2012年11月19日

●「竹島と松島の錯誤がもたらすもの」(EJ第3431号)

 そもそも「竹島」は誰が発見したのでしょうか。
 竹島の発見はフランス海軍だといわれています。1789年、
2隻の軍艦を率いて日本海を東上するフランス海軍のラ・ペルー
ズ大佐は、海上にひとつの島を発見し、第一発見者の名前をとっ
て、「ダジュレー島」と名付けたのです。さらに1797年には
英国人のブロートンが日本海でひとつの島を発見し、「アルゴノ
ート島」と命名しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     ラ・ペルーズ ・・・・  ダジュレー島
      プロートン ・・・・ アルゴノート島
―――――――――――――――――――――――――――――
 実はこの2島は、測量した経緯度がずれており、どちらも鬱陵
島のことだったのです。実際にその後にロシア軍艦の測量によっ
て、アルゴノート島はその実在が否定されています。
 しかし、1840年にシーボルトが日本側の地理的知識を加え
て作成した「日本図」では、ダジュレー島もアルゴノート島も実
在の島として載っており、名称は次のようになっていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        ダジュレー島 ・・・・ 松島
       アルゴノート島 ・・・・ 竹島
―――――――――――――――――――――――――――――
 問題なのは、ここでいう「松島」は鬱陵島を意味しているのに
この名称を使い、現在の「竹島」をアルゴノート島に割り当てて
いることです。「竹島」という名前は偶然一致していますが、2
つの島ととらえたのは完全に間違いです。これがその後「竹島」
について、大きな誤解を生むことになるのです。
 話は少し脇道にそれますが、このフィリップ・シーベルトです
が、いささか問題のある人物なのです。鳴滝塾の成功と最新式の
医学を長崎市民に披露して絶賛されたことで有名ですが、彼が文
政11年(1828年)にオランダに帰国するとき、日本の地理
情報を盗んだとして、出島に拘禁され、厳しい取り調べを受けて
いるのです。シーボルトは、日本地図だけではなく、弟子に命じ
て、日本地図のオランダ語版写しを製作させてもいたのです。こ
れではスパイといわれても仕方がないでしょう。
 1849年になって、フランスの捕鯨船リヤンクール号が日本
海である島を発見し、捕鯨船の名前をとって、「リアンクール列
石」と名付けたのです。なぜ、「列石」なのかというと、海上に
突き出た岩山のような形をしているからです。これが現在の「竹
島」なのです。
 これによって、日本では、この「竹島」のことをリャンコ島、
ランコ島、ヤンコ島などと呼んでいたのです。「竹島」とか「独
島」の名称は、1900年のはじめになってからいわれるように
なった名称なのです。
 明治維新によって近代国家として出発した明治政府は、外交調
査のために外務省の左田白芽を朝鮮に派遣したのです。その調査
結果は、「朝鮮国交際始末内探書」として、1870年に報告さ
れています。そこには次のように記述されていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 松島は竹島の隣島にて、松島の儀に付き、是まで掲載せし書
 留も之無く、竹島の儀に付きては、元禄度後はしばらくの間
 朝鮮より居留の為差し遺し置候・・・
              ──「朝鮮国交際始末内探書」
―――――――――――――――――――――――――――――
 複雑なのは、ここでいう「竹島」は鬱陵島のことであり、「松
島」は現在の竹島のことであることです。そうすると、鬱陵島は
もとより、その隣島である竹島も、この時点で朝鮮領であること
が報告されているのです。韓国が「独島はわが領土」と主張する
一つの根拠がこれなのです。
 さらに1876年のことですが、内務省地理寮は、地籍編纂の
ため、島根県に対して、竹島(鬱陵島)の所属について照会し、
次の返事を得ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
       日本海内竹島外一島ヲ版図外トス
―――――――――――――――――――――――――――――
 つまり、竹島、すなわち鬱陵島と「外一島」は、朝鮮領である
と島根県は返事をしたのです。しかし、内務省はことは重大であ
ると考えて、太政官の判断を仰いだのです。これについて太政官
は1877年に次の判断を下しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 元禄五年朝鮮人が入島以来、旧政府と該国との往復の結果、
 竹島外一島の件に対して本邦は関係なしと心得るものなり
―――――――――――――――――――――――――――――
 韓国側は、これらの日本側の記述をもって竹島は韓国領である
と主張しています。問題は「竹島外一島」の表現です。ここでい
う竹島は鬱陵島のことですが、「外一島」の一島は、果たして現
在の竹島を意味するのでしょうか。
 「朝鮮国交際始末内探書」にある「松島は竹島の隣島にて」の
記述ですが、現在の竹島は、明らかに鬱陵島の隣島とはいえない
と思います。なぜなら、鬱陵島と竹島は92キロも離れているか
らです。そんなに離れている島を隣島というでしょうか。
 もうひとつ事実と違うことが書いてあります。「松島の儀に付
き、是まで掲載せし書留も之無く」とありますが、実は松島につ
いては、多くの史料があるのです。「隠州視聴合記」などに松島
(現在の竹島)についての記述があるのです。
 このことから、日本側は「外一島」の一島は、鬱陵島の北東2
キロのところにある小島「竹嶼(チョクド)」のことではないか
と考えているのです。この島については、「干山」と記されてい
る文書(「大韓地誌」)もあるのです。なお、鬱陵島の近傍には
「観音島」という島もあります。したがって、「外一島」はその
どれかを意味していると考えられます。
                 ── [日本の領土/35]

