2012年11月01日

●「プーチン大統領を挑発した小泉元首相」(EJ第3419号)

 小泉純一郎首相とプーチン大統領──この2人の関係は非常に
複雑です。もともとは仲が良かったのですが、北方領土をめぐる
外交交渉では、完全にプーチン氏と噛み合わなかったのです。
 森首相とプーチン大統領によるイルクーツク声明によって、ロ
シアとの領土問題は一挙に進むという期待感があったのです。し
かし、森首相に代わって登場した小泉首相の時代になると、領土
交渉は暗転して元の硬直状態に戻ってしまったのです。2人の関
係を探って、その原因を追究することにします。
 2000年にロシアにプーチン政権ができると、日本では次の
年に小泉政権が誕生します。2001年4月26日のことです。
2002年6月のことですが、カナダでカナナスキス・サミット
が開催され、その席で小泉首相はプーチン大統領からある頼みご
とを受けるのです。
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 実は、2003年のサンクトペテルブルク建都300周年記念
 祭とフランスでのエビアン・サミットの日程が重なって困って
 いる。                ──プーチン大統領
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉首相が、当時のシラクフランス大統領と親しいことを知っ
ての依頼だったのです。シラク大統領は日本通で、歌舞伎や相撲
の大ファンでもあり、小泉首相とは仲がよかったのです。しかし
いったん決まった公式日程を変更することは困難なことです。
 それでも小泉首相はシラク大統領に会い、サミットの日程変更
を交渉したのです。その結果、シラク大統領から次の言葉を引き
出すのに成功しています。
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 それじゃあ、フランスで開くサミットを記念行事の翌日に変更
 しよう。そうすれば、みんなそのあと直接エビアンに来ればい
 い。                  ──シラク大統領
―――――――――――――――――――――――――――――
 これに感謝したプーチン大統領は小泉氏に対し、ある秘密の会
合を打ち明けたのです。
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 感謝に堪えない。公表できないがシベリアに金正日が来るので
 何か協力できないか。         ──プーチン大統領
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 そのとき、小泉首相は「金正日に会いたい」とプーチン氏に依
頼したのです。プーチン氏はその後金正日に会い、このことを伝
えています。「コイズミは信用できる。2人で話し合い、拉致問
題を解決してほしい」と。
 このプーチン大統領の仲介があったから、2002年9月の小
泉首相の北朝鮮電撃訪問と金正日総書記との会談、地村、蓮池氏
らの日本帰国につながったことは明らかです。当然、小泉首相は
プーチン大統領に感謝したはずです。日本国民も全面解決にはほ
ど遠いものの、とにかく拉致問題を動かし、拉致被害者を帰国さ
せた小泉首相の手腕に喝采し、当然のことながら、北方領土問題
の解決も期待したのです。
 このように2人の人間関係は良好だったのですが、その後はな
ぜかぎくしゃくしてしまうのです。小泉首相は、2003年1月
にロシアを訪問しています。
 しかし、そのときの北方領土交渉は、イルクーツク声明をフォ
ローし、進展させるという交渉ではなく、共同声明において、次
のことを単に確認したことにとどまったのです。
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 日ロ両首脳の間で、四島の帰属の問題を解決し、平和条約を
 可能な限り早期に締結し、もって両国関係を完全に正常化す
 べきとの「決意」を確認した。     ──日ロ共同声明
―――――――――――――――――――――――――――――
 どうやら小泉首相は、北方領土交渉の対処方針をイルクーツク
声明での「二島先行方式」による他の二島の段階的合意から、四
島が日本に帰属することを確認する方式に変更しているのです。
どうして対処方針を変更したのかについては不明ですが、米国の
意向もあるのではないかと思われます。これまでの日ロの交渉は
いったい何だったのかと、ロシア側が強く反発したことはいうま
でもないことです。
 2004年に入ると、小泉首相はさらにロシアを挑発する行動
に出るのです。2004年9月2日に小泉首相は、北方領土を海
上保安庁の船から視察したのです。日本の首相であれば、当然の
行動であるといえますが、日が悪かったのです。なぜなら、20
04年9月2日は、連合国側から見ると、59年前に対日戦争の
終わった日に当り、日本が、ポツダム宣言を正式に受託した日で
あったからです。これに関して、鈴木宗男氏は次のようにいって
います。
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 ロシア側にすれば、対日戦争が終わった記念日に、日本の総理
 大臣が軍船で「失われた領土」を視察するというのは日本が領
 土的野心をむき出しにした挑発行為以外、なにものでもない。
 しかも、このとき、ロシアでは、北オセチア共和国で、武装テ
 ロリストによる学校占拠事件が起こっていた。ただでさえプー
 チン大統領が領土問題にナーバスになっているときに、そんな
 行動に出れば、相手をいっそう怒らせるだけだろう。このころ
 はプーチン大統領の強い指導力のもと、ソ連崩壊後の経済危機
 を乗り切り、資源の世界的な高騰を受けて、空前の繁栄を遂げ
 ていた。もはや日本の資金に頼る必要はなくなり、日本との距
 離を置きはじめていたともいえる。     ──鈴木宗男氏
        http://ayarin.iza.ne.jp/blog/entry/1274896/
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 小泉首相は明らかにプーチン大統領を挑発しています。ケンカ
を売っているのです。ちょうどそういうときにプーチン大統領か
ら対ドイツ戦勝60周年記念式典への招待状が送られてきたので
す。2004年11月のことです。 ── [日本の領土/23]

≪画像および関連情報≫
 ●小泉元首相の対ロ挑発か
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  小泉純一郎首相は2004年9月2日、海上保安庁の巡視船
  「えりも」で海上から北方領土を視察した。現職首相として
  は3人目の視察で、海上からの実施は初。来年初めに予定さ
  れているロシアのプーチン大統領訪日を控え、領土問題と平
  和条約締結問題に取り組む姿勢を国内外にアピールする狙い
  からだが、ロシア側は不快感を表明している。首相は同日午
  前10時半ごろ、巡視船に乗り、北海道根室市の花咲港を出
  港した。巡視船は北海道と北方領土の中間線付近を航行し、
  正午前に歯舞諸島沖を通過。午後1時すぎ、国後島との距離
  十数キロまで近づいた。首相が甲板から双眼鏡で歯舞諸島を
  視察していた時に、ロシアの監視船が巡視船の右舷前方約4
  キロまで近づき、「航行上の安全を祈る」との内容を意味す
  る旗を掲げた。首相は記者団に、「霧がかかっていた。もっ
  とよく見たかった」と語った。巡視船には茂木敏充沖縄・北
  方担当相、高橋はるみ北海道知事らが同乗した。首相は視察
  後、根室市内で元島民ら地元関係者と懇談する
            ──2004年9月3日付、毎日新聞
―――――――――――――――――――――――――――――

小泉元首相/プーチン大統領.jpg
小泉元首相/プーチン大統領
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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