2012年12月12日

●「『竹島密約』と河野一郎との関係」(EJ第3447号)

 1965年5月11日付「朝鮮日報」は「韓国の中の日本人」
と題して、次のように伝えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 昨年から自民党の実力者河野一郎国務相が、韓日交渉の裏面に
 深くかかわっていることが明らかになってきた。彼は、もとも
 と、韓日国交正常化には慎重論者として知られていた。その彼
 が積極論者に変わったことについては、いろいろなエピソード
 がある。会談妥結が確実になり始めたために、「韓国行きのバ
 ス」に乗り遅れてはならぬという打算からだという説、大野伴
 陸氏の死後、韓国側から積極的に接近していったとの説、なか
 んずく彼の出身地が金鍾珞氏夫人と同じ小田原であるからとの
 説、また韓国に進出している商社のなかでも指折りの伊藤忠商
 事と河野氏が姻戚関係にあるからという説等々。1963年に
 人知れず韓国を訪れた河野直系の中曽根康弘議員の報告が作用
 したとも言われるが、とにかく、河野氏は韓日交渉に足を踏み
 入れたのであった。         ──ロー・ダニエル著
                  「竹島密約」/草思社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 結論からいうと、日韓国交正常化交渉において、竹島について
韓国と密約を結んだ立役者は河野一郎氏だったのです。河野一郎
氏といえば、自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、そ
の政治行動は「横紙破り」と呼ばれた政治家です。前衆議院議長
の河野洋平氏の父であり、自民党の河野太郎議員の祖父にあたる
人物です。
 その河野一郎氏がどのような経緯で日韓交渉に関わり、竹島に
ついてどのような密約を結んだのでしょうか。
 それにしても、なぜ、日本側の責任者が外務大臣でも農林大臣
でもない河野一郎氏なのでしょうか。そのとき、河野氏は国務大
臣に過ぎなかったからです。その謎を解いていきます。
 まず、当時の自民党党内の派閥事情などについて述べる必要が
あります。当時の自民党には8つの派閥があり、「自民党8個師
団」といわれ、一つの党のような強固な結束力を誇っていたので
す。次表はこの8派閥の対韓スタンスを分析したものであり、当
時の駐日韓国代表部のベウイファン大使が作成したものです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     派閥名  衆議院議席数    対韓姿勢
     池田派      53     積極的
     岸 派      42  極めて積極的
     佐藤派      53     積極的
     石井派      23  極めて積極的
     大野派      32     積極的
     河野派      34      慎重
     藤山派      40      慎重
     三木派      33      慎重
      ──ロー・ダニエル著/ 「竹島密約」/草思社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これによると、河野一郎氏の率いる河野派は、対韓関係は「慎
重」と分析されています。河野氏は漁業企業と関係が深く、日本
の漁船を容赦なく拿捕する韓国のやり方に強い怒りをもっていた
といわれます。
 これに対して池田派をはじめとする官僚派は、米国の意向に従
順であり、日韓国交正常化には前向きだったのです。1961年
11月に来日したラスク国務長官は、時の池田総理と会談して次
のように要請しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 南ベトナムは危険な状況にあり、韓国でつまづくようなことが
 あれば、アメリカの威信にかかわる。悪化する韓国経済の立て
 直しは第一次経済開発5ヶ年計画のなりゆきにかかっている。
 わけても対日請求権は5ヶ年計画の遂行と韓国経済の再建に直
 接関係をもっている。早急に決めてほしい。それがないと、ア
 メリカの対韓援助も決まらない。    ──ラスク国務長官
               ロー・ダニエル著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 当時の韓国は、クーデターによって政権を取った朴正煕氏によ
る軍事政権であり、朴氏は親日派として知られていたのです。朴
軍事政権議長は、日本の対韓関係改善に積極的な官僚派派閥より
も、慎重姿勢を取っている党人派派閥の説得に重点を置いて、ロ
ビー活動を積極化させたのです。
 1961年11月11日の羽田空港。それは異様な光景だった
のです。午後の羽田空港に姿を見せたのは、池田首相、小坂外相
石井日韓問題懇談会会長、足立正商工会議所会頭、岸信介元首相
など政財界の大物がずらりと顔を揃えたのです。
 やがて午後4時近くになって、風采の上がらない黒い眼鏡をか
けた小柄な人物がタラップを降りてきたのです。朴正煕韓国軍事
政権議長その人です。彼はケネディ大統領に呼ばれて米国に行く
途中で日本に立ち寄ったのです。おそらくそれも米国の指示であ
ると思われます。
 日本での滞在時間は30時間。朴議長は、国賓待遇で迎えられ
たのです。そのスケジュールを見ると、11日の夜は総理官邸で
の晩餐会、12日朝はホテル・ニューオータニでの朝食会、昼は
赤坂の料亭での昼食会と続いたのです。そのすべての宴席には、
池田首相をはじめ、小坂外相、岸元首相、田中角栄、福田赳夫、
船田中、石井光次郎などのそうそうたる顔ぶれが顔を揃えていた
のです。これによって、日韓の国交正常化は米国の強く望むこと
であったことがわかります。晩餐会での朴議長の言葉です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 われわれが、過去のよろしくない歴史を暴き立てることは賢明
 なことではありません。両国は共同の理念と目標のために親善
 を図らなければなりません。  ──朴正煕韓国軍事政権議長
―――――――――――――――――――――――――――――
                 ── [日本の領土/51]

