2012年11月02日

●「惨敗に終わった小泉・プーチン会談」(EJ第3420号)

 どうして小泉首相は、ロシアのプーチン大統領を挑発したので
しょうか。
 いずれにしても、2004年9月2日(ロシアから見て対日戦
争終結記念日)に小泉首相が海上保安庁の巡視艇に乗って失われ
た領土を視察に行ったのは、けっして偶然ではないのです。小泉
首相としては、プーチン大統領に対して何らかのメッセージを送
りたかったのだと思います。
 なぜ、9月2日だったのかについては、もうひとつの要素があ
ります。それは、9月1日から3日にかけて起こった「ベスラン
学校占拠事件」です。ロシアの北オセアニア共和国ベスラン市の
ベスラン第一中学校が、チェチェン共和国の独立派を中心とする
多国籍武装集団に占拠されたのです。
 事件は悲惨な結果に終りました。7歳から18歳の少年少女と
その保護者1181人が人質になり、3日間の膠着状態に陥った
後に治安部隊との銃撃戦になり、制圧はしたものの、386人が
死亡し、700人以上が負傷するという大惨事になったのです。
 ロシアは現在でもチェチェン問題という難しい政治問題を抱え
ています。この問題はその経緯が非常に複雑であり、説明を省き
ますが、煎じつめると、それはロシアの抱える領土問題であり、
しかも武力闘争を伴っている厄介な問題なのです。
 これまでにもチェチェン武装勢力は、2002年の「モスクワ
劇場占拠事件」、2003年の「モスクワ・コンサート会場自爆
事件」、2004年の「モスクワ地下鉄爆破事件」など、いろい
ろ悲惨な事件を起こしているのです。
 小泉首相は、偶然とはいえロシアでまさにベスラン学校占拠事
件が起きたその次の日に、北方領土の視察を行っているのです。
次の年にもプーチン大統領の来日を控えているのですから、普通
なら延期するところでしょうが、小泉氏はあえてその渦中に北方
領土を視察しているのです。これは、プーチン大統領に領土問題
を強く意識させ、「こっちにも領土問題がある」というメッセー
ジを送ったのでしょう。
 小泉氏はどうしてこのような挑発をしたのでしょうか。その真
意はわかりませんが、あるブログでは、次のような興味ある分析
をしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉が一見敵に攻撃材料を与えるような行動をとって、敵が小
 泉に対して攻撃を仕掛けようとすると、敵は小泉の行動によっ
 てヒートアップした内部からの突き上げと、敵自身が実は有し
 ている小泉に対する弱みとの板ばさみになって、急激にその力
 を失ってしまう、ということである。これを私は「小泉が仕掛
 けた罠」と言っている。小泉首相の靖国神社訪問は明らかにそ
 う。外国人地方参政権付与の問題も、実はそうではないかと私
 は思っている。そして、今回の小泉首相の北方領土訪問も、小
 泉がプーチン・ロシアに対して仕掛けた罠。
 http://plaza.rakuten.co.jp/kingofartscentre/diary/200410150000/
―――――――――――――――――――――――――――――
 この小泉元首相のプーチン大統領への挑発はどうやら高くつい
たようです。プーチン大統領は、2005年11月20日にロシ
アの財界人100人を引き連れて日本にやってきたのです。小泉
政権としては再三来日を促していたのですが、3年待たされての
来日だったのです。
 しかし、このプーチン来日は何から何まで異例づくめだったの
です。プーチン氏は羽田に到着すると、直ちに日本・ロシア協会
の鳩山由紀夫会長らと会談、東シベリアから石油を運ぶパイプラ
イン建設への資金協力を求めています。鳩山氏の方も、日ソ共同
宣言50周年にあたる2006年、モスクワで行う記念事業への
ロシア政府の協力を要請していますが、両者ともに北方領土問題
には何も触れていないのです。
 プーチン氏が、鳩山由紀夫氏と真っ先に会ったのには理由があ
ります。ちなみに、1956年に締結された日ソ共同宣言のとき
の首相は鳩山一郎氏であり、由紀夫氏は孫に当ります。
 重要なポイントは、日ソ共同宣言にいたる会談で、ロシアから
の歯舞・色丹両島返還の提案に一度は乗ろうとした経緯があるこ
とです。したがって、プーチン氏は、鳩山由紀夫氏に会うことに
よって小泉首相に「あくまで二島返還が基調であって、四島返還
なんか無理だよ」というメッセージを送ったのです。2004年
9月2日の小泉首相の北方領土視察に対する「お返し」です。
 翌日の21日、同行してきたロシア財界人100人を連れ、日
本経団連主催の「日ロ経済協力フォーラム」に出席し、スピーチ
をしています。その席には、トヨタの奥田碵会長ら日本側財界人
を含め500人が出席していたのです。スピーチの内容は、東シ
ベリア石油パイプライン計画への日本の協力要請です。実にタフ
で精力的な大統領です。
 そして、その後で、小泉首相と首脳会談をしています。普通は
首脳会談の前には予定を入れないものですが、このときは、スケ
ジュールからして、完全にプーチン氏のペースになってしまって
います。外交的駆け引きでは、小泉首相はプーチン大統領に負け
てしまっています。
 会談は1時間25分にわたって行われ、その約半分は北方領土
問題に費やされましたが、このときは領土について過去の合意確
認すらなされていないのです。
 小泉首相は、四島の帰属問題解決なくして平和条約なしとのい
つもの主張を繰り返し、話は平行線に終わっています。しかも、
経済協力と信頼醸成の重要性も日本側から強調するなど、領土交
渉としてはきわめて迫力に欠けた会談になったのです。
 プーチン大統領としては、今回の来日は領土交渉よりも経済問
題が中心で、日本の企業は経済協力も技術援助も必ず乗ってくる
し、それを日本の政治家や外務省も黙認すると読んで、財界人を
100人も連れてきたのです。したがって、この領土交渉は日本
の惨敗であり、交渉を後退させてしまった感があるのです。
                 ── [日本の領土/24]

≪画像および関連情報≫
 ●2005年のプーチン来日について/鈴木宗男氏の意見
  ―――――――――――――――――――――――――――
  過去三年間、外務省は「東京宣言至上主義」という陥穽に自
  ら落ちていった。その結果、北方領土交渉は膠着状態になっ
  た。「東京宣言」(1993年)で日露両国は北方四島の帰
  属問題を解決して平和条約を締結することを約束した。過去
  3年間、小泉総理、川口順子前外相は「東京宣言に基づき四
  島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」との言明を繰
  り返した。しかし、「四島の帰属問題の解決」と「四島の日
  本への帰属の確認」は本質的に異なる。「四島の帰属問題の
  解決」ということならば論理的には五つの場合(日4露0、
  日3露1、日2露2、日1露3、日0露4)がある。もちろ
  ん四島の日本への帰属を確認して平和条約を締結するという
  のが私の一貫した立場だが、「東京宣言」を何百回確認して
  も四島が日本に返還されることにはならない。今回、プーチ
  ン大統領が出したシグナルは、「露4、日0という形で帰属
  問題を解決すれば、無償で色丹島と歯舞群島と貸与する」と
  いう案であって、日本としては受け入れることができない。
  しかし、このような提案も「東京宣言」に違反しているとは
  いえない。外務省が「東京宣言至上主義」に陥っていること
  を逆手に取り、ロシアはこのような逆提案をつくったのだ。
  ─2005年10月10日付、朝日ヘラルド・トリビューン
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鈴木宗男氏.jpg
鈴木 宗男氏
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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