靖国神社に放火した後、ソウルの日本大使館に火炎瓶を投げて韓
国で服役している中国人の劉強元受刑者に対してソウル高裁は、
次の理由で劉受刑者を日本には引き渡さず、韓国政府は、高裁の
司法判断を尊重して、中国に送還する方針であるといいます。
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靖国神社への放火は政治的な犯罪にあたる
──ソウル高裁
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これは中国の「愛国無罪」と同じであり、こういう犯人はそれ
をよいことにして、何回でも同じことをやると思われます。日本
と韓国の間には竹島を巡って深刻な対立があり、それが尾を引い
て韓国はこういう政治判断をしたのでしょう。愚かなことです。
こういうことをしているようでは、日本と韓国は、永久に親しく
なれないでしょう。中国を利するだけの話です。それとも韓国は
日米ではなく、中国にシフトしようとしているのでしょうか。
領土問題は、領土問題にとどめておくべきであって、歴史問題
化してはならないのです。北方領土問題も尖閣諸島問題も今のと
ころは領土問題のままですが、竹島問題は少なくとも韓国側では
歴史問題化しており、このままでは両国の親善関係は後退せざる
を得ないと思われます。あのような小さな島のことで、お互いに
不幸なことであると思います。
さて、ここから多くの日本人が尖閣諸島について考えているこ
とが正しいかどうかの検証に入ります。何人かの日本人に聞いた
ところ、次のように考えている人が多かったのです。
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かつては、中国は尖閣諸島などはたいして重要な島と考えてお
らず、日中国交回復のときや、中国が資金援助などで日本の大
きな協力を得なければならないときは、それを棚上げにしよう
と提案してきたくせに島周辺の海域に膨大な石油資源があると
いうことがわかると、「これは我が国固有の領土である」と急
に領土権を主張するようになった。
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このように考えている人は多いのですが、これは完全に事実を
間違ってとらえています。「ECAFE/国際連合アジア極東経
済委員会」のレポートが尖閣諸島海域に石油の埋蔵量があること
を発表したのは1968年のことで、1972年9月の日中国交
回復よりも前のことであるからです。中国は、尖閣諸島周辺に膨
大な石油が埋蔵されている事実を知ったうえで、日本に対し「尖
閣棚上げ」を提案してきたのです。
それにしても1968年といえば戦争が終わってから23年が
経過しています。その間日本は、敗戦国の屈辱をバネに国民全員
の必死な努力によって、経済の高度成長により国際社会のなかに
復活してきたのです。
中国はそんなに長い間戦勝国として尖閣諸島については何もせ
ずに放置し、石油の埋蔵が確認されると、急に領有権を主張する
なんて許せない──これが当時の日本人の偽らざる心情であった
と思われます。しかし、ここで尖閣諸島の価値を大きく高めてお
くことは中国にとって必要なことだったのです。それは当時の中
国にとって、領土問題を上回る戦略的に重要な問題の解決に使え
るからです。その重要問題とは日中国交回復の実現なのです。
中国は、1971年12月30日の外交部声明として、次のよ
うに領土権を主張しています。
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釣魚島などの島嶼は、昔からの中国領土である。早くも明代に
これら島嶼は、すでに中国の海上防衛区域の中に含まれており
それは、琉球、つまり現在の沖縄に属するものではなくて、中
国の台湾に付属する島惧であった。中国と琉球のこの区域にお
ける境界線は、赤尾峡と久米島との間にある。中国台湾の漁民
は、昔から釣魚島などの島嶼で、漁労に携わってきた。日本政
府は、日清戦争を通じて、これら島嶼をかすめとり、更に、・
・・「台湾とそのすべての付属島嶼」及び膨湖列島の割譲とい
う不平等条約に中国を調印させた。──浦野起央著『尖閣諸島
・琉球・中国』/東郷和彦・保阪正康共著『日本の領土問題/
北方領土・竹島・尖閣諸島』/角川ONEテーマ21A150
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もちろんこの中国の声明に対して、日本の外務省は、次のよう
に反論しています。
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尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方
法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島で
あるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎
重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨
の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとし
たものです。──「尖閣諸島の領有権についての基本的見解」
外務省HPより/東郷和彦・保阪正康共著による前掲書
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日中間の意見は完全に対立しています。しかし、中国はその後
何もいってこなかったのです。日中国交正常化を控えている日本
としては、「尖閣諸島問題は日中国交正常化にとって厄介な問題
になる」と頭を抱えていたのです。
ところがです。中国は尖閣諸島の領有権を主張しただけで、こ
の問題を日中関係の正面に出すことをやめています。そして、中
国がそれを出してきたのは、1972年の日中国交回復交渉のさ
いの周恩来・田中会談においてだったのです。それは、周恩来首
相の次の発言です。
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尖閣列島の問題にふれる必要はありません。今回はそのこと
を話したくない ──周恩来首相
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―─ [日本の領土/65]
≪画像および関連情報≫
●周恩来とはどういう人物だったか
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1972年の国交回復で田中使節団を迎えるとき周恩来は、
新潟出身の田中首相、香川出身の大平外相、鹿児島出身の二
階堂官房長官のために、軍楽隊に新潟の佐渡おけさ、香川の
金比羅船々、鹿児島のおはら節を演奏させた。田中角栄総理
が中国を訪問する前、周恩来総理は、田中総理についていろ
いろと調べるように部下に指示したその時「田中角栄首相に
はいろいろ女性問題がある」と週刊誌を集めて報告した部下
がいた。周は「中国と日本が歴史的な和解をしようとしてい
るんだ。そんな話は何の関係もない」と叱りつけたという。
日中国交回復のため尽力していた日中覚書貿易事務所代表で
当時日中唯一の窓口となっていた岡崎嘉平太は周恩来の印象
をこう語っている。「周総理と会っていると、偉い人と会っ
て話しているような感じがしないんです。まったく、何十年
来の友人と話しているようなそんな感じを醸す人でしたね」
ある時、周恩来は岡崎に「歳」を尋ねた。すると、岡崎は自
分よりも一つ年上だった。周「じゃあ、あなたが兄だ」。二
人は兄、弟と呼び合うほどに、信頼し合うようになっていっ
たという。 ──ウィキペディア
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周恩来首相


