2012年11月05日

●「1年ごとの首相交代は国益を損なう」(EJ第3421号)

 北方領土問題の進展には、何の成果も得られなかった2005
年11月のプーチン大統領の来日から約1年後に小泉内閣は退陣
し、安倍晋三内閣が誕生します。
 安倍晋三首相(当時)がプーチン大統領にはじめて会ったのは
2007年6月6日〜8日にかけて行われたドイツのハイリゲン
ダム・サミットのときです。
 前任の小泉首相は日本の首相としては珍しく5年間にわたって
首相を務めたので、国際的にはかなり名前が通りましたが、その
あとに登場した安倍晋三首相は、当然のことながら、名前はまる
で通っていなかったのです。
 そのため、ハイリゲンダム・サミットのさい、地元ドイツの新
聞3紙が、安倍晋三首相の顔写真の代わりに、こともあろうに赤
城徳彦農林水産大臣──あのバンソウコウ大臣の写真を間違って
使ってしまったのです。G8の各国首脳も日本の総理があまりに
も代わり過ぎるので、顔を覚えられず、こういうことが起こって
しまうのです。
 しかし、2007年6月7日に行われた日ロ首脳会談は、それ
なりに評価できるものであったのです。プーチン大統領は、就任
直後から、「二島返還のみ」という挑発的な議論は引っ込めて、
「双方にとって受け入れられる」という言葉を使って領土問題解
決に意欲を示しており、安倍首相と真摯に話し合うという意思を
示したのです。
 安倍首相は、会談において、2003年に作成されている「日
ロ行動計画」を前進させるために、「ロシアの極東・東シベリア
地域における日ロ協力強化に関するイニシアチブ」(以下、イニ
シアチブ)を提案したのです。
 この「イニシアティブ」は、ロシア政府がこの地域の発展とア
ジア太平洋地域への統合に今後真剣に取り組む姿勢を示している
のに対し、日本政府としても、ロシア側の問題意識に応え、協力
が考えられる分野として次の8つを挙げ、経済分野を含め、両国
の民間同士の相互利益となる形での協力を政府としてやっていく
用意があるという意思を表明したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.エネルギー
      2.運輸
      3.情報通信
      4.環境
      5.安全保障
      6.保健・医療
      7.貿易投資の拡大および環境の改善
      8.地域間交流の促進
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに対して、プーチン大統領は、「非常に魅力的で建設的な
提案である。専門家レベルで具体化させるべく関係当局に指示を
出したい」と述べています。
 しかし、その安倍首相は、サミット直後の第21回参院選挙に
おいて、連立を組む自民・公明を合わせても過半数を獲得できず
第一党から転落してしまうのです。安倍首相は改造内閣を組むも
のの、2007年9月26日に突然の退陣を発表したのです。
 ハイリゲンダム・サミットで顔写真を間違えられ、その後十分
な外交活動もできないまま、サミットから3ヵ月後に退陣したの
ですから、国際的には無名のままで終わったのです。プーチン大
統領もきっと「おや、おや」と思ったことと思います。
 安倍内閣を受け継いだのは、福田康夫内閣です。2008年7
月に北海道洞爺湖サミットが開催され、福田首相は議長を務めた
のですが、その存在感はきわめて薄かったといわれます。首脳同
士の談笑では完全に無視され、フランスのサルコジ大統領からは
首脳会談を拒否されるなど、さんざんだったといわれます。
 このサミットには、プーチン大統領と交代したメドベージェフ
大統領が初参加し、日ロ首脳会談が行われたのです。そのとき、
メドベージェフ大統領は福田首相に次のように話し、北方領土問
題の解決に意欲を示したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 北方領土問題が解決されれば、両国関係が最高水準に引き上
 げられることに疑いはない   ──メドベージェフ大統領
―――――――――――――――――――――――――――――
 この発言は、かつて冷戦時代に日本側がソ連側に述べていた発
言とそっくりであり、完全にロシア側に主導権をとられた観は否
めないといえます。プーチン大統領の時代になって、ロシアはソ
連崩壊の後遺症から脱し、経済的に余裕ができてきており、そう
いう発言が飛び出したものと思われます。
 それでもこのときは、メドベージェフ大統領は領土問題解決に
前向きだったことは確かであり、北海道洞爺湖サミットでは、日
本に親しむため、緑茶を毎日飲んでいると報道されたのです。ま
た、健康のために寿司や刺身を食べたり、村上春樹の小説『羊を
めぐる冒険』を読んでいると答えているのです。
 しかし、この約600億円もかけて開催した洞爺湖サミットの
低調ぶりに嫌気がさしたのか、2008年9月1日、21時30
分からの首相官邸での緊急会見において、福田首相は電撃的に辞
任を表明するのです。あの「あなたとは違うんです!」の迷発言
が飛び出したあの辞任会見です。
 こんなにころころ首相が変わったのでは、外交上のマイナスは
計り知れないものがあります。プーチン大統領の立場で見ると、
森、小泉、安倍と変わっているし、メドベージェフ大統領ときに
いたっては、福田、麻生、鳩山、菅、野田というように実に5人
目なのです。これでは、完全に相手になめられてしまいます。
 だからこそ、メドベージェフ大統領は北方領土に足を踏み入れ
たのです。日本に領土問題を解決する意欲も、能力もないとみた
からです。確かにこれほど首相がころころ代わると、誰と交渉し
てよいかわからないとロシアが思っても不思議はないのです。
                 ── [日本の領土/25]

≪画像および関連情報≫
 ●北海道サミットの成果なし/高橋はるみ/北海道知事
  ―――――――――――――――――――――――――――
  2008年に開催された「洞爺湖サミット」。「キャビアや
  ウニを食べつつ食料危機を考慮(インディペンデント紙)」
  と皮肉られ、「マリー・アントワネットがベルサイユ宮殿の
  窓から身を乗り出して、パンがない農民はケーキを食べれば
  いい」と言って以来、北海道のウィンザーホテルほど、指導
  者が日常生活の窮状に無神経さを示したことはなかった(ガ
  ーディアン紙)」と揶揄された。その開催費用は約600億
  円という。開催地北海道の負担が70〜80億円。当初、慎
  重姿勢だった高橋知事も、中川昭一らに押され、開催に手を
  挙げた。北海道経済連合会は、サミット開催の経済効果は、
  直接効果と開催後5年間の波及効果を合わせて約379億円
  に上ると試算した。関係者の宿泊費や飲食費などの支出によ
  る生産波及が約172億円と推計、開催中の観光客の減少な
  どによるマイナス効果の約54億円を差し引いた約118億
  円の直接効果があるとした。その結果はどうなったのか、公
  式の発表をさがしてみたが見あたらない。
     http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20101103/1288745111
  ―――――――――――――――――――――――――――

メドページェフ大統領と福田首相.jpg
メドページェフ大統領と福田首相
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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