2003年12月22日

単なるアクション映画でない証拠(EJ1257号)

 『マトリックス』という映画を劇場で3回観て、ひとつ気が付
いたことがあります。1999年の第1章のときは日中の時間で
あったせいかそれほど混んでいなかったのですが、第2章の「リ
ローデッド」と第3章の「レボリューション」のときは、劇場内
で行列をつくらされたのです。
 もちろん作品が評判を呼んだことが原因ですが、劇場内で行列
をつくらされるということは「入れ替え制」になったことが原因
です。つまり、「リローデッド」からは一回ごとの入れ替え制に
なったのです。
 というのは、第1章のときあまりにも連続して二度観る観客が
多かったので、後から入場した人が座れないという事態が生じて
「入れ替え制」にしたのです。最近の映画で昼の時間帯から「入
れ替え制」は大変珍しいのです。並みの映画であれば、ウィーク
デイの昼の時間帯は、学生と年寄りしか入らないからです。
 なぜ、2度観るのでしょうか。それは一度観ただけではワケが
わからないからです。といっても、単にワケがわからないだけで
あれば、「ワケのわからん映画だ」で終わってしまいます。です
から、「好奇心をそそる映画」であることは確かです。
 「あのシーンは何を意味しているのか」とか「あの人物の役割
は何なのか」――強く好奇心を刺激するものが多いのです。だか
ら、続けてもう一度観ようとするのです。このように、何かに好
奇心を持って追求するということは人間にとって非常に大事なこ
とです。なぜなら、好奇心がなくなると人間終わりだからです。
 好奇心は年齢とともに失われていきます。したがって、老齢に
達すると、何か特定のことに凝り固まるか、何事にも関心を持て
なくなるものです。価値があると思っても、興味がないと振り向
きもしなくなります。これが老いを進行させるのです。
 一般論ですが、『戦場のピアニスト』や『スパイゾルゲ』に行
く人は、『マトリックス』のような映画には関心を向けないもの
です。それが意識の世界を小さくしてしまうのです。『マトリッ
クス』は秀逸な映画です。人類の未来について考えさせられる何
かを持っています。ですから、もし、その魅力にとりつかれると
意識の世界が一挙に拡大されるでしょう。私がEJを続けている
のは、好奇心をいつまで持続させられるか試したいからです。
 ジャン・ボードリヤールという人を知っているでしょうか。
 ジャン・ボードリヤールは、フランスの社会学者にして思想家
です。生産中心主義の思想を批判して、独自の象徴交換論を展開
しています。なぜ、ジャン・ボードリヤールかというと、その思
想が『マトリックス』に深くかかわっているからです。
 『マトリックス』の第1章で、夜中にネオがノックの音に気づ
いて目を覚ますシーンがあります。来訪者はチョイというクライ
アントで、違法データを受け取りに来たのです。
 そのとき、ネオは本棚に行き、一冊の本を取り出します。DV
Dで確認したのですが、その本のタイトルは『シミュラークルと
シミュレーション』と書いてあったのです。実はこれは、ジャン
・ボードリヤールの著作のひとつで、消費社会のシミュレーショ
ン現象に鋭く分析を加えた著作として知られています。
 ところが、映画ではその本の表紙を開けると、中がくりぬかれ
ていて、何枚かのフロッピーディスクが入っているのです。ネオ
はハッカーですから、フロッピーディスクの中身は違法データで
あることは確かです。
 書物自体が偽物であって、その中に入っているフロッピーディ
スクのデータも偽物――つまり、自分の暮らす世界がコンピュー
タによってつくられた完全なまがい物であるという、その後ネオ
が知ることになることを予示する伏線になっているのです。
 『マトリックス』の制作者であるウォシャウスキー兄弟は、こ
の映画の主要な出演者に次の2冊の本を読むよう指示しているの
ですが、その中に『シミュラークルとシミュレーション』が入っ
ているのです。
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    ●ジャン・ボードリヤール著
     『シミュラークルとシミュレーション』
    ●ケヴィン・ケリー著
     『複雑系を超えて』(1994年アスキー出版)
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 普通に映画を観る人は、まさかネオが手にする本のタイトルま
で注意しないでしょうし、よほどジャン・ボードリヤールに関心
のある人でない限り、気がつかないと思います。しかし、制作者
のウォシャウスキー兄弟は、そのような細かいところまで、仕掛
けを施しているのです。
 ところで「シミュラクル」というのは何でしょうか。
 「シミュラクル」とは、「にせ物」とか「幻影」という意味で
す。スペルは次の通りです。
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       smulacre →  simulacrum
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 「シミュラクル」とは、オリジナルでもコピーでもないが、独
自の価値として流通する一種の記号――記号は現実ではないが、
情報はすべて記号でしかない。そして、世界はこのシミュラクル
によって作られたハイパーリアルである――何だかよくわかりま
せんが、マトリックスの世界的な概念であることは確かです。な
お、『シミュラークルとシミュレーション』は、法政大学出版局
から翻訳書が出ています。少し、高い本ですが・・・。
 第1章でモーフィアスがネオに2199年の荒廃とした世界を
見せるシーンで、モーフィアスは次のようにいいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          現実の砂漠にようこそ!
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 これも『シミュラークルとシミュレーション』の中に出てくる
「現実それ自体の砂漠」の引用なのです。

1257号.jpg
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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