2013年01月09日

●「田中・周会談で話し合われたこと」(EJ第3462号)

 1971年7月のことです。キッシンジャー米国務長官が北京
を秘密裡に訪問し、ニクソン大統領が中国を訪問することを予告
したのです。そして1972年2月、実際にニクソン米大統領は
中国を電撃訪問しています。
 当時佐藤内閣の下で通産大臣をしていた田中角栄氏は、これに
カチンときたのです。それは、キッシンジャー国務大臣の提唱す
る東アジア新秩序構想において、米国は日本抜きで事を運ぼうと
していたからです。「米国の思うようにはさせない」──そのと
き田中氏は固く心に誓ったのです。
 1972年7月7日、第64代内閣総理大臣に就任した田中角
栄氏は、疾風のごとく日中国交正常化に動き出したのです。そし
て同年9月に北京を訪問し、日中国交正常化交渉に臨んで、見事
にまとめ上げたのです。総理就任からわずか3ヵ月以内でこの大
仕事を成し遂げているのです。
 田中首相の外交交渉は実に周到なものだったのです。総理就任
月の7月中に、個人的に親交のあった公明党の竹入義勝委員長を
中国に派遣して、中国の周恩来首相のハラを探らせたのです。そ
れによってわかったことは、中国も内政外交面において多くの問
題を抱えており、日本との国交正常化を望んでいたことです。
 この周恩来・竹入会談は、1972年7月28日に行われてい
ます。このとき、2人は日中国交正常化交渉において日中で話し
合うべき項目を整理しています。驚くべきことは、その会談で尖
閣諸島問題については、周恩来首相の方から次のように持ち出し
てきたことです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 尖閣諸島の問題にふれる必要はありません。竹入先生も関心が
 なかったでしょう。私もなかったが、石油の問題で歴史学者が
 問題にし、日本でも井上清さんが熱心です。この問題は重く見
 る必要はありません。 ──保阪正康著/「歴史でたどる領土
    問題の真実/中韓露にどこまで言えるのか」/朝日新書
―――――――――――――――――――――――――――――
 周恩来首相のいう井上清氏というのは、京大名誉教授の歴史家
です。彼は、「釣魚諸島は明の時代から中国領であったが、日清
戦争のときに日本が盗み取った」という説を主張している学者で
す。現在も中国はこれと同じ主張を繰り返し述べています。井上
氏は中国にとって、中国の意思を代弁してくれる都合のよい日本
の歴史学者なのでしょう。
 周恩来首相と田中首相の会談は、4日連続して4回行われてい
るのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      第1回会談  1972年9月25日
      第2回会談  1972年9月26日
      第3回会談  1972年9月27日
      第4回会談  1972年9月28日
―――――――――――――――――――――――――――――
 このなかで一番時間をかけ、濃密な内容が話し合われたのは第
3回の会談だったのです。その会談のやりとりの一部を保阪正康
氏の著書をベースとして、会話形式で再現します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 周恩来:田中総理。中ソ友好同盟条約はヤルタの密約にありま
     す。対日問題もヤルタから出発している。米国は中国
     の東北地方と西北地方をソ連に任せたのです。ソ連は
     国民政府との間に、中ソ友好条約を作ったが、これは
     日本に対抗するためです。当時蒋介石はヤルタ密約を
     知らなかった。中ソ友好条約などは今やまったく機能
     していません。同盟国とはいえませんよ。ソ連と話を
     するのは容易ではありません。日本も4つの島を取り
     戻すのは大変なことだと思っています。
 田 中:いや、まったくその通り。お話はよく理解できます。
 周恩来:話は変わりますが、過去の歴史から見て、中国側では
     日本軍国主義を心配している。今後は日中がお互いに
     往来して、われわれとしても、日本の実情を見たい。
 田 中:軍国主義復活は絶対にない。軍国主義者は極めて少数
     です。戦後、衆議院で11回、地方の統一選が7回、
     参議院が9回選挙した。革命で政体を変えることは不
     可能です。また、国会の3分の2の支持なくして憲法
     改正はできません。日本人は領土の拡張がいかに損で
     あるか、よく知っています。ところで、周総理。尖閣
     諸島についてどう思うか。私のところには、いろいろ
     言ってくる人がいます。
 周恩来:尖閣諸島については、今回は話したくないのです。今
     これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問
     題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題に
     はしません。 ──保阪正康著/「歴史でたどる領土
    問題の真実/中韓露にどこまで言えるのか」/朝日新書
―――――――――――――――――――――――――――――
 田中首相としては、周恩来首相が尖閣諸島の問題を会談で持ち
出してこないことは、7月末の周・竹入会談でわかっていたこと
なのです。これで中国が日本との国交回復を心から望んでいるこ
とはよくわかったのです。
 しかし、石油が埋蔵されていることによって世界の注目を浴び
ているときに、国交正常化の最大の難関とされていた尖閣諸島の
問題を日本側から切り出さないのは不自然です。そこで、田中首
相は自分の方からあえて切り出して確認を求めたのです。
 周恩来首相としては、今この問題を話し合うと絶対にまとまら
ないし、石油が出るから領有権を主張したとは思われたくない。
もともと魚釣島諸島は中国固有の領土であり、このことはいずれ
日本と正式に論じたいが、今はそのときではない──周恩来氏は
このように考えて日中国交正常化を実現させたのです。
 この尖閣諸島棚上げ論は、日中平和条約締結のさいにも、もう
一度中国から持ち出されるのです。 ―─ [日本の領土/66]

≪画像および関連情報≫
 ●毛沢東―田中角栄会談を再現する/横掘克己氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  中国の毛沢東主席と日本の田中角栄首相が初めて握手を交わ
  したのは、40年前の、1972年9月27日の夜のことで
  あった。この歴史的な会見によって、中国と日本が長かった
  「戦争状態」を終わらせ、正式に国交を正常化することが最
  終的に確定したのである。北京・中南海の毛主席の書斎で行
  われた毛―田中会談に同席した人は、日本側は大平正芳外相
  二階堂進官房長官、中国側は周恩来総理、姫鵬飛外相、廖承
  志中日友好協会会長である。だが残念なことに、いまはみな
  この世を去ってしまった。会談の内容は、終了後、二階堂長
  官が日本の随行記者団にその模様をブリーフィングし、それ
  が翌朝の日本の新聞に載っただけで、中国側からのくわしい
  発表はなかった。はたして二階堂長官が言うように「一切、
  政治的な話は抜きだった」のだろうか。本当は何が話し合わ
  れ、どんなやりとりがあったのか。それを知る二人の生き証
  人がいる。通訳・記録係としてこの会談に同席した二人の中
  国女性だった。王效賢さんと林麗雹さんの二人である。日本
  側の事務方は参加していない。二人の記憶などをもとに「歴
  史的一夜」を再現してみた。すると、これまで伝えられてい
  なかった両国首脳の、生き生きとしたやりとりがわかってき
  た。ユーモア溢れる和やかな雰囲気の中にも、国交正常化の
  ためにはゆるがせにできない問題も、この会談で真剣に話し
  合われていたのである。(文中の肩書きはいずれも当時)
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/30year/teji.htm
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竹入委員長と握手する田中角栄首相.jpg
竹入委員長と握手する田中角栄首相
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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