使の宇野宗佑氏と、丁国務総理の密使である金鍾珞氏によって、
丁一権国務総理の元に届けられたのです。1965年1月11日
に一同は例の密会場所である朴健碩邸のホームバーに集まったの
です。もちろんその時点では、この河野提案は金鍾珞氏によって
朴正煕大統領にも届いていたのです。
宇野氏は河野提案が記述された紙を出して、丁国務総理に内容
を日本語で読み上げたのです。丁氏は日本語が堪能であり、普通
の日本人と変わらず、内容は理解できたのです。
丁国務総理はその場では意見を述べず紙を受け取り、それを朴
大統領に伝えたのです。そして2日後の1月13日、朴大統領か
ら「OK」の返事が宇野氏のもとにもたらされたのです。
宇野、嶋元両氏は直ちに龍山の米軍基地から、河野氏に「朴大
統領裁可」の報告をしています。韓国から日本への通信手段とし
ては外務省のそれは使えないので、セキュリティが完璧の龍山の
米軍基地の通信を使うことにしていたのです。
その報告を受けた河野氏は、そのときサンフランシスコのマー
ク・ホプキンス・ホテルに宿泊していた佐藤栄作首相に電話を入
れ、国交正常化のための地ならしが済んだことを伝えています。
1965年1月12日夜(米国時間)のことです。
次の日には「ジョンソン・佐藤声明」が行われ、「アジアの平
和と進歩」が宣言されているのですが、そこでは中国やベトナム
の問題は取り上げられたものの、韓国についてはまったく触れら
れていないのです。紛争はないというメッセージです。
朴大統領も1月16日の年頭教書のなかで、日韓交渉の年内妥
結を宣言しています。さらにこの問題で日韓の首脳同士が、怪し
まれずにゆっくりと話し合う機会が偶然生まれています。それは
1965年1月24日に、英国のチャーチル前首相が亡くなった
ことに関係があるのです。
チャーチル氏の葬儀には、日本からは岸元首相、韓国からは丁
一権国務総理が参加したのですが、偶然2人の席は隣同士だった
のです。そこで、2人は葬儀のあと、ロンドンからパリに場所を
移し、当時の駐フランス大使萩原徹氏の私邸で、竹島の密約を含
む日韓正常化の問題を話し合ったのです。
そのさい、丁国務総理からは朴正煕大統領の親書が岸元首相に
手渡されています。そして、岸元首相は帰国すると、朴大統領の
親書を渡すために官邸を訪れ、弟に当る佐藤首相にその会談の内
容を伝えています。
この竹島密約問題について日本側は、日韓国交正常化に関わっ
ている首脳はすべて情報を共有していたのですが、韓国側は朴正
煕大統領、丁一権国務総理、金鍾珞氏以外には漏れておらず、見
事に秘密は守られたのです。したがって、韓国側は、表の外交の
主席代表で駐日大使の金東祚氏や李東元外務長官ですら、密約の
ことは知らなかったのです。
1965年2月17日、時の椎名悦三郎外務大臣は韓国を訪問
し、20日に日韓基本条約に仮調印をしています。そのとき椎名
外務大臣は、李東元外務長官と次のやり取りをしているのですが
椎名氏は竹島密約のことを知っているのに対し、李東元外務長官
は知らなかったのです。このやり取りによると、椎名氏は李東元
氏をからかっているような感じがします。
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椎名:季長官、竹島問題はどうするつもりですか。
李 :私は、あまり竹島、竹島というので、一度出かけてみま
した。どうして日本のような大国が、あんなつまらない
島をほしがるのか、私には理解できません。
椎名:しかし、日本の漁民の主張や、外務省の歴史的な証拠書
類を見ても、竹島は日本領土だと・・・。
李 :それでは、話が難しくなりますよ、椎名大臣。われわれ
のほうにも対馬が自分たちのものだという古文書があり
ます。それを根拠にわれわれが日本に対馬を要求すれば
日本がくれますか。それとも、この機会に竹島と対馬を
交換しましょうか。
椎名:わかりました。
──ロー・ダニエル著/「竹島密約」/草思社刊
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結局、日韓基本条約は、朴正煕大統領の強い希望により、19
65年6月16日に正式調印されたのですが、そこには竹島につ
いては何も触れられていないのです。
河野一郎氏の考え方はこうです。竹島は価値のない岩礁に過ぎ
ない。もっと正確にいうなら、日本と韓国の関係を壊してまで、
争う価値のない島ということです。なぜなら、島には、ここまで
述べてきたように日韓双方とも歴史があり、それに基づく両国の
いい分があって、いくら時間をかけて議論をしても解決できると
は思えない問題である──河野氏はこのように考えたのです。
既にその時点では竹島には韓国の警備兵が常駐しており、武力
でならともかく平和的に奪還することはきわめて困難な状況にあ
ります。したがって、どちらも「我が国固有の領土」といい合う
のは互いに認め、漁業や資源など見過ごせない問題が出てきたと
きは、真摯に協議する。それでいいではないか、という考え方で
す。とくに将来ともに島を巡って武力による紛争を起こさないよ
うに、次の基本条約の付随協定が決められているのです。
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両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争
は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これによ
り解決できなかった場合は、両国政府が合意する手段に従い、
調整によって解決を図るものとする。
──「日韓紛争解決に関する交換公文」
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.TPJ.html
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この竹島密約はどのようにして韓国の大統領に伝えられたので
しょうか。 ── [日本の領土/61]
≪画像および関連情報≫
●日本はなぜ竹島問題をICT提訴しないのか
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1965年7月30日、第四十九回臨時国会における佐藤内
閣総理大臣所信表明演説では以下のように演説が行われてい
る。「これら諸条約によって、両国間に国交が回復し、外交
使節が交換され、請求権問題も最終的に解決されることはも
ちろん、今次漁業協定によって、関係漁民諸君がながらく苦
しんできた漁業問題も解決されるのであります。この結果、
わが国の漁船がだ捕されたり、船員が抑留されることもなく
漁民は安心して操業できることになりました。また、紛争の
解決に関する交換公文によって、竹島問題について平和的解
決の道が開かれました。竹島がわが国古来の領土であること
は、いうまでもありません。政府は、今後とも強くその領土
権を主張してまいります」。佐藤内閣は「紛争の解決に関す
る交換公文によって、竹島問題について平和的解決の道が開
かれました」と発言している。以降47年間全く平和解決の
道は開かれていないが、この公文書から竹島の文言が外され
ているとすれば、佐藤内閣は国民に大嘘をついていたことに
なる。 http://www.best-worst.net/news_aefaB0l2sI.html
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日韓基本条約仮調印


