある。第2次大戦で、日本が中国を含む連合国の対日ポツダム
 宣言を無条件に受諾して降伏した瞬間から、同宣言の領土条項
 にもとづいて、自動的に中国に返還されていなければならない
 ものである。それをいままた日本領にしようというのは、それ
 こそ日本帝国主義の再起そのものではないか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これはいつも中国の外交部が主張していることとまったく同じ
ですが、実は日本の歴史学者が主張しているのです。その歴史学
者とは、井上清氏という人物で、尖閣諸島の議論をするときは避
けて通れない人です。同じ尖閣諸島についての著書のある孫崎亨
氏も井上清氏の主張を重視しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 井上清/1913年12月19日〜2001年11月23日
 元京都大学名誉教授。日本史専攻。明治維新や軍国主義、尖
 閣諸島、元号、部落問題に関する著作がある。
                   ──ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 井上氏によると、「先占の法理」とは、アジアに対する帝国主
義の植民地支配を合法化する理論であるとして、この法理を正当
化する動きを批判しています。
 先占の法理は国際法の理論です。この先占理論を精緻化し、現
代に通じる国際法上の概念に理論構成したのは、ヴァッテルとい
う人です。ヴァッテルの功績をウィキペディアによってまとめる
と次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ヴァッテルは、先占の根拠を労働に求めることによって、第1
 に、狩猟、遊牧などを営む先住民の土地を無主の地と規定し、
 これを西洋諸国民が獲得することを合法化する法理論を提供す
 るとともに、他方で、教皇の認許や単なる発見が土地獲得のた
 めの十分な権原を構成しないことを主張した。第2に、ヴァッ
 テルは、国際的先占と私的先占とを厳密に区別し、国際的先占
 とは国家を主体とする無主の地に対する現実的占有であること
 を明確にした。            ──ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで注目すべきことは、たとえある島に先住人がいても、彼
らが狩猟、遊牧などを営む遊牧人である場合は、そこを「無主の
地」とし、そこには先占の法理が働くとしている点です。要する
に植民地にしやすくしているのです。
 そうなると、日本が尖閣諸島を日本領にした経緯について検証
して見る必要があります。すなわち、第3の観点「日本政府の調
査」について考えます。
 1885年のことです。日本は尖閣諸島は「無主の地」である
と認定していたのですが、古賀辰四郎なる人物が、尖閣諸島での
活動を認めて欲しいとの要請を明治政府の行政機関に出してきた
のです。
 これを受けた内務省は外務省に対し、領有に踏み切ってよいか
照会を出したのです。これに対し外務省は「今は認められない」
との見解を出しています。その理由については次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらの島は中国の国境にも近く、清国では島名もつけている
 清国の新聞などにも、日本が台湾近くの清国の島を占領すると
 風説をながし、日本を疑っているものがいる。  ──外務省
         東郷和彦・保阪正康共著『日本の領土問題/
 北方領土・竹島・尖閣諸島』/角川ONEテーマ21A150
―――――――――――――――――――――――――――――
 そういうわけで、このときは認められなかったのです。しかし
それから10年後の1894年12月27日に内務省は再び尖閣
諸島の領有化について、次のようにを照会しているのです。これ
に対する外務省の回答を示します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 内務省:その当時(1885年)と今日では事情も違っている
     ので、領有を認めてよいか。
 外務省:本省においては別段異議これなし
          ──東郷和彦・保阪正康共著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 1885年の時点では、清国(中国)といえば大国であり、日
本としては相手の国力を実際よりも大きく考えていたのです。し
たがって、尖閣諸島を日本領にするさいに何が起きるかを十分読
めていなかったのです。そのため、外務省は「ノー」を出したの
です。それから10年後に清国と日本の間で戦争が起きると清国
は既に内部崩壊していて、そこで国力は判明したのです。そのた
め外務省は1895年のときは「OK」を出しています。
 こういう経緯で日本は、1895年1月14日に現地に標杭を
建設する旨の閣議決定をしているのです。ちなみに、日清戦争は
1984年7月に始められ、1985年3月に終っています。つ
まり、1895年1月の時点では、日本は清国との戦争に勝利す
ることはわかっていたということになります。
 こういう論拠に立てば、冒頭の井上清氏の「尖閣諸島は日本が
日清戦争に勝利したさいに奪い取ったもの」といわれても仕方が
ないといえます。
 しかし、中国の海洋権益についての著作があるグレッグ・オー
スティン氏は、「中国は主権者として行動する意図と意志があっ
たこと及びそのような権威を現実に示してきていない」とし、国
際法の観点からは、日本に理がある──すなわち、先占の法理が
認められるという見解を示しているのです。
                 ―─ [日本の領土/69]

≪画像および関連情報≫
 ●井上清教授とは何者か
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  TVで顔馴染みの中国政府・姜瑜報道官が「尖閣諸島問題」
  について意外なことを言い出した。「日本と中国がともに領
  有権を主張する尖閣諸島問題に興味のある人は、京都大学の
  井上清教授が執筆した尖閣諸島にまつわる歴史と帰属問題に
  関する書籍に目を通すよう提案した」と言うのだ。今や忘れ
  去られた存在である井上清の著作を、あの一党独裁国家の報
  道官が、「課題図書」として「推薦」してくださったとは・
  ・・。こういう高圧的な中国人の態度に対しては、日本人も
  少しは目覚めて、”激怒”する必要がありそうだ。その本と
  は、井上清著「”尖閣”列島―釣魚諸島の史的解明」(第三
  書館/1996年)※を指す。姜瑜報道官は今や絶版になっ
  た古本をamazonででも探して読めと言うのだろうか。
    ※ http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html
http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/98208347555f6d273033d4dbf6f1286c
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井上清元京都大学教授.jpg
井上 清元京都大学教授
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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