2013年01月11日

●「尖閣に関する中国の主張の正当性」(EJ第3464号)

 日本政府は、尖閣諸島について「わが国固有の領土」といいま
す。固有の領土というのは、「かつて外国の領土になったことの
ない領土」という意味です。佐渡島や天草諸島が日本固有の領土
であるように、尖閣諸島も日本固有の領土であるというのです。
 しかし、尖閣諸島は佐渡島や天草諸島と根本的に違うところが
あります。それは島というよりも岩礁に近く、人の定住は相当困
難な島である点です。
 中国が釣魚島などの島嶼(尖閣諸島のこと)を明の時代から中
国固有の領土であるという1971年12月30日の中国外交部
声明(1月8日のEJ第3461号で紹介)を巻末の≪画像およ
び関連情報≫に再現します。
 この声明を基にして、魚釣島などの島嶼は中国の領土であると
いう主張を次の3つの観点から検証してみることにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.清国関与の実態
          2.  先占の法理
          3.日本政府の調査
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1の観点は「清国関与の実態」です。
 中国の主張に「日本政府は、日清戦争を通じて、これら島嶼を
かすめとり」というのがあります。日清戦争は1894年7月〜
1895年3月にかけて行われた戦争です。果たしてその当時清
国は、尖閣諸島を自国の領土として、国の管理下に置いていたで
しょうか。
 中国は明の時代から魚釣島などの島嶼を支配していたといって
います。明の時代というと、日本は戦国時代であり、東シナ海で
は倭寇が出没していたといわれます。倭寇は中国や朝鮮から見る
と、日本人の海賊(野蛮人)を指していう言葉です。そのまま転
じて「日本による侵略」を意味する言葉になっています。
 中国は明の時代から、この倭寇に対する沿岸警備隊を編成して
これに対抗したことが記録に残っているといいます。やがて中国
の王朝は明から清に代わり、日本では、安土桃山、関ヶ原の戦い
を経て、徳川時代に移ってきたのです。
 その頃、中国から琉球に「冊封使」が来航しているのです。柵
封使(さくほうし)とは、ある国に冊封(称号、任命書など)を
与え、中国皇帝と君主関係を結ぶ使者のことをいうのです。
 この柵封使が琉球に来るとき、台湾から尖閣諸島を経由して琉
球列島に来ているのです。その航行の記録が当時の文書に残って
いると中国は主張しているのです。
 柵封使の記録は、1534年、1562年、1683年に残っ
ています。そのさい、琉球圏についての認識を示唆する記録があ
り、それには、琉球圏は久場島以東の琉球36島と記述されてい
るというのです。
 これは、尖閣諸島が琉球の一部ではないことを示しているので
す。いい換えると、それが中国の領土であることを示すものであ
るというのが中国の主張です。
 1556年に清国は胡宗憲を倭寇討伐総督に任命しています。
そのさい、福建省の5つの海防区域を設けていますが、そのなか
に魚釣島があるのです。また、1893年に西太后は、病気の治
療に効果のあった薬草調剤師に対して薬剤目的のために、尖閣三
島を下賜する証書を出しているといいます。
 以上の柵封使に関する尖閣諸島の記録、倭寇討伐総督の胡宗憲
が尖閣諸島を海防区域に含めている点については、確かにそうい
う記録のあるのは事実ですが、そうだからといって、尖閣諸島が
清(中国)の領土であることの証拠にはなり得ないのです。
 これらの文献における尖閣諸島の記録は、尖閣諸島を航路上の
目標として、航海日誌や旅情をたたえる漢詩のなかに書きとどめ
たもので、それが中国固有の領土であることを示すものとはいえ
ないのです。
 また、胡宗憲が尖閣諸島を倭寇討伐作戦の海防区域のなかに入
れたからといって、以前からその島嶼に中国の支配が確立してい
たとはいえず、倭寇討伐の拠点島のひとつとして設定したのに過
ぎないのです。尖閣諸島に中国人が定住していた記録はいっさい
ないからです。
 まして西大后の尖閣三島の下賜の件にいたっては、証書そのも
のの信憑性に疑いがあるとする反論が多数存在し、これをもって
中国の領土であることを証明するのは困難です。
 第2の観点は「先占の法理」です。
 尖閣諸島は歴史的に見れば、中国人も日本人も定住していない
のです。こういう島嶼は、歴史上に明確に自国の領土であること
を示す証拠がない場合、先にその島を占有し、領有を主張した国
が有利になります。これを「先占の法理」といいます。そういう
どこの国にも属していない島などを「無主の地」というのです。
これは国際法で使われる法理です。日本では、尖閣諸島を「無主
の地」として位置づけており、2010年10月5日付「赤旗」
には次のように記述されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 尖閣諸島の存在は、古くから日本にも中国にも知られていた。
 しかし、中国の文献にも、中国の住民が歴史的に居住していた
 ことを示す記録はなく、明代や清代に中国が国家として領有を
 主張していたことを明らかにできるような記録はない。近代に
 いたるまで尖閣諸島はいずれの国の支配も及んでいない、国際
 法にいう「無主の地」であった。無主の地に1884年探検し
 たのは古賀辰四郎だった。古賀氏は翌85に同島の貸与願いを
 申請した。日本政府はその後、沖縄県などを通じてたびたび現
 地調査を行った上で、1895年閣議決定によって尖閣諸島を
 日本領に編入した。歴史的にはこの措置が尖閣諸島に対する最
 初の領有行為である。これは「無主の地」を領有する「先占」
 にあたる。  ──孫崎亨著『日本の国境問題』/ちくま新書
―――――――――――――――――――――――――――――
 第3の観点は来週述べます。   ―─ [日本の領土/68]

≪画像および関連情報≫
 ●中国/1971年12月30日外交部声明
  ―――――――――――――――――――――――――――
  釣魚島などの島嶼は、昔からの中国領土である。早くも明代
  にこれら島嶼は、すでに中国の海上防衛区域の中に含まれて
  おり、それは、琉球、つまり現在の沖縄に属するものではな
  くて、中国の台湾に付属する島嶼であった。中国と琉球のこ
  の区域における境界線は、赤尾峡と久米島との間にある。中
  国台湾の漁民は、昔から釣魚島などの島嶼で、漁労に携わっ
  てきた。日本政府は、日清戦争を通じて、これら島嶼をかす
  めとり、更に、・・・「台湾とそのすべての付属島嶼」及び
  膨湖列島の割譲という不平等条約に中国を調印させた。──
  浦野起央著『尖閣諸島・琉球・中国』/東郷和彦・保阪正康
  共著『日本の領土問題/北方領土・竹島・尖閣諸島』/角川
  ONEテーマ21A150
  ―――――――――――――――――――――――――――

尖閣諸島/魚釣島.jpg
尖閣諸島/魚釣島
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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