≪画像および関連情報≫
 ●朴正煕韓国大統領の人物像について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  朴正煕大統領は大統領に就任すると、日本を模範とした経済
  政策を布き、1961年には、国民1人あたりの所得が僅か
  80ドルだったという世界最貧国圏から、1979年には、
  1620ドルになるといったように、20年弱で国民所得を
  約20倍にまで跳ね上げるという「漢江の奇跡」を成し遂げ
  た功労者であり、独裁的でありながらの朴正煕大統領の私生
  活はいたって質素潔癖であり、縁故採用も嫌い、韓国大統領
  の中で極めて清廉潔白な大統領とされ、汚職も見られず、朴
  正煕大統領の死後には私有財産がほとんどなかった。また、
  自身の政治家としての潔白さを証明するため、親戚のソウル
  への立ち入りを禁じていたという。日本の陸軍士官学校を3
  位の成績で卒業(57期)し、終戦時は満州国軍中尉だった
  朴正煕大統領と対決し、職を追われたことがある趙甲濟も、
  「日本の一流の教育とアメリカの将校教育を受けた、実用的
  な指導者だった」と述べています。しかし、朴正煕大統領も
  夫人も同胞である朝鮮人によって殺されています。
      http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/44832529.html
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1961年当時の河野一郎氏.jpg
1961年当時の河野一郎氏
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「黒ボールペンで憂さ晴らし♪」
(通りがけ)阿修羅推敲版http://www.asyura2.com/12/senkyo140/msg/725.html#c112

>このところ、マスゴミは気でも触れたかのように、自民圧勝の世論調査ばかり流しています。
>これこそ、公職選挙法違反じゃないでしょうか。(トッペイさん)
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/072a65a2113f490fd5b996d2c90c4078

天下り(甘下痢とも書くw)法匪(放屁ともいうw)奇形司法にかかると裁判所でタレ流すのは

【くれよんしんちゃんこまわりクン判決 】

犀番長

「ぜーんぜん無問題むーもんだーい。無罪方面(放免とも書く)から心証(身上:小原庄助が朝風呂でつぶしたヤツ)びんびんきてますので半ケツは死刑!じゃなかった無罪!(キリッ)」

傍聴人

あっへー、わーけわーからんいーしばー
(全員ひっくりかへる)

(そこで犀バンチョーすかさず)

これにて本ちゃいばん(茶番とも書く)はケッ審!エンガチョ〜(冤罪と書く)。

・・・・・・・

是が非でも今度の平成天皇24年12月16日には黒ボールペンもって最高裁裁判官国民審査に行き、国民主権の直接行使民主主義で投票用紙に力いっぱいオール×印真っ黒けのけーに刻み込んで帰りましょう。

「はぁ〜、スッキリした♪」になること請け合いです。
Posted by 東行系 at 2012年12月12日 10:47
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