≪画像および関連情報≫
 ●「竹嶼」とはどういう島か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  有人島であり、島へ渡るには、道洞からの観光船に乗る。片
  道約20分。船は波が少しでも高くなると、出航を見合わせ
  る。島の周囲は岩から成り立つ断崖絶壁であり、砂浜などは
  ない。船が接岸した後、乗客は螺旋状の階段を上がり、島に
  入る。竹嶼は個人所有の土地であり、入場料が必要である。
  事前に権利者と交渉および前払いをしておけば、キャンプも
  可能である。島の中には、女竹(笹)が群生しており、また
  芋などの畑が広がっている。この芋をすったジュースが竹嶼
  の名物である。島の中央部西側には展望台があり、ここから
  は南は杏南や芋洞や北芋岩が見え、北は観音島、島項、臥達
  里や其の近くの断崖から流れ落ちる複数の小川が見える。展
  望台すぐ近く、北端にある階段を登っていくと、そこは森林
  が生えている小高い山となっている。 ──ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

鬱陵島と竹嶼.jpg
鬱陵島と竹嶼
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
有意義な考察をなさっていらっしゃるのですが、少々事実誤認があるようですので、コメントを入れさせてもらいます。

まず、シーボルトの『日本図』について、「現在の「竹島」をアルゴノート島に割り当てている」とありますが、シーボルトは現在の竹島をアルゴノートに当てたわけではなく、従来から竹島あるいは磯竹島として知られていた島の名称をアルゴノートに当てたことになります。

次に朝鮮国交際始末内探書の部分で、「「松島」は現在の竹島のことであることです」とありますが、そう断言できる根拠あるいは証明、すなわち佐田白茅が報告書において「松島」というとき、それは現在の竹島(独島)のことを念頭に置いていたという証拠、は無いはずです。

この報告の後に佐田も関わって作成した『改訂新鐫朝鮮全図』という地図には現在の竹島(独島)は書かれていないのです。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kaiteishinsenchosenzenzu-1875/



Posted by Chaamiey at 2012年12月27日 00:20
また、内務省地理寮からの照会に対して島根県が「日本海内竹島外一島ヲ版図外トス」と回答したように書いてありますが、これはそうではありません。島根県は、内務省に対して「島根県の国図に記載して地籍に編入するなどのことはいかが取り計らうべきでしょうか」という趣旨の、どちらかと言えば両島とも日本のものと考えた上での伺いを提出しました。

「日本海内竹島外一島ヲ版図外トス」という言葉は、関係の書類を後で太政類典に再整理したときに見出しのようなものとして付けられたものであり、この言葉が実際に島根県や内務省、太政官などの間の文書のやりとりで使用されたわけではありません。
Posted by Chaamiey at 2012年12月27日 00:39


 なお、ついでに細かいことも少々。「竹嶼(チョクド)」とありますが、韓国語の発音からすれば、「竹嶼」なら「チュクソ」、「竹嶼」の別名の「竹島」ならば「チュクド」とするのが一般的だと思います。
 また、「干山」は「于山」(ウサン)です。 

 最後に、「「外一島」の一島は、果たして現在の竹島を意味するのでしょうか。」という平野さんの問題意識は、私も全く同じです。答としては「そうではない」と思っています。

突然の指摘のコメント、失礼しました。
Posted by Chaamiey at 2012年12月27日 00:52
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