2013年01月10日

●「尖閣棚上げは中国の深謀遠慮戦略」(EJ第3463号)

 周恩来氏の「尖閣諸島棚上げ発言」についてはいろいろな意見
があります。「きわめて寛大な大人の提案だ」という意見もあれ
ば、国交正常化交渉なのであるから、「相手国との懸案事項につ
いて、きちんと決着をつけるべきだ」という意見もあります。
 しかし、当時も現在も、尖閣諸島は日本が実効支配しており、
少なくとも当時は、その帰属をめぐって日本と中国が争っている
わけではなかったのです。
 したがって、田中角栄首相としては、中国は確かにそのような
ことをいったが、聞き流したというスタンスをとったのです。し
かし、中国側にはそこに周到な計算があったのです。
 1972年当時の日本は、戦後の苦しい時期を乗り越えて、経
済的にはもちろんのこと、軍事的にも日米同盟を結んでいる日本
が中国を圧倒していたのです。一方、中国は経済の不振に喘いで
おり、軍事的にも、周恩来首相が田中首相に愚痴をこぼしたよう
に、ソ連との関係がうまくいっていなかったのです。
 したがって、中国としては、尖閣諸島の問題が国交正常化の正
式議題になることを警戒していたのです。なぜなら、もしそれを
議題にすれば、意見が対立して、国交正常化が決裂しかねないか
らです。それでは中国は持たないと考えたのです。
 かといって、中国としては尖閣諸島は軍事的にも、将来のエネ
ルギー資源確保のためにも、その領有権の主張をあきらめるつも
りはないのです。何とかして後から交渉できる余地を残しておき
たい。年月が経過して中国が軍事的に米国と拮抗し、経済的に日
本を追い抜くまで中国は時間を稼ぐ必要がある──このように中
国は考えたのです。このように考えて周恩来氏は「尖閣諸島棚上
げ発言」をしたのです。
 中国がそのように考えていたことは、国交正常化から6年後の
1978年8月の日中平和条約締結のさいにも、当時中国副首相
であるケ小平氏は「尖閣諸島棚上げ発言」をしているのです。
 しかし、その発言をする前に中国側としては必ずある行動を起
こすのです。それは、尖閣諸島問題の存在を日本国民にはっきり
と意識させることです。
 周恩来首相のときは、たまたま尖閣諸島周辺の海域での石油資
源があることが直前に話題になっていたので、それをそのまま利
用したものと思われます。
 それでは、ケ小平氏は何をしたのでしょうか。
 1978年というと、ケ小平氏は毛沢東時代と決別し、改革開
放路線に舵を切った年なのです。中国にとってもっとも日本の援
助が必要なときであったのです。ケ小平氏はそのとき非常に手の
込んだことをやっています。
 1978年4月にケ小平氏は、100隻以上の海上民兵を乗せ
た漁船を尖閣諸島周辺に送り出して、領土問題の存在をアピール
しています。そして、日中平和条約締結のために中国を訪問した
園田直外相に対して「尖閣諸島棚上げ論」を展開し、日中平和条
約の批准書交換のために、1978年10月に来日したさいに、
当時の福田首相に対して「大局を重んじよう」といって煙に巻き
尖閣諸島について有名な次の発言を行っているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 われわれの世代の人間は知恵が足りない。われわれのこの話
 し合いはまとまらないが、次の世代はわれわれよりもっと知
 恵があろう。その時は誰もが受け入れられるいい解決方法を
 見いだせるだろう。           ──保阪正康著
        『歴史でたどる領土問題の真実』/朝日新書
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本側はこの中国の申し入れを了としたのです。尖閣諸島を実
効支配しているのは日本であり、それに異議を唱えているのは中
国です。解決策を良い知恵が出るまで先送りしようという中国の
提案に日本側は反対する必要はないと考えて、日中平和条約は締
結され、批准書が交換されたのです。
 しかし、ここで注意しなければならないことは、日中の間に尖
閣諸島について「暗黙の合意」が成立していることです。それは
「島の現状を変えない」という暗黙の合意です。
 そして現代、ケ小平氏が主導した改革開放路線が実を結び、中
国は経済力で日本を抜き、軍事力でも米国と肩を並べつつあるの
です。今なら日本などには絶対に負けない──このように考えて
中国がひたすら待っているのは、日本が尖閣諸島の現状を大きく
変えて来ることです。そして中国にとって、そのチャンスが訪れ
たのです。それが今回の国有化です。
 中国から見ると、尖閣諸島の現状を変えないという日本との暗
黙の了解がある──このように考えています。しかし、日本のス
タンスは、尖閣諸島は日本の領土であり、中国と棚上げ密約など
結ぶ必要がないというものです。
 確かに棚上げ密約を示す文書はいっさいないので、両国は尖閣
諸島に対してどのようにでもいうことができます。しかし、それ
なら日本はなぜ尖閣諸島の実効支配のレベルをもっと上げなかっ
たのでしょうか。
 尖閣諸島の魚釣島には、日本の右翼団体「日本青年社」が小さ
な灯台を建てています。その後に日本青年社は久場島にも灯台を
作っています。海上保安庁がヘリポートを作ろうとしたこともあ
ります。しかし、その都度中国や台湾が大規模な抗議行動を起こ
すので、海上保安庁がそれらを撤去しています。こういう行動は
中国側から見ると、日本は尖閣諸島棚上げの密約を守ろうとして
いると解釈できるのです。
 ケ小平氏は来日のさい、新幹線に乗車しています。そのとき、
日本の経済と技術力に圧倒されたのです。そして、ケ小平氏は帰
国すると、「経済がほかの一切を圧倒する」という政策を打ち出
し、経済でも日本の後を追いかけ始めるのです。それから30年
以上経過して、中国は経済でも日本を抜き、新幹線も日本の技術
をベースにすでに開発し、300キロを超えるスピードで中国国
内を走っています。そういうときに日本は尖閣諸島を国有化した
のです。             ―─ [日本の領土/67]

≪画像および関連情報≫
 ●ケ小平氏の会見/日本記者クラブ/1978年10月25日
  ―――――――――――――――――――――――――――
  尖閣列島は、我々は釣魚諸島と言います。だから名前も呼び
  方も違っております。だから、確かにこの点については、双
  方に食い違った見方があります。中日国交正常化の際も、双
  方はこの問題に触れないということを約束しました。今回、
  中日平和友好条約を交渉した際もやはり同じく、この問題に
  触れないということで一致しました。中国人の知恵からして
  こういう方法しか考え出せません。というのは、その問題に
  触れますと、それははっきり言えなくなってしまいます。そ
  こで、確かに一部のものはこういう問題を借りて、中日両国
  の関係に水を差したがっております。ですから、両国政府が
  交渉するさい、この問題を避けるということが良いと思いま
  す。こういう問題は、一時棚上げにしてもかまわないと思い
  ます。10年棚上げにしてもかまいません。我々の、この世
  代の人間は知恵が足りません。この問題は話がまとまりませ
  ん。次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。その
  ときは必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つ
  けることができるでしょう。今回の訪日に当たりまして、日
  本政府と日本人民に非常に温かいご歓待をいただきまして、
  大変感銘を深くしております。(最後まで読む)
       http://bea2003.iza.ne.jp/blog/entry/1854432/
  ―――――――――――――――――――――――――――

福田赳夫/ケ小平両氏.jpg
福田 赳夫/ケ小平両氏
